アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

カラヤン広場

2011-08-29 21:06:03 | 音楽/芸術

赤坂のアークヒルズの一角に、「カラヤン広場」と呼ばれているスペースがある。

1986年サントリーホールがオープンしたが、このホールの設計に携わったとされている、指揮者界の帝王、ヘルベルト・フォン・カラヤン。これにちなんで、ここの空間を「カラヤン広場」というらしい。いつ来ても、気持ちが良い空間だ。コンサートが終演し、ホールから一目散にこの広場に出た時が、一番心地よく感じる。


「あけぼの」陸東迂回運転時代

2011-08-27 21:01:09 | 鉄道写真(EC)

このお盆休みは、3日間限定ではあったが、上野-青森を結ぶブルトレ「あけぼの」の迂回運転が実施された。かつてこのブルトレ「あけぼの」は、陸羽東線経由で運転されていた時期があった。それは、奥羽本線の新幹線工事の関係で、福島以北が不通になったためと記憶している。陸羽東線といえば、鳴子峡を控えた山線であり、それもブルトレとなれば、今回と同じように、DE10の重連運転で走っていた。上り列車は、陸羽線内真夜中、下り1001レが新庄4:45(確かではないが・・)で、夏至の頃かろうじて撮影できた。板谷峠の「あけぼの」といい、この陸羽線の「あけぼの」も明るさとの勝負となった。今のように、機材が優秀で、多少暗くても、綺麗に撮れてしまう時代ではないので尚更だ。

今回は、何度か訪れたうち、ネガカラーフィルムを仕込んで写したもの。定期列車だから、DE10には、当然ヘッドマークが掲げられている。まだ、明けきれていない新庄を目指すDE10重連は、ローカル線にもかかわらず、結構なスピードで迫ってきて迫力があった。  

 1992-6-13   1001レ あけぼの  南新庄-長沢


201系登場の頃・・

2011-08-25 20:59:00 | 国鉄時代(カラー)

今から約30年前、省エネ電車として201系電車が登場した。

101系や103系が当たり前だったこの時代、当時の国鉄としては、新しい発想の電車で、このように一時マーク付きで世間にアピール、中々話題になっていた。そんな201系も、この地から姿を消し関西に行かないと見られない。

今回は、またまたテストとして、ネガカラーフィルムからスキャンして取り込んで見た。なぜか粒子が粗くて汚くなってしまった。1981-4  中央線:阿佐ヶ谷  105mm

 


懐かしき山貨を走る荷物列車

2011-08-23 20:56:23 | 国鉄時代(カラー)

 

古い写真が続いてしまい恐縮であるが・・

EF15とともに撮影の中心においていたEF58の荷物列車が出てきたので掲載する。山手貨物線を御昼間に堂々と通る荷1032列車。客車の両数はいつも少なめだったが、大変良い時間帯を走り、都内撮影のスケジュールには、いつも組み込んでいたことを思い出す。写真のEF58122は、左右でHゴムの色が白と黒で違っていた宇都宮区の中でも変わり者。ここ恵比寿駅は手軽に撮影できた。

1979-3-16  荷1032レ EF58122  恵比寿にて  105mm

 


国鉄時代の思い出列車 EF15重連貨物

2011-08-21 16:02:26 | 国鉄時代(カラー)

天気の良くない日曜日、気温も一気に下がりまるで秋の長雨のよう。エアコンをかけずに過せるのは、まことに有難いが、何か今までの疲れが出たようで、気だるい日曜日となってしまった。今日は、そんな気分なのではあるが、前からやらなくては!と思っていた、過去の写真のスキャナー取り込み。ランダムに選び、今回は、テストとしてアップしてみようと思う。

 

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写真は、30年以上前に遡るが、中央線武蔵境付近を行く5472列車、EF15[八]重連。当時ダイヤ改正で、この5472レは、EF15の定期重連となり、仲間内では大変盛り上がった列車であった。八王子区最若番の4号機や、スノウプローのついた92号機が前に就く日は、なおさらで、何度も続行の電車で追いかけて撮影したことを思い出す。この撮影場所も、現在はどうなっているのだろうか?今ではこの区間高架線に変わったと聞く。武蔵野の面影など、全くなくなってしまったのか。一度訪れてみたい。

1979-3-16  中央線:武蔵境-東小金井  5472レ EF1581+73  TRI-X  105mm