アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

内藤彰氏のブルックナー演奏

2015-07-29 11:00:00 | 音楽/芸術

昔から気になっていた日本人の指揮者の中に、内藤彰氏という方がいる。自分のオーケストラを持ち、今年で25周年とか、楽譜に拘り、演奏初演に拘っているとのこと。ことブルックナーの交響曲についても、数々の版をさらに掘り下げており、楽章ごとに世界初演を繰り返して、過去にCDにも音源として残っているようだ。今回、彼のオケの100回目の定演を聴きに行くことができ、直接音楽に触れる機会を持ったが、率直に言って、アントンKの求めるものとは全く異なっていた。

会場は、延々エスカレーターに囲まれた印象の芸術劇場。ホール自体は、適度な残響と広めの座席で好きなホールなのに、ホールまでのアプローチが全くダメダメだ。もう何年か前に改修工事され、いくらかマシになった長いエスカレーターも、久しぶりに乗るとやはり、これから音楽に浸ろうとは思えない空気感を持っている。ホールエントランスについても、そこから、またエスカレーターに2回乗り換える・・何とも。

さて、今回のプログラムは、メインがブルックナーの第5交響曲だが、その前に、シベリウスの「フィンランディア」と、ショパンのピアノ協奏曲がある。この前座ともいうべき楽曲にしては、大曲であり、そのあとにブル5とは、何とも良く判らないプログラムだ。コンサートが終わってわかったことだが、この構成は、やはり指揮者である内藤氏の意向ということが理解できた。その全てにおいて、完成稿世界初演とか、ナショナル・エディションとか、能書きがついているのである。結局のところ、この演奏会は、その楽譜においての初演とか、珍バージョンということに価値を見い出し、演奏された中身は置き去りにされている印象を持った。確かに、日常聴いている楽曲との違いは散見できたものの、そこからくる想いは、ただの相違でしかなく、こちらが求める楽曲から表れる味や深いの魂の嘆きのような表現が聴き取れなかった。音楽に何を求めるのか?この出発点からして、指揮者である内藤氏は自分とは違ってしまった。

アントンKは、音楽に理屈は求めない。たとえ聴いたことのないフレーズが現れても、今までと音楽の速さが違っても、それに感動するのではなく、もっと音楽の内面に現れる、人間でいう喜怒哀楽のような表情に心を奪われる。当日の演奏は、譜面のみの表現だから、深みは無いし、まるで録音したレコードを大きなホールで聴いているようであった。おそらく、指揮している内藤氏は、学者なのだろうと思う。楽曲の速度のことにも、プレトークで触れていたが、申し訳ないがアントンKとは、全く考え方が違う。例えば、速度記号のアレグロ。このアレグロ一つと考えても、世界の数々のホールで異なる速さになる。ウィーンのムジークフェラインで、学友協会ホールで、ロイヤルアルバートホールで、ベルリンフィルハーモニーで、あるいは、東京のサントリーホールで・・・、かつてチェリビダッケや、朝比奈隆が述べていたように、音楽は空間の芸術であり、元来演奏時間の速さなど比較するものではないのだが、このことを内藤氏は盛んに述べていた事が印象的だった。

世界初ということに価値を見い出し、その譜面で演奏して我々聴衆を喜ばしてくれること自体は、素晴らしいことかもしれない。しかしクラシック音楽の醍醐味は、まさに演奏行為にあると考えるアントンKとしては、表面的な譜面の違いによる演奏内容だけでは、全く面白みに欠け、詰らない演奏会という印象しか残らない。これまで、今までの慣れ親しんだ譜面の演奏で、どれだけ感動したことか・・この想いは、世界初では得られないと確信したのである。

最後に名誉のために申しておくが、この指揮者に無心についていった各パートのオケのメンバー達は、良い演奏をしていたと思っている。不慣れな譜面に対して、よくぞと思われる箇所も難なく演奏していた事は称賛に値する。特に金管楽器のユニゾンで鳴る部分など、まさにブルックナーの響きであったことを付け加えておきたい。

東京ニューシティ管弦楽団 第100回定期演奏会

シベリウス 交響詩「フィンランディア」 OP26 完成稿世界初演の再演

ショパン ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 OP11 ナショナル・エディション

ブルックナー 交響曲第5番 変ロ長調 川崎高伸編集原初稿

指揮 内藤 彰

ピアノ フィリップ・コパチェフスキー

2015-07-24  東京芸術劇場コンサートホール

 


EF8181による記念列車

2015-07-19 09:30:00 | 鉄道写真(EL)

前日まで台風の影響でダイヤはズタズタ、東海道スジや中央線では、軒並み運休だったよう・・・

こんな状況の中、天気もまだ不安定だが、最近まだ撮影していないEF8181が動くというので一発狙いで行ってきた。本当は、この日東海道スジに撮影したい列車があったが、天気がダメダメなのと、カマが差し変わってしまったようなので、こちらを諦めての出撃。あとでわかったが、結局運転されたようで何とも後味のよくない結果になってしまった。

そんな前置きがあり、早朝からちょっとばかり疲れたが、急遽行先を北向きに変えて浦和界隈に向かった。「宇都宮線130周年記念号」というイベント列車撮影のためだ。有名撮影地には、怒涛の撮影者達で溢れ返っているとの情報にやはりおののいてしまい、安全に大きく撮影できるこの場所に落ち着いた。

今回は旧型客車5両編成ということなので、いつもより短めに構えて手前まで引いて撮影したが、ここでも立ち位置が好みにはならず中途半端に終わった。それにしても、EF8181は美しい。連結器まで綺麗に塗装直ししてあるのが泣かせる。

最後の最後で「北斗星」牽引とでもなったら・・・

《必ず撮影に行く》    断言しておこう。

2015(H27)-07-18   回9531レ    EF8181 「宇都宮線開業130周年記念」   南浦和付近


チャイコの第4・5・6番を一挙に・・

2015-07-12 21:00:00 | 音楽/芸術

今日は、ロシア国立交響楽団の演奏会を友人とともに聴きに行ってきた。

30年来の友人からのお誘いを受けて出向いた訳だが、その友人曰くプログラムが凄い。チャイコフスキーの後期のシンフォニーを一挙に演奏するというのだ。一日のプログラムで、チャイコの交響曲を2曲、つまり前半と後半とに分けて演奏することも稀に思われるが、3曲となると、今までそんな馬鹿げたプログラムはあっただろうか?アントンKが知る限りなかったのではないかと思う。チクルスとして、何日かで演奏したことは、かつてスヴェトラーノフも日本の来日時にやっていたし、珍しいことではなかったが、1日で3曲とは聴く方も中々体力がいる。まして、ロシア国立交響楽団は、かつてのソビエト文化省交響楽団のことで、強烈なパワーオーケストラであるから、演奏内容によっては、演奏者も聴衆もフラフラになってしまうだろう。

ある意味覚悟して出向いてきたが、結果としてはちょっと様子が変わっていて、チャイコフスキーを正面から楽しめた内容であった。演奏によっては、もっと力づくになって耳がつんざける位の音量で、聴衆を圧倒する演奏も可能なオーケストラだろうが、今日の内容は、ちょっと拍子抜けをくらったくらい内面性の高いものだったように思う。

第4番から始めて第5、第6と進めて行くが、やはり演奏者の体力の温存のためか、後半に向かって管楽器が鳴っており、これは明らかに今日のプログラムのために構成されているように感じてならない。確かに、管楽器奏者も曲により入れ替えでバランスをとっていたようだが、(Ob,Fl,Cr,Tp)第6の第1楽章の音量とオケのバランスは、それまでとは明らかに異なっていた。特に展開部から再現部に向かうホールを圧倒するクレッシェンドは、今日の聴きどころのトップ3に入るくらい凄まじかった。また第3~第4楽章についても、ここへきてオケが全開になっており、本来のこのオーケストラの力量が発揮されていたように思われる。

もし今日のようなプログラムではなく、通常のようなプロで構成された日に、今日聴いたような第4や第5だったら、アントンKは興ざめしていただろう。今にして思えば、あまりにもオケが鳴っていないから・・・

最後に聴いた第6で、少し自分の中のうっ憤は晴れたが、元来アントンKは、その日のプログラムにより、演奏内容を制御するやり方を好まない。交響曲を3曲続けるからといって、自分の解釈を変えるやり方はいかがなものかと思っている。まあ、演奏者たちにとってもまだコンサートツアーは始まったばかり・・・長丁場の体力維持に必死なのかもしれない。日本全国を廻るようなので、是非とも各地で良い演奏を繰り広げて頂きたいと思う。

最後になってしまったが、今回の指揮者であるポリャンスキーだが、なかなか個性的な解釈で面白かった。プログラムで演奏内容を替えているなら、ちょっと根本的に違う人になるが、指揮振りを見ていわゆるロジェヴェン~スヴェトラーノフの系統を継ぐ指揮者のように思えた。指揮台を使わずの、大ぶりな指揮は豪快であった。

2015-07-12

ロシア国立交響楽団 2015 日本ツアー

チャイコフスキー 交響曲第4番 へ短調op36

チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調op64

チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調op74「悲愴」

横浜みなとみらいホール