アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

現代の通勤電車を想う

2011-07-30 14:47:52 | 鉄道写真(EC)

8月末で、千葉に残っている113系電車が引退するらしい。最近、お別れのマークを掲げて運転している編成があるようだ。この113系が引退すると、JR東日本から113系は消滅。あれほど、都内近郊で幅を利かせていた113系がである。もっとも、東海道スジから引退してから早5年だから、現在の主力形式は、E231系~E233系であることは理解しているのだが、なかなか頭がついていっていないようだ。

確かに、都内あちこちで見かける電車たちは、どれもスマートでかっこ良い。乗れば、静かだし、加速減速もスムーズで、もちろん乗り心地、座り心地も、101系、103系からすれば、圧倒的に良くなっていると言えるだろう。しかし、個人の趣味からすれば、どちらかと言えば無個性な今の電車たちより、鋼体の電車の方が性に合っているかな。MT54のモーター音高らかにかっ飛ばしてくる113系が妙に懐かしい。

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写真は、京浜東北線E233系とデットヒートを繰り広げる、東北線の主力E231系。昔は、走行音で判断できたが、今は何がなんだかわからなくなってしまった。

 

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EF60の「みなかみ」号

2011-07-28 14:46:17 | 鉄道写真(EC)

この夏休みは、上越線が熱い!6月にC6120が復活を果たし、D51やC57とともに、入れ替わり立ち替わりバラエティにとんだ列車が設定されている。注目は、もちろんC61なのだろうが、今ではレトロ客車と言われるスハ43系統の旧型客車が魅力的に映る。特に、SLには、旧客が一番だと思っているから、今後の運転には、目が離せないのだ。

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そんな中、EF60にも、頑張ってほしいと思っている。あまり設定の列車はないようであるが、EF55亡きあと、前照灯を原型に戻し、ブルーの国鉄色でさらに魅力的になったロクマルに注目している。写真は、このGWに運転された「EL重連レトロみなかみ」号。EF641001との重連を組み、旧客を牽いた。この撮り方では、客車がわからないので、勿体なかったかもしれない。

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ED75を想う

2011-07-26 14:44:32 | 鉄道写真(EC)

ED75から遠ざかってしまっている。あの震災後、全く会いに行けていない。ただでさえ今回のダイヤ改正で、運用が激減し、常磐線沿線の運用と仙台近郊の地味な仕事のみとなっていた矢先の出来事だから、実際現状はどうなっているのか、この目で確かめに行きたいのだが、情けないことに実行できないでいるのだ。常磐線が寸断され、受け持っていたはずの貨物列車は、東北線経由の運転となっているようだが、当然EH500の牽引だろうし、果たしてナナゴは元気なんだろうか?この盆休みを利用して行って来たいと思っている。

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写真は、震災前の3月、岩手で撮ることができた、ED751034の貨物列車。

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山貨の貨物

2011-07-24 16:18:21 | 鉄道写真(EC)

今では、全く影を潜めてしまった、山手貨物線。それでも、ダイヤをよく見てみると、早朝の5時から6時くらいの1時間の間に5~6本の貨物列車が走る。10分間隔で次々とやってくるから、大昔の山貨を思い出すが、カマは、EF64や、EH500、桃太朗のEF210まで来てバラエティの富んでいるのが嬉しい。いってみれば、日の長いこの時期限定の撮影で、大都会のど真ん中を走ってくるので、いくら天気が良い日でも、日がさすことは難しいのだが、日中のECが行きかう光景を思うと、この早朝の時間帯は別世界だ。

遠方からやってくる、長大なコンテナを牽引するEF641000番台。今やありきたりの列車だが、なぜかこの場所、この時間に出会うと誇らしげに見えた。

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この夏は、朝比奈を聴こう!

2011-07-22 20:02:24 | 音楽/芸術

指揮者朝比奈隆が他界して、すでに10年が過ぎた。それまでは、朝比奈三昧であった当時からすると、最近はかなり音楽に関しては落ち着いた生活を送っている。「追っかけ」というほど、大げさではなかったと自負しているが、90年代後半の頃は、その演奏会に接する機会も減ってきたため、東京にやってくるのを待つのではなくて、こちらから聴きに行っていたことは認める。もちろん、生涯最期となってしまった00年暮れの第九も聴きにいっていたし、本拠地が大阪であったため、来阪の機会は以外と多かった。

忘れられない演奏会は多々あるが、今思い出してみると、まず、朝比奈に最初に接した78年3月まで遡る。新日本フィルで、ブルックナーの第5番。あとで知ったことだが、彼は、この曲を十八番としており、晩年シカゴ響に招かれたときにも、まずは、このブル5を振っている。いやぁそれにしても、この78年の演奏は、凄まじかった。振り返れば、生涯この曲の演奏スタイルは変わっていないが、初めて体験した衝撃はやはり圧倒的だった。自分が当時、聴いていたLPからは、ほど遠く、(マタチッチの改訂版)リズムは、重く、どっしりしており、巨大な構築物を俯瞰しているかのような感覚で、音楽にのめり込んでいたことを思い出す。私の中で朝比奈隆を決定づけた、この日の演奏であるからして、そのイメージは今もずっと生きている。終楽章のコーダで、金管楽器が倍管になることなど、当時知る芳も無く、ただただ圧倒され、終演後は、拍手もできないほどの放心状態になってしまった。当然、その夜は、眠ることも出来ず、ブルックナーの音楽が頭の中に鳴り響いていた。第5でこの演奏だから、第8や第9はどうなの?っと誰でも考えてしまうのは当たり前。朝比奈隆に吸い込まれるのは、簡単であった。この頃、世の中もブルックナーが認知され始めた時代で、日本ブルックナー協会なんていう趣味の団体と創設され、(会長はもちろん朝比奈氏)徐々に演奏に触れる機会も増えてきた。そして、その頂点といえるのが、80年に行われた、東京カテドラル大聖堂で行われた、ブルックナーチクルスである。後に、LP盤で発売になったが、第4(日本フィル)、第5(都響)、第7(東京響) 第8(大フィル)、 第9(新日本フィル)の抜粋で、5日間に分けた演奏会であった。音が篭もるとか、残響が長すぎるとか、色々な意見は出ていたが、この現代において、このような演奏会はもうありえないだろう。エアコンもまともにない聖堂の中で、大きな十字架の前で、ブルックナーの音楽に身を置く。おそらく、この場を体験された方々は、みな同じ気持ちになっていたはずだ。このチクルス最終日、第8番の演奏終了後、鳴り止まない拍手に朝比奈が登場、もう私服の姿であった朝比奈氏は、僕等の姿を観て涙を流されていた。全ての聴衆が、感涙にふけっているのを観て、やはり朝比奈氏もそれに感動したのだろうか。それでも拍手は、鳴り止まなかった。もう30年以上前の出来事だが、まだ脳裏に鮮明に焼きついている。もうおそらく、生涯こんな演奏会の体験は出来ないと思う。まあ、語れば語りつくせないことばかりだが、この場でも、追々書き留めて行きたいと思っている。

なお、掲載した写真は、本文とは関係ありません。

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