アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

定期運用を終えた117系電車

2023-07-28 08:00:00 | 国鉄時代(カラー)
やはり国鉄時代に関西で生まれた117系電車。この形式も最近になって定期運用を終えたとファンの間で情報が飛び交っている。
 関東で生まれ育ったアントンKには、なかなかご縁のなかった電車であり、思い入れもない車両だが、好きだった157系電車の面影を感じ、今まで頭のどこかに置いていた形式だった。後継の185系電車にも雰囲気が似ているが、元来関西の新快速用としての誕生していることから、車内に目を移せば近鉄、阪急といった私鉄電車への対抗意識が感じられ、それまでの153系新快速からは随分改善されたと思えた。中京地区へも活躍に場が広がったが、残念ながらあまり印象に残ってはいない。近年、大幅改造で生まれた特急「ウエストEXP銀河」用の117系を拝みに行ってきたが、四季島、瑞風等の高級路線の電車を狙っているのか、外観からはいささか疑問、京都-出雲市間を走破するという、人気スポットに当てた限定車輛のように映ってしまった。
 掲載写真は、国鉄時代の元祖117系新快速電車。当時アントンKには、その塗色からか私鉄電車のように感じたもの。独特のクロスシートやシートカバーから脱国鉄が印象的だった。
1986-07-27  117系新快速電車   東海道本線:高槻-山崎

いよいよ引退?!キハ183系特急気動車

2023-07-21 21:00:00 | 鉄道写真(EC)
目まぐるしく情報が更新され、いくら趣味の世界でも自分の意識が追いついていないことに気づかされている。国鉄時代の晩年に生まれた北海道のキハ183系特急型。そう考えると30年以上の年月が経っていて、引退の文字を見ても不思議ではないが、民営化されてから登場した500番台すら今回世代交代してしまうらしい。500番台車は、掲載写真のような前面に貫通扉があり、一世代前のキハ82系を彷彿とさせていて好ましく思えていた。ただ、登場時からの外観塗色がどうも好きになれず、写欲が湧かなかったのだ。かえって最近まで見られたJR色の方が、広大な大地に映えて好きだった。
 敢えてキハを狙いに北海道へと渡ることはなかったが、過去の色々な場面で見に止まっていたのが、このキハ183系だったと振り返っている。
  函館本線の駒ヶ岳山麓を往くキハ183系「北斗」を載せておく。東山-姫川の大カーブを身体をくねらせながら下るキハは、やはりこの土地のクイーン的存在、華があった。当時から東山、姫川ともに無人駅だったと思うが、今や駅すら消えていることに呆然としてしまう。

1999-04-30      函館本線:東山-姫川
 

更新機に落胆!ED75の思い出

2023-07-18 21:00:00 | 鉄道写真(EL)
車体更新と言えば、アントンKが今まで最も落胆した車両を思い出す。交流機ED75だ。真っ赤な車体が日本の風土に溶け込み、全国的に活躍を見せていた国鉄時代のED75だったが、民営化され試験塗装とやらが登場した時くらいから、雲行きが怪しくなってきた。1990年初頭からの電機機器更新の際、車体の下半分を真っ白にしたナナゴーが現れたのだった。それまでのイメージは根底から覆され、最初はちょっとカメラを向けるのも戸惑ってしまったことを思い出している。当時から、ブルトレとともに好きな機関車の撮影を楽しんでいたアントンKだが、この塗色変更には大いに抵抗があった。
 その後、二次更新車と呼ばれる腰回りに白線を巻いただけの塗色が登場し、薄眼でみれば原色風には見えたものの、やはり赤色そのものの色つやが異なって見え、想いだけが先走りした。
 そんなナナゴーも、当時から考えて一番若い700番台でさえ、車齢50年近くになり、未だに不定期ではあるが我々の前で元気な姿を拝むことができる事実に改めて驚嘆するのだ。
 掲載画像は、未更新機と組んで颯爽に通過していくナナゴ更新機1024号機。天気が急変して露出が無くなり、重連貨物を狙うも更新機が来た!の図。今となっては、苦い思い出が微笑ましい。
2007-08-04      ED75 1024+1034      東北本線:久田野付近

変顔に改造された国鉄型~167系

2023-07-16 08:00:00 | 鉄道写真(EC)
113系115系や、165系455系などの代表される、国鉄の貫通扉付きの前面顔が昔から好みで、機会のあるごとに撮影を続けてきたが、時代とともに原型から、マイナーチャンジを受け変化した車両や、数々改造を受けて印象が変わってしまったものなど、バラエティに富んだものとなった。この顔のデザインは、未だに素晴らしいと思え、アントンKにとってはザ・国鉄顔と呼びたいお顔だ。
 昔を思い起こせば、115系300番台が三鷹に新製され回着した頃(S48?)に、初めてこの顔のシールドビーム車、つまり前照灯が小径になった車両を間近で確認して度肝を抜かれた記憶だが、それ以来、同じデザインの顔でも細かな改造を受けた車両たちに出会う機会をもった。
 掲載写真は、シールドビーム化され、かつまぶたを付けてような、原型寸法を残すような改造を受けた167系電車。初めて見た時は、苦笑してしまっただろうが、ほんの少しの改造でも、印象が随分変わるものだと思ったものだった。
1993-01-12     9928M    集約臨  167系  東海道本線:根府川-早川


記録の変遷を書き留める・・

2023-07-08 21:00:00 | 鉄道写真(モノクロ)
この拙いブログも気が付けば細々と12年も続いていた。今さらながら驚嘆しているところだが、もともとは自分自身の趣味の記録、整理、履歴のつもりで始め、それと同時に写真に関してはフィルムのデータ化の推進を目的としていた。あくまでも自分のためであり、忘れ去られた画像をデータ化することで蘇り息を吹き返すことが楽しくなったのだった。
 きっかけは、あの震災だったのだが、同時にSNSの発達で、見知らぬ人、憧れの人との繋がりも思った以上に増えて、非日常が現実に変わるような衝撃も多々経験できた。もちろん、こうやって毎日拙ブログを覗いて下さる方々の存在があればこそであり、いつも心から感謝している。
 さて、アントンKの鉄道写真は、今年で半世紀、クラシック音楽鑑賞に至ってもほぼ同時期の49年を経過してしまった。今改めて思うのは、その間に撮り溜めた写真、記録、そして巨匠たちの数々鑑賞できた演奏会での体験よりも、その時代をともに過ごしてくれた趣味の仲間の存在が今となっては大切に思えるということだ。自分のために始めたことで、一番大切に感じる仲間たちに気づかされた訳で、これだけでも、このブログの意味があったのかな、と一人納得しているのである。
 デジタルカメラで車両を写し始めたのが、2005年頃からと以前書いたが、もとを正せば親父に誕生日プレゼントされた二眼レフのコニカC35で撮影まで遡れる。もちろんフィルムカメラで、バカチョンと呼ばれた類のカメラ。当時はコダックは高くて使えず、コニカカラーのカラーネガを使っていた。東京や上野でホームを右往左往していた時代から、小遣いを溜めて買ったニコマートFTNになると、いわゆる走行写真に目覚め、また一眼レフという「沼」にハマっていくのだ。フィルムは相変わらずネガカラーを装填していたはずだが、当時の友人の影響でモノクロフィルムにも手を出した。この頃から親父のカメラを拝借する機会が増えていき、カラーネガと白黒と二台体制で撮影していたことも懐かしい。
 1970年代当時、どうしたら月刊誌「鉄道ファン」のような写真が撮影出来るのかと、いつも疑問に思ってきたことの答えをご教示頂いた78年、無理を押してブローニーフィルム版のPENTAX67を導入し、益々鉄のアリ地獄へと陥ってしまうのだった。それからは、バケペン/モノクロを基本として、撮影を重ねていったが、それも約20年間で全面35mm版へと回帰してしまうのだった。理由は色々あったが、一言でいうのなら、画角選択の幅とカメラの進歩、そして富士フィルム「ベルヴィア」の誕生か。
 当時最も身近に居た先輩から、”将来写真を趣味として楽しむのなら、モノクロで撮っておいた方がベター”というアドバイスを素直に受けついてきたが、現在のようなデジタル時代が到来するなんて夢にも思えず、これは当時考えられる自己ベストを積み重ねた結果であり、むろん悔いは無い。
 ここでは、ペンタ67/モノクロ時代の晩年、年々撮影コマ数が減少して、カラーリバーサルフィルムに逆転され始めた1993年の画像から掲載しておく。ナナゴ狙いで、再三訪れた白坂界隈。特に北側は上り列車に好都合でよく通ったポイントだった。
1993-02-03     6列車 EF81 89  北斗星6号   東北本線:白坂付近