アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

懐古色に湧くJR西日本~381系

2023-08-31 23:00:00 | 鉄道写真(EC)
長年親しまれてきた車両が後継型の登場により、徐々にその勢力を失い、引退までの期間限定で、登場時のスタイルに寄せて今までの功績を讃えることは、今までにもよくあったことだ。この秋から、JR西日本では、「懐鉄(なつてつ)」として、伯備線で運転されている381系電車にグリーン塗装車を、そして山陽線で最後の活躍をしている115系電車には、瀬戸内色と呼ばれるクリーム地にブルーの帯の塗装を復活させると発表があった。どちらも廃止されてから20年以上の時間が流れているだろうから、当時をよく知る方からは懐かしくも嬉しい知らせとなっただろう。アントンKはというと、地域色が強いこの手の話題には、鈍感にならざるを得ないが、こういう話題が湧くことで、当時を振り返るきっかけにはなり、それなりに刺激を貰っている状況だ。
 掲載するのは、今回再登場が期待されている381系やくものグリーン塗装車。あと数か月もすると、伯備線の381系には、国鉄色、パープル色、グリーン色、そして現行車のレッド色と4色全て揃うことになるのか。それはそれで見てみたくなる。しかしこういったイベントも、次世代へ向かう過程の一時に過ぎないのだ。
2008-04-13      381系 やくも   JR西日本 伯備線:備中神代-足立

他界が相次ぐ日本の指揮者界

2023-08-29 11:00:00 | 音楽/芸術
7月に日本の指揮者界の大御所外山雄三氏(92)の訃報にふれたばかりだというのに、今月は、ワーグナー指揮者として著名な功績を遺した飯守泰次郎氏(82)まで旅立たれた。アントンKにとって、両指揮者とも馴染み深いというところまで、実演奏に触れずに来てしまった。外山氏の演奏は、ベートーヴェンやチャイコフスキーといったメジャーな楽曲の録音を聴くに留まるが、飯守氏に関しては、ブルックナーも十八番ということから、過去に何回か実演に出向いたことがある。またエアチェックした数々の録音が残っていて、それを聴き返して懐かしく想いを馳せているのだ。
 現在の日本指揮者界は、世界指揮者である小澤征爾(85)を筆頭に、多くの名前が連なっているが、この中から、さらに多くのファンを獲得し、そして何よりも独自性の高い演奏を繰り広げる指揮者がどのくらい出現してくるのか今から楽しみでならない。
小林研一郎(83)、秋山和慶(82)、井上道義(76)、尾高忠明(75)、・・・と年齢順に考えると自分も含めて年を食ったという印象が浮き彫りになる。指揮者は50歳からと言われるらしいが、この時代、年齢で区切ることはナンセンスだろう。普段は合唱指揮で、オケの指揮台には立っていない冨平恭平氏は、まだまだお若い年齢のはず。なのにアマオケ相手に飛んでもないブルックナーを実演してしまうのだ。重要なのは、より多くの音楽体験なのだろう。現代ではいとも簡単に数多くの情報を取れるから、今後ますます期待できそうである。

機関車とヘッドマーク~EF65PF

2023-08-25 08:00:00 | 鉄道写真(EL)
  アントンKが鉄道撮影を始めた時代は、1970年代中頃だが、その当時は、東京口のブルートレインを除き、機関車へのヘッドマーク取り付けを省略していた時代だった。この暗黒時代とも言うべき時代が、1985年頃まで続くのだが、今考えると、あの頃マーク装着唯一の九州ブルトレが、ますます光り輝いていた列車に思えて、憧れもより強くなったのだろうと思う。ヘッドマークの有り無で、こうも列車の印象が違うのは、「撮影」するという観点からだからだろうが、当然今まで撮影してきた未装着列車の画像は、自分の中では随分価値が下がってしまい、全て撮り直しという課題が出来上がった訳なのだ。
 それ以降アントンKの撮影は、電車に装着し始めた絵入りヘッドマークも含めて、鉄道撮影の根幹が出来上がっていく。今にして思えば本当に楽しい時代を生きてきたと感じる。こうして、趣味を通じて過去を振り返ることを大切な時間だと感じてしまうのだ。
 感染症の影響か、最近ではご無沙汰になってしまったJR貨物広島車両所の一般公開を掲載。この当時は、現在に比べたら機関車も元気に感じられ、国鉄型電機もその雄姿を披露していた。実際には装着されなかったであろう。急行「銀河」のヘッドマークを掲げたEF65PF。前期型、後期型の並びだから、その違いが明白だ。また、架線のない線路でパンタを昇降している姿に、違和感があったこともこの画像から当時の気持ちが蘇るのだ。
2008-10-26            EF651028&EF651129    JR貨物 広島車両所

在来線いまむかし~185系

2023-08-24 08:00:00 | 国鉄時代(カラー)
 国鉄時代に乗車していた列車を思い出すと、その形式も懐かしいが、今では何と言っても編成が極端に短くなってしまったことが大きな違いとして挙げられる。特に地方のローカル線では顕著で、鉄道ファンとしては寂しい限りなのだ。朝夕のラッシュ時と日中、平日と休日、はたまたイベント時の特別運用等々、国鉄時代を思ったら、とても細かな対応に変わっていることに気づく。時代に沿った効率重視の対応ということなのだろう。
 アントンKにとって列車を撮影する時、あるいは乗車する時でさえ、列車編成は長い方が魅力的に思えるのは昔から変わらないから、短い列車というだけで極端に写欲が削がれることも事実。趣味として鉄道を考えれば、ますますそんな偏った考えにたどり着く訳だ。
 国鉄時代の高崎線を往く185系電車使用の普通列車上野行き。早朝にもかかわらず14両編成の長大編成でやってきた。むろんこれは、車輛送り込みを兼ねた運用だから実現していることで、国鉄時代には各地でよく見られた列車だった。
1985-06-07        185系 普通列車  高崎線:北鴻巣付近
 

盆休みに運転された多客臨たち~EF57

2023-08-16 08:00:00 | 国鉄時代(カラー)
盆休みに合わせるようにやってきた台風7号も、当初の予想よりはるかに西に進路を進め、関西・山陰地方に大きな爪痕を残して日本海に進んでいる。台風被害の全容がわかるのはこれからだろうが、どうか最小のものであって欲しい。直接関係が無いにしても、自然災害による大きなダメージのニュースは聞いていて辛くなるのだ。
 いつもこの時期に思い出すのは、帰省列車が多数運転され、EF57がフル回転で運用に就いて、最後の雄姿をカメラに収めたく線路端に出向いていたことだ。時刻表で、臨時列車のダイヤを調べることは出来ても、どの列車にゴーナナが運用されるまでは判らず、とにかく現地に出かけてから、という場面が多かった。後に電話で問い合わせれば、翌日の運用を教示してくれるサービスがあったが、臨時列車のスジまでは当時理解できず、地団駄を踏んでいたことも懐かしく思い出される。
 掲載写真は、そんな中からEF57がけん引してきた急行「八甲田51号」青森行き。後方のグリーン車連結が何とも魅力的に感じる。この時期は、朝の404列車「津軽2号」から始めれば、夕方まで定期列車、臨時列車合わせて10本近くの客車列車の撮影に没頭できたが、お目当てのEF57けん引列車は2~3本で、他は全てEF58けん引といった時代。時たま回送を兼ねた重連運転があり、エキサイトしたものだったが、こういった何も知らない状況でのサプライズはいつまでも嬉しく心に響いているのである。
 1976-08-17    6101ㇾ   EF57 4       東北本線:白岡-久喜