土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

2024年7月 暑かった

2024-08-12 02:22:30 | Japan
  2023年の7月、非常に暑かった。そして2024年の7月、更に暑かった。
  日当たりの最高気温の平均値が昨年に続き過去最高を更新しました。
  現状の温暖化対策だと、今からは毎年更新して行くとの事です。と、ぞっとしますが
 専門家曰く、太陽の熱が地球に届く温度に上限(MAX)があり、いつまでも更新し続ける
 事はないそうですので一安心です。

   片や、一般成人の平均体温は36度から37度で、体の内部と外部で、その温度に
  なるように体自体が相互に調節しあっているとの事です。そして人の調節できる体温
 は42度までで、それ以上になると生命維持できず死に至るそうです。蛇足ですが体温
 計の表示はその理由で42℃が測定限度となっています。

 ・・・・・

  外に出ると大気がムッと来て、露出した浅黒い肌に降りかかってきます。   
  関東南部の最近の気温は40℃に届きそうな勢いでアフリカに比肩する暑さです。
  が、体感温度はアフリカよりはるかに暑く感じます。 それは湿度が高いからです。

  日本の夏は蒸し暑くジッとしているだけで汗が出てきます。汗が体温を調節してくれ
 るのですが、暑すぎて調節が追い付かない状態です。
  片や、アフリカでは日陰に入ると心地よい温度で、そこの人達は大きな木の下に椅子
 や卓袱台を並べて ひねもすノタリノタリとしているのは体温を調節していたんですね。

  最初にアフリカに行った時にはノタリの人達を見ては仕事がないので途方に暮れている
 と思っていました。それは感違いで、暑いので体温の調節をしていたのですね。
  

 さて、
  地球を取り巻く気温が高温化しています。
 ・線状降水帯  や
 ・熱中症    等は
  以前(私の若い頃)には聞いた事が無かった気候用語でしたが、今や日常用語です。
  マスメディアがそろって「不要不急」の外出は慎むようにとスピーカーから音声を
  流しています。 特に、関東の西から北へと連なる山脈に隣接する都市や東京都心
 でも熱中症で倒れた人たちのNEWSが暑さに比例して増加してきました。 

 ・・・・・

  7月の26日に、山形県と秋田県上空に線状降水帯が発生し最上川が氾濫しました。
  NEWSでは圃場脇に設置された用水路の終点にある排水機場の水量調整用の排水ポンプが
 水没して操作(排水)が不能になり、大量の降雨が用水路の壁を越流し田畑や住宅地へ流出
 したと伝えています。100年確率(100年に1回起こる)と現地の人は言っていました。

  今の気象環境を鑑みたら今後は10年確率にしなくてはなりません。
  でも国の補助金が雀の涙ほどですのでお金がなく未対策なんですね。

  国の補助金と聞くと自民党に苦言を呈したくなります。国民の税金で裏金作りにいそしんだ
 人たちは、その説明責任を果たしたのでしょうか。主要幹部は「三十六計」を決め込んでいます。
  三人ほど尻尾として生贄に?切られましたが。

  政権与党が作った多くの資金作り対策で、領収書が不必要な官房機密費 (10億円/年)や、
 文書交通費(100万円/月) は国民は100%裏金作り資金で不要と考えていますが、そういう
 無駄をなくして国民の為に使って欲しいのですが。 なぜなら、それらの原資は国民の血税です。

  政治を職業にすると決心した時に抱いた初心の心意気は、どこに行ったのでしょう? 
  世の中の優秀な人達の一部は組織の中で揉まれている内に数人かは政治屋と変わって
 行くのです。 それは社会にとって必要悪ではなく不要なんです。該当する御仁は即座に
 退任をお願いします。それは無理でしょうから、次の選挙で退任させなければ。
  
  また、米大統領選はカマラ氏が大統領になってもらいたいですね。あのトランプの演説
 を聞くに、相手の弱点や粗を探し吹聴し、脅かして口封じを行っている様態は選挙運動と
 はほど遠く感じます。悪党に見えます。米国民はそんな脅しには頑固として戦います。
  
 ・・・・・
 
  話題を本題に戻します。
  下図の赤い太線は芭蕉が奥の細道で旅をした東北の一部です。

  奥の細道の足跡



  芭蕉は奥の細道紀行中に最上川の急流を体験し次の句を詠みました。

  ♪ 五月雨を 集めて早し 最上川 ♪  (上図、大石田の最上川右岸で詠まれた句。)

  芭蕉が初めて知人宅で最上川を見た時には、川風が心地よく「涼し」と詠みました
 が、 舟で最上川を下った時には、あまりにも急流であり「早し」と変更したものです。

  蛇足ついでに、奥の細道紀行中に一番多く句を詠んだのがは山形県で12句です。
 その内、特に有名なのは、立石寺で詠んだ あれ です。

  ♪ 静けさや 岩にしみ入る 蝉の声 ♪  上図 中央の立石寺で詠まれた句) 

  
 ・・・・・

  先々週に東京都江東区に行く用事があり本所深川の万年橋の袂の芭蕉庵に行きました。
  小名木川が隅田川に合流する「T」の字地点の右岸側にあります。
  上流には新大橋があり下流には清州橋が見える好立地な地点です。
  芭蕉は毎日、ここから隅田川の四季の移ろいを見ていたのでしょう。

  約40年位前は「T」の字ケ所は平地にひっそりと記念碑があり風情はありましたが、
  今は平地ではなく階段を上った所に展望庭園が整備されて、そこからは墨田川が一望
 できるようになって、清州橋や新大橋越に日本橋の摩天楼が見えます。また、
 江東区芭蕉記念館と言う立派な施設もできていました。

 

 芭蕉庵の展望庭園に続く階段


 展望庭園にある芭蕉の銅像


 小名木川が隅田川に注ぐ「T」地点


 元禄15年(1702年)12月14日、赤穂義士もこの芭蕉庵横の万年橋を通って隅田川沿いを南下し
 永代橋から泉岳寺にと歩みました。芭蕉が草庵(後の芭蕉庵)に移り住んだのが延宝8年(1680年)


付属1 吉良上野介屋敷跡 
    本所松坂町は芭蕉庵から歩いて約20分


 墨田区芭蕉記念館


 奥の細道の旅に出た時の芭蕉と曽良の服装。





 話題が脱線しました。
 標題の7月は

 これで今年の見納めです。


 オオガハスも花托が見えて花弁がちらりほろり落ちています。
 種は実が完熟して落下する前の未熟な内に花托を切り取り採取します。


 ハスの由来はここにあります。
 花托が朽ちて蜂の巣のように見え最初は「ハチス」と呼ばれていたのが、なまってハスなったそうです。


 半夏生も徐々に化粧を落として行きました。


 ラベンダーやサルビアも暑さの為、平年より2週間早く開花していました。
 訪問した時は花は落ちていました。

 同上




 明治7年(1874年)に点灯し、今年(2024年)で150周年になります。

 同上

 同上


 犬吠埼から南側の長崎鼻とその先の屛風ヶ浦方面を望む。
 当日は時化ていました。


 同上、東側の太平洋を望む


 同上、北側の君ヶ浜とその先の海鹿島方面を望む




 他方、新緑が深緑になってきました。

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上


 これは何の木の葉っぱでしょうか?直径は約60cmあります。
 朴の木(ホオノキ)


 スモークツリーも元気でした。



 夏と言えばこの花でしょう。
 8月6日は広島に原爆が投下されてから79年です。原爆の後、いち早く緑を復活させた花です。
 公害にも強く高速道路沿いにも多く植えられています。
 広島市の花であり千葉市の花でもあります。

 夾竹桃

 同上

 同上

 同上

 左右の街路樹がそうです。
 夏の積乱雲がモクモク

 同上



 こちらも開花しました。ネムノキ。
 芭蕉は秋田県の象潟で下句を詠みました。(上図、参照されたし)
 ♪ 象潟や 雨に西施が ねぶの花 ♪  注:西施は中国春秋時代の美女です。
 芭蕉は、国の興亡と共に翻弄された彼女の、その悲しい美しさを雨にうたれたネムの花にたとえて
 詠みました。

 同上

 同上

 同上


 ノウゼンカズラ


 ヤマユリ


 ノリウツギ


 ここの圃場は大きな沼の脇ですので、渇水することはないと思いますが、
 水の蒸発が速いように感じます。

 同上

 同上



 百日紅も今年は早く開花しました。

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上

 同上




 この時期がきました。

 クマゼミはいますが、アブラゼミはまだいません。



 今年は遅いようです。8月初旬はまだ実が小ぶりでした。

 同上

 千葉県八千代市の「なし街道」



 以上、元気報告を兼ねまして 
 
 
この記事についてブログを書く
« 6月の花(アジサイ・ハナシ... | トップ |   
最新の画像もっと見る

Japan」カテゴリの最新記事