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小松基地問題研究会

20201221 小林よしのり著『慰安婦』について

2020年12月21日 | 日本軍性暴力関係原資料
20201221 小林よしのり著『慰安婦』について

 今年(2020年1月)、小林よしのりがマンガ『慰安婦』を発刊した。マンガは断片的な言葉の恣意的な羅列であり、論理性に欠けるので、論理的批判の対象にはならないが、小林は「吉見義明氏の『従軍慰安婦認識』は『木を見て海だと言い張る』の類いだ!」という5000字程度の文章を載せているので、これを批判する。
 私は2014年に、「インドネシア・スマラン性奴隷事件」について調べたので、その観点から小林の論述を検討する。

 小林は「強姦と売春はどこで区別するのか。それは、その女性が暴力的な拉致・監禁の状況下にあったかどうかの一点にかかる」と書いているが、私もこの判断基準には同意する。

 ところが小林は、この基準を設定しながら、いろいろ書いているが、結局はこの基準を満たさないから、戦時性奴隷は存在しなかったという結論に導いている。

 その論拠をあげると、「一部軍人の軍規違反による暴走行為であり、発覚したものは処罰されている」、「(軍は)慰安婦のためを思って関与」、「強制のない職業に就いている人がいるのだろうか」、「占領地という事情を考えれば、安全に配慮したものかもしれず、その制限が奴隷的に拘束するためであるという証拠はどこにもない」、「(心理戦尋問報告2には)①軍は慰安婦たちの人身売買からは何らの利益も得なかった。②慰安婦は彼女自身が稼いだ額の50%を受け取り、交通費、食費、医療費は無料だった。③憲兵が(慰安婦の安全のために)気を配っていた」を引用して、「どこが性奴隷なのでしょうか」と結んでいる。

 「慰安婦の帰国について便宜を図っていたのである。それが実行できなかったのは戦況の悪化」。「未成年の売春などという、一人の死者を出したわけでもない違反について…国内法の時効」などと、乱雑な「論証」で、小林は戦時性奴隷を批判したつもりでいるようだが、ここからは小林の性奴隷否定論の批判を始めよう。

 なぜ軍が慰安婦制度を作った動機は行軍過程から占領地での兵士による現地女性へのレイプが多発したからである。したがって軍にとっては軍規を守らせるために、慰安所を作ったのであり、「軍は(慰安婦制度に)何らの利益も得なかった」という主張は成立しない。

 ましてや慰安婦制度や慰安所設置を「一部軍人の軍規違反による暴走行為であり、発覚したものは処罰されている」というなら、中曽根のやったことは軍規違反になるが、中曽根は処罰されていない。

バタビア・スマラン事件について
 もともと、法務省はスマラン事件の全容を知ることができる3件の文書綴りを隠し、要旨だけをたった4枚の「調査報告書」として公表していた。この3件の全文が国立公文書館に移管され、2013年9月に全文書(1077ページ)が強制連行真相究明ネットワークに開示された。

 開示文書には起訴状、判決文、供述調書、被害者調書などの日本語訳文、そして戦後に法務省がおこなった関係者への聞き取り調査報告書などがある。その中から、現時点で精査できている4文書(①能崎聴取書1966年4月5日、②松浦供述書1962年2月19日、③起訴状1947年11月22日、④Jさんの被害者調書1946年1月10日)から、スマラン事件の真相に迫りたいと思う。

慰安所設置のいきさつ
 バタビア裁判の公判記録によれば、1944年1月、南方軍の能崎清次少将(当時)が、池田省一大佐と大久保朝雄大佐からの要望で新しい慰安所開設を話し合い、第16軍司令部に新しい慰安所設置を提案したことから始まる。この時、能崎少将は第16軍司令部の認可を条件に、部下の岡田慶治少佐に、軍司令部との認可交渉に当たらせた。
――「一部軍人の軍規違反による暴走行為」という小林の論拠が崩れている。

強制連行の明白な証拠
(1)Jさんの被害調書によれば、岡田少佐が被害者を抑留所から慰安所に連行する指揮を執った。2月23日に日本人が抑留所に来て、「事務所で働く者を選ぶ」と偽って、17~28歳の女性を並ばせ、名簿をチェックした。26日には、激しい抗議と抵抗に対して、「承知しなければ射つ」と脅かして、9人の女性を車に投げ込み、強制的に連行した。
――「どこが性奴隷なのでしょうか」という小林の主張は崩壊している。

(2)松浦供述書によれば、「ロスアンゼルスの海外放送でやかましく本件を取り上げ、日本側を非難した。…海外放送の件を承知した軍司令部は慰安所の閉鎖を命じた」とあり、能崎聴取書によれば、軍司令部から婦人を強制連行してきたことを指摘され、「これはしまった。具合が悪いと思ったので、直ちに慰安所閉鎖を決意し、命令した」と証言している。
 この証言は慰安所の閉鎖に関するいきさつを述べているのだが、まさに強制連行がばれ、国際問題になるのを恐れた軍司令部は閉鎖を命令し、能崎駐屯地司令官は抗弁もせず、直ちに慰安所を閉鎖せざるを得なかったのだ。(Jさんは、被害者Aさんの許嫁である日本人が東京に手紙を書いて、その結果慰安所閉鎖の命令が出されたと証言している)

(3)能崎聴取書には、「承諾書の内容についても、…ただサービス業的のこととして曖昧にしか表現されていない」とあり、このやり方は欺罔(法律上、詐欺の目的で人をだまして錯誤に陥らせること)にあたり、強制連行そのものである。
 松浦供述書でも「多くは良家の子女で、レストランにでも働く位で、出てきた者」と、欺罔によって募集し、慰安所に連行してきたことを認めている。ここには任意募集のかけらもない。

(4)能崎聴取書には、「州庁側で選出して、整列させていた婦人(その中には不承諾者も含まれていた)の中から、軍側の若い中尉が勝手に選定して、連れてきた」「若干の人々には多少の強制があった」と話しており、まさに「不承諾者」に対する強制があったことを証言している。
 能崎は「若干の」「多少の」とできるだけ被害を小さく見せようとしているが、日本軍が武装して侵略し、一般のオランダ人を抑留所に詰め込んでおり、その軍隊が「多少の強制」などという言い訳は通用するはずがない。まさに有無を言わさない強制であったことを物語っている。

(5)能崎聴取書には「慰安所は軍の治安や風紀に関係が深いということから、慰安所の管理だけは何処でも軍側がこれを管理することになっていた」と書かれており、これはスマラン駐屯地だけではなく、日本軍がアジアを侵略していく際に、各地に慰安所を開設し、経営は民間業者(軍属)に委託したとしても、管理は直接軍がおこなっていたことの証拠である。
――「一部軍人の軍規違反による暴走行為」という小林の論拠が、ここでも崩れている。

(6)そして最後に能崎は「慰安設備は何れの国の軍隊でも必要ではないだろうか。この種の設備が全然なかったとしたら、軍隊はとても治まりがつかなくなる」と証言している。能崎は敗戦から20年も過ぎた1966年になっても、相変わらず「慰安所必要論」を主張し、骨の髄まで帝国主義軍隊の価値観に染まっている。当時は必要だったという橋下徹発言と同じである。

脅迫と暴行による性奴隷
 ここではJさんの証言とバタビア軍法会議第69号事件の臨時軍法会議附託決定書(起訴状)にもとづいて説明する。
 被害者Jさんは「3月1日の晩7時半頃…三橋は部屋に入るや否や私を椅子の上に引上げ、嫌らしい真似をし始めた。私は出来るだけ抵抗し半時間以上彼を殴たり蹴ったりして身を護ったが、終に彼は私を寝台に寝せ、下着類や月経を装って用心の為にもっていた月経帯迄はぎとられ、終に暴力を以て処女を破られて終った」「 慰安所の生活は私には地獄であった。何時も私は客をとらなければならない時には反抗した。…度々性交を強要する為に暴力が使はれるので、何日も良く歩けなかったり、劇痛を蒙ったりした」「私は或時は一組の揃ひの食器を打ち壊したこともあった。それで或朝のこと下田は私に若しも客を拒んで許り居たら、1日に15人の客をとたなければならない兵隊用慰安所へやるやうにすると云った」と証言している。

 起訴状でも、第3被告(岡田少佐)は「第四及び第六の各収容所に抑留されていた一団約三五名の婦人を連れ出し、スマランにある将校クラブ、スマランクラブ、日の丸及び双葉荘等の慰安所に連行して、売淫を行わせ、売淫を肯(がえ)んぜざるものに対しては、強制して、これを行わせた」「もし彼女らが肉交を求めて同クラブを訪れる日本人に対し、各自自由意志をもってこれを拒絶した場合には、彼女らの家族に最も恐怖すべき手段をもって報復すると威嚇した」「Lなる婦人に対し、腕力をふるって強制的に性交を営んだ」と記している。

 第9被告の軍属(古谷:慰安所経営者)は「日本軍当局によって同所に宿泊せしめられていた約七名の婦女子に対し、売淫を強制し、もし彼女等がその慰安所を訪れた日本人に性交を拒絶した場合には、しばしばそれらの婦女子を殴打」し、 第10被告の軍属(下田:慰安所経営者)は「かねて日本軍当局によって宿泊せしめられていた約七名の婦女子に対し、同慰安所を訪れる日本人と性交を肯んじない場合には、兵卒専用の劣等な慰安所に住み替えさせると脅迫し、売淫行為を強制」し、第11被告の軍属(森本:慰安所経営者)は「約十一名の婦女子に売淫を強制し、もし彼女等が同慰安所を訪れる日本人に対し、性交を拒否した場合には、報復手段として彼女等の家族を収容所に拘置すると威嚇した」「Tなる婦人に対し、腕力をふるって強制的に性交を営んだ」と記している。

 このように日帝軍隊は暴力と脅迫で性奴隷を強制していたのだ。慰安所は軍人軍属による暴力と脅迫と威嚇が支配していたのである。政府は慰安所の経営は民間業者がおこなっていたから国に責任はないと主張しているが、その慰安所経営者は他ならぬ軍属の立場であった。慰安婦経営者の罪を国の責任から外すことは恥ずべき居直りの論理である。

あとがき
 起訴状を裏付ける被害者と被疑者の証言記録(オランダ語)は手書きの走り書きで日本語に翻訳されているが、これらのすべては、『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料集』(編集・発行:強制動員真相究明ネットワーク 2014年8月 1000円 A4、135頁)に載せられている。

 2014年当時、『「慰安婦」問題ってなーに?』というHPに、「バタビア裁判における慰安所関係事件開示資料」が全文掲載されていたのですが、今回久しぶりに訪れたのですが、見ることが出来ませんでした。一部は、当ブログにも投稿してありますので、ご覧いただければ幸いです。また、「バタビア裁判における慰安所関係事件開示資料」で検索すると、ある程度の情報が得られます。
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