アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

「戦争体験者の責任として」 中村信 (第三次小松基地騒音訴訟原告)

2020年12月16日 | 思い出の人
「戦争体験者の責任として」 中村信 (第三次小松基地騒音訴訟原告)

 日本は四〇数年前に戦争に負けて、こりごりな目にあいました。戦後私たちは憲法九条によって、どれだけ貧乏しても、二度と戦争をしないと世界に宣言したのです。だから憲法九条は絶対に守らねばならないと思います。

 軍隊なんていらないと思います。「国を守らねばならない」と言いますが、戦争をしなければ守れないような国なら、滅ぼされてもいいのではないですか。この立場にきちっと立たなければ、「自衛隊はいらない」とか「軍備はいらない」とか、はっきりとは言えません。

 「滅ぼされてもいい」と言うときには、そういう戦争が起きないような政治をしなければなりません。だいたい日本が外国に無理を言わなければ、日本に攻めてくる材料はないんです。資源が全然ない国ですから、他の国が攻めてこなければならないような政治を取るければ、攻めてくるはずがありません。

 しかし、今のようなアジア諸国への経済侵略の政治をしていると、軍備が必要になります。他国を侵略しようと思っているから、軍備が必要になるのです。日本が世界で一番貧乏な国でいいんだというところに立てば、武器はいらないし、世界で一番金持ちになりたければ、武器が必要になる―これが仏教の精神です。

 私たちの身のまわりには、軍事大国化の問題、靖国問題、原発問題、北陸新幹線の問題など、納得できないことがいっぱいあります。私は自分の住んでいるところで、間違っていることは間違っているとはっきり言うことにしています。普通の人は、宗教を「自分だけを守るためのもの」と考えているようです。しかし、真宗は日本人のそういう常識を超えていて、なかなかなじめないのではないでしょうか。

 教えを熱心に聞くことができても、その教えにもとづいて発言したり、行動したりすると、それがものすごく非常識な言動に受け取られてしまうのです。まわりからつまはじきされたり、うしろゆびさされたり、「村八分」にされるのではないかと思うと、立ちあがれないことがあります。

 しかし、私の村では九割方農家です。三〇年ほど前までは、毎日のように、朝めしや夕めしのあとに往き来して、みんな親戚のような気持ちで生活していました。それが、今では葬式などの儀礼的なつきあい以外は、おたがいに話をすることもなくなって、みんな自分の生活だけをしっかり守っているありさまです。このように、今日の私たちの生活は互いに孤立した「村八分」の状態なんです。

 私は、このように孤立した生活から、自分自身を解放し、共同性を回復するために、たたかわねばならないと思っています。言いたいことや言わねばならないことを、言い続けていくことに真宗門徒としての歩みが開かれてくると思っています。

 私が小松基地のファントム戦闘機の飛行差止訴訟に決起したのは、このように真宗の教えに従って、戦争反対の立場をを貫こうと思ったからです。私が兵隊に行ったのは、一九四三年で、今のヴェトナム、カンボジアでした。日本軍はヴェトナムで米の強制徴発をおこない、北部では、もともと水田であったところに、軍事用のロープに使う麻を作らせました。不作とも重なり、ヴェトナムではすさまじい食糧不足になり、餓死者が二〇〇万人も出たといわれています。南京虐殺よりもひどいものでした。このようにヴェトナム人にたくさんの餓死者が出ているときでも、私がいた日本軍の兵舎では残飯を大量に捨てていました。日本軍は直接銃剣でアジア人民を虐殺しただけではなく、間接的な形でも住民の虐殺を行なっているのです。

 日本人は日本の侵略戦争のことをあまりにも知らなさすぎると思います。石川県出身の小説家に杉森久英という人がおり、私と同年代で、おそらく戦争にも行ってきたのではないかと思います。彼は「従軍慰安婦」について「軍隊に慰安婦が伴うのは古今東西の常識」「泣き叫ぶのを容赦せず、連行されたと言うが、ほんとかしらん…、そういう話を信じて、救済だの、補償だのと騒ぐのもどんなものかと思う」と書いています。

 戦争で兵隊に取られて、やっと生き帰ってきた年寄りは、一体なにを考えているんでしょうか。靖国に祀られている者は「犬死に」だったのだと思っていないんじゃないですか。戦死者は立派なことをして死んだのじゃない―戦死は「犬死に」であるということを自覚してはじめて、生き帰った者と死んだ者とが一体になれるのではないでしょうか。

 本来ならば、戦争を最も憎まねばならない戦争体験者が、戦争を美化しているんじゃないでしょうか。そのうえ学校教育でも日本の戦争責任について教えないし、「七三一部隊展」が催されても、「気持ちが悪い」とか「恐ろしい」とか言って、ちゃんと見ようとしません。このような時代に、戦争責任を明らかにし、戦争に反対し続けるには、相当の信念が必要です。社会党の村山委員長のように、総理大臣になったとたんに、自衛隊を合憲と言い、靖国も合憲と言い、君が代・日の丸を認め、原発も容認してしまうような、軽薄な人間には出来ないと思います。

 私は、だれがなんと言おうと、侵略戦争を体験してきた者の責任において、小松基地からアジア諸国に侵略の戦闘機を飛ばさせないために、自衛隊違憲訴訟(小松ファントム訴訟)を最後まで貫きたいと考えています。

(一九九四年「小松の空から、朝鮮侵略のファントムを飛ばすな」より)
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