アジアと小松

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小松基地問題研究会

『日中戦争 南京大残虐事件資料集 極東国際軍事裁判関係資料編』(洞富雄編1985年)

2015年08月18日 | 日本軍性暴力関係原資料
『日中戦争 南京大残虐事件資料集 極東国際軍事裁判関係資料編』(洞富雄編1985年)抜萃
 
吉見義明さんが『東京裁判―性暴力関係資料』の原資料から割愛した南京事件性暴力関係は『極東国際軍事裁判速記録』(第1~10巻1968年発行)の中にあります。そしてその膨大な原資料の中から洞富雄さんが南京事件関係の原資料を抜萃して『日中戦争南京大残虐事件資料集』として1985年に発行しました。
 その中から性被害に関する証言を筆耕しました。被害者側からの証言と加害者(日本人将兵)による証言に分けて、投稿します。

(2)日本軍将兵の証言

武藤章(参謀副長)訊問調書:171p~
問:中国での残虐行為についての非公式な論議について。
答:日清戦争及日露戦争中には斯様な残虐行為は日本陸軍中にあった、ためしがありません。それは1915年日本軍がシベリアに派遣された時から斯の様な残虐行為の傾向があらはれて来たのでして…。
問:マニラ市内で戦闘があったと云ふことで貴方の兵隊に依るマニラ婦人の強姦事件の何か名分が立ちますかね。
答:斯んな事は名分が立ちません。
問:支那でも比律賓でも、非常に多くの罪もない婦人子供が殺害され又強姦されたことを知って、貴殿は良心の苦しみを感じませぬでしたか。
答:南京及マニラの残虐行為のあと、自分は両事件に於ける参謀の1幕僚でしたので、日本の軍隊教育に何か欠陥があると感じました。
問:1915年シベリア出兵後現れてきたのを貴方が気付かれたと云ふ之等の欠陥を匡正する為に、之から陸軍に入らうとしていた青年の訓育及教育にどのような改革を加へましたか。
答:日本がシベリアに派遣された当時は、私は単なる1少尉でしたから、縦令其のことを知ったにしても、何ともすることが出来ませんでした。
問:然し、貴下が軍の訓練を担当する高級副官の役に伴ふ力をもった際、づつと昔の1915年に気付かれたあの弱点を改善強化する為に、どの様な事をなさったのですか。
答:陸軍中将になった後と雖も、私は師団長でなかったから、何もすることが出来ませんでした。如何なる事を実行するにしましても、師団長とならなければなりません。
問:陸軍軍務局長となった時は如何でしたか。
答:軍務局長は単に陸軍大臣の1下僚に過ぎません。そして斯かる問題に付て命令を発する権能はありません。問:若しも貴下が師団長であったと仮定し、或は学校に於ける訓育なり教育を担当したとすれば、貴下は1915年以降承知しておられた此の弱点を改善強化するように学校に対し命令を発せられたことでせう。
答:はい(証人笑ふ)。
問:日本の兵隊の素質が低下し始めたと云ふが、シベリアに於てどんなことがあったのですか。
答:徴発と申しますか、むしろ窃盗です。そして強姦・強盗と云ふた様な事柄です。

塚本浩次(上海派遣軍法務官)証言:193p~
答:8のうち「罪種は主として掠奪・窃盗であり、強姦・傷害は少なく」とあります中で、「罪種は主として掠奪・強姦」次の「強姦・傷害は少なく」というのは「傷害・窃盗」と改めたいと思います。
問:あなたはあなたの宣誓口供書の第6節に「南京入城後、日本兵による不法事件があり」と述べられておられます。そしてあなたの口供書には「而して入場式の当日松井司令官は各部将校を集め、不法事件の発生を語り」と述べております。松井司令官はどういう不法事件が起ったとおっしゃったのですか。
答:各種の犯罪があるから、たとえば掠奪・強姦等のごとき事件が起る。これは特に注意しなければならぬのであるから、不法事件が起らぬように軍紀を厳粛にせよと、こういう趣旨でありました。
問:あなたの宣誓口述書の中で、南京入城後、日本兵による不法事件があると述べておられます。この諸種の事件はどういう種類のものでありましたか。
答:南京入城後に起りました事件は、さらに掠奪・強姦その他各種の犯罪でございます。

中山寧人(中支那方面軍情報参謀)証言:214p~
問:塚田参謀長が窃盗・殺人・暴行・強姦等の事件があったということを武藤に語ったと述べておりますが、これらの事件につきまして、あなたは何もお聞きになりませんでしたか。
答:第3の婦女子に対するところの暴行でありますが、これは小範囲において、あるいはあったかもしれないと考えておる次第であります。
答:第4の婦女子に対するところの不法行為、及び掠奪はこれは小規模にはあったと、私も考えて、はなはだ遺憾に考えております。そこでこの件につきまして、法廷で意見を述べることははなはだ僭越であり、はなはだ不当と思いますが、かくの如きことが、いかなる国においてもなからんことを世界平和のために、私は念願するものであります。

石射猪太郎(外務省東亜局長)口供書・証言:221p
 南京在住の第3国人で組織された国際安全委員会が作成した我軍アトロシテーズの詳報であって、英文でタイプされてあり、それを我南京総領事館で受付け、本省に輸送して来たものである。
問:つまりあなたの言われるアトロシテーズという言葉の内容ですね。
答:それは南京に入城した我軍による強姦・放火・掠奪というようなことを含んでおりました。
答:報告を受けた日附及びそういう暴行があった期間、日等は覚えておりませんが、70幾件事件があったというその書類は、私は受取っております。

大杉浩(第3師団野砲兵第3連隊第1大隊観測班長)宣誓口供書:235p
 上海戦の終了時頃から、上司から度々次の主旨の注意を受けましたので、私は之を部下に徹底させました。即ち、軍紀風紀を厳粛にせよ。支那民衆を愛撫せよ。国際法を尊重せよ。国際紛争を避けよ。列国環視下なるを自覚し、将兵は行動を自覚せよ。

脇坂次郎(第9師団第36連隊長)宣誓供述書:238p
 3上海に到着してからは度々松井大将の訓示が上司を通じて達せられました。即ち軍紀・風紀を厳守し、良民を宣撫・愛護し、外国権益を擁護せよと、機会ある毎に訓示され、私は更に大将の精神を部下に徹底せしめ、苟も放火・殺人・掠奪・強姦の如き非行の発生せざる様部下将兵を戒愼せしめました。

中沢三夫(第16師団参謀長)証言:249p
問:12項においては「少数の散発的な風紀犯はあったが」ということを言っております。この風紀犯というのはどういう種類の反抗でしたか。
答:難民区に侵入しようとか、あるいは支那婦人と同居しようというような、そういう程度の風紀犯であります。
問:あなたが言わんとするのは、非合法的な侵入、それから強姦というのか、それともそれをしようと試みたということを言っておるのですか。
答:試みのものもあり、強姦等多少あったように記憶しております。
問:約何件そういう強姦がありましたか。
答:記憶いたしておりません。但し少ないものであります。

飯沼守(上海派遣軍参謀長)証言:254p
 問:殺人あるいは強姦の事件のあったことを聞きましたか。答:聞きました。殺人は聞きません。問:では強姦ですね。そのことを聞いたのはいつですか。時期は覚えておりませんが、司令部が南京に入ってからであります。

小川関治郎(第10軍法務部長)宣誓口供書:256p
 自分は南京へ着く迄の間に約20件位の軍紀犯及風紀犯を処罰した。

松井石根(大日本陸軍総司令官・中支那方面軍司令官)口供書:275p
 予の南京占領に対する周到なる配慮に係らず、占領当時の倥偬(こうそう)たる状勢に於ける興奮せる一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行ひたる者ありたるならむ。これ予の甚だ遺憾とするところなり。予は南京を去る略略140哩の蘇州に於て病臥中にて、予の命令に拘らず之等非行の行はれたることに就き、之を知らず、又何等の報告にも接せず、17日南京入城後、初めて憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰をなさしめたり。但し、戦時に於ける支那兵及一部不逞の民衆が、戦乱に乗じて常習的に、暴行・掠奪を行ふことは、周知の事実にして、南京陥落当時に於ける暴行・掠奪も支那軍民の冒せるものも亦尠からざりしなり。之を全部、日本軍将兵の責任に帰せんとするは事実を誣ふるものなり。
問:「一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を南京で行った者がありたるならん」と言っております。これらの忌むべき暴行というのは何でしたか。
答:強姦とか掠奪とか、また強制的物資の徴発とかいうようなことを意味するものであります。
答:各軍隊の将兵の軍紀・風紀の直接責任者は、私ではないということを申したにすぎません。
答:私が受けておる権限は、両軍を作戦指導するという権限である。その以上には何もないのであります。従って軍紀・風紀の問題に関しては、法規上いかに私の責任を糾すべきかは、これはかなりむずかしい問題でありまして、私はここにそれを今明言することはできません。
問:(支那兵による)残虐行為の何件ぐらいがあなたに報告されたのですか。
答:それは具体的に事実を聞いたのではありません。一般のただ風説を伝えて私に話したのであります。
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