アジアと小松

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小松基地問題研究会

20100408 小松基地滑走路増設の責任を問う

2010年01月04日 | 小松基地(第2滑走路問題)
小松基地滑走路増設の責任を問う
小松基地問題研究会(2010.1.4)

 2009年5月から小松空港を発着する国際貨物便(カーゴルクス)が週2便に減便になった(2009.4.30「北陸中日新聞」)。
 カーゴルクス便の便数は1994年7月から週2便で就航を開始し、96年3便、01年4便、04年5便、05年4便、06年3便、09年2便へと推移してきた。2004年がピークであり、2005年段階で減少に転じ、2008年リーマンショックを受けて、2009年ついに週2便に逆戻りした。
 石川県(谷本知事)は1999年ごろから「小松空港の国際化」「カーゴルクス便の増便」を掲げて、小松基地の滑走路の路盤強化=かさ上げを働きかけていた。長年小松基地の強化(滑走路の延長、増設、かさ上げ)を望んできた防衛庁・自衛隊は大歓迎し、2002年仮滑走路工事に着工し、2006年本滑走路のかさ上げが完成した。
 この滑走路かさ上げの総工事費は66億円であり、約20億円は防衛庁負担、約31億円は国土交通省負担、約15億円は石川県の負担である(2006.11.21「北陸中日新聞」)。カーゴルクス便に便宜を与えるために、税金を66億円も注ぎ込んだのである。
 しかも、石川県は仮滑走路完成までの間、カーゴルクス社に運行補助金として、年間780万円を県税から支出していたのである。このように、カーゴルクス便を手厚く保護していても、小松空港に降ろされる航空貨物のほとんどは他空港に直行して、石川県内での経済効果はほとんどなかった。
 滑走路のかさ上げが完成した2006年ごろには、世界的不況、燃油高の影響で取り扱い貨物量が減少し始めた。2008年のリーマンショックで世界経済が破綻し、欧州との間での物流が止まり、2009年には週2便に逆戻りし、この2便も風前のともしびである。(2010.1.13「北陸中日新聞」)
 石川県(谷本県知事)は滑走路かさ上げの音頭をとり、防衛庁の宿願を達成するための尖兵の役割を担っただけである。(かさ上げ問題については、当時の県議会で山根県議が質問したが、谷本知事は真面目に答えなかった)

自衛隊の大量輸送のためのかさ上げ
 かさ上げ前の小松基地滑走路はコンクリート計算で32cmで、「LA-1・2」レベルであった。F4ファントム、F15イーグルなどの戦闘機や、自衛隊が保有している「C-1(最大積載量8t)」,「C-130(同20t)」などの軍用輸送機の離着陸には何等支障がないにも係わらず、防衛庁はなぜ滑走路のかさ上げ(42cm「LA-1」レベル)を歓迎したのか。
 朝鮮半島への戦争を作戦的に考えれば、小松基地は自衛隊・米軍の輸送・中継・補給基地としての役割が想定されており、大型軍用輸送機の発着が可能かどうか、小松基地の滑走路の厚さ・長さは戦争の帰趨を決する重要な要素である。
 そのためにこそ、長距離・大量輸送ができる「C-17(同77t)」「C-5(同122t)」などの軍用輸送機が離着陸できる「LA-1」レベルの滑走路を必要としており、谷本知事の提案を奇貨として、まんまと手に入れたのである。しかも同レベルの仮滑走路もいつでも使えるようにしている。

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