アジアと小松

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小松基地問題研究会

20200707読書メモ『アート・テロリスト バンクシー』 (毛利嘉孝著2019年12月)

2020年07月07日 | 読書
20200707読書メモ『アート・テロリスト バンクシー』(毛利嘉孝著2019年12月)

 戦中の作家について考えていて、戦中の落書きがひらめき、調べようと思っていた矢先に、『アート・テロリスト バンクシー』が目にとまり、とりあえず読んで、メモをした。戦中の落書きは「昭和特高弾圧史 5」のなかに、具体的に、大量に記録されている。
ブルー色の文字は投稿者の感想。

メモ
(028)イギリスブリストルで活動
(030)イラク戦争の反戦運動、パレスチナ問題、難民問題、反資本主義
(046)オークションビジネス批判、資本主義へのアイロニー
(048)バンクシー=①ロビン・カニンガム? ②マッシブ・アタックのメンバーのロバート・デル・ナシャ?
(051)グラフィティ=犯罪、非合法(イリーガル)、器物損壊
(052)人類史=人間は公共の場で自由に絵や文章を作って、他の人に見せてきました。こうした公共空間が国家や地方自治体あるいは私企業や土地所有者によって独占的に管理されるようになったのはごく最近のこと。都市に居住し、生活している多数の人々は、現在では都市で何かを表現する権利をほとんど奪われています。(←金沢市役所前広場)
(053)グラフィティライターやストリートアーティストたちの仕事は、空間から排除された人々が都市の景観を取り戻す試みです。
(055)匿名性の美学=一部の特権的な専門家に独占されているアートをすべての人々に解放するための重要な概念
(062)奴隷商人エドワード・コルストン(救貧院、学校、ホール、街頭の像)―ブリストル
(067)1980年―人種差別→セントポールズの暴動→反人種主義運動
(077)1999年~ロンドンへ。ネズミの絵=ホームレス、移民、難民。
(098)脱政治化した日本…ポップカルチャー(大衆文化)
(100)現在の資本主義(文化、メディア、情報サービス、金融、知的財産など非物質的生産に支えられた新しい経済)はラディカルなものや逸脱したもの、例外的なものを資本主義に組み込むことによって成長。(←組み込み得ないほどの対立物を!!!!)
(102)イスラエルとパレスチナの分離壁に絵(2005年8月)…バンクシー以前にナジ・アル=アリの「少年の絵」(1969年)
(120)私たちが今見ることができるミッキーマウスはいわば去勢されたミッキー=労働者階級の夢となったネズミ
(172)「道路を取り返せ」―トラファルガースクエアーのような街の中心地で、突然道路を封鎖してダンスパーティ(←金沢市役所前広場を取り返せ!!!!)
(172)国会議事堂前の花壇で農耕、バンクシー=チャーチル像に芝生(1990年代若者の運動)
(174)市民的不服従―根源的な不正に、市民として立ち向かうためには、現在の政治制度における法律を破らなければならないとき、法よりも自らの良心を優先する。
(184)落書き(グラフィティ)の歴史は古代ギリシャの時代まで遡る。2万年以上前の石器時代の洞窟。(大山『アゲインストリテラシー』)
(187)ドイツ哲学者のベンヤミン「文化財と呼ばれるものはどれも歴史の勝者たちの戦利品」
(190)ヒップポップ文化の4大要素=①ラップ、②DJ、③ブレイクダンス、④グラフィティ
(220)ウオーホル―資本主義的大量生産・大量消費にユートピア的な可能性を見た
(222)資本主義が隅々まで浸透することで、消費社会は管理社会に変容
(226)シチュアシオニスト(前衛芸術家)はかつてのマルクス主義のように生産や労働の現場で闘争をおこなう代わりに、消費や余暇の現場で闘争を生み出そうとした―1968年パリ5月革命
(230)2002年、バンクシーはエリザベス女王の顔を猿に変えた「モンキークイーン」→不敬→削除
(278)現在の資本主義は資本主義や社会が逸脱しているように見えるあらゆる過激なもの(政治的、道徳的)を素早く資本主義の中心に回収し、商品化=パンク資本主義(←絶対に回収されない対立的過激さを!!!!)
(293)日本はストリートカルチャーには不寛容
(294)落書きは都市の住民たちの「表現」。日本では都市の風景はほとんど私有化されている。建築物の持主が風景を占有。欧米では都市の風景は公的なもの(←広告)
(295)英語の「公的=パブリック」なものとは、個人にも行政にも属さない人々が集まって討議が出来るような開かれた空間。周縁化されている人々が尊重される空間。
(297)日本の都市にグラフィティが少ないということは、決して誇るべきことではない。落書きが一つもない整然とした空間にたいする志向は管理する側の視線を管理される側が内面化した結果。(リクルートスーツ)(←戦中の落書き。「昭和特高弾圧史」5を参照)
(299)ある表現がいいとか、悪いとか決めるのは、国家でも行政でも、ましてや警察でもありません。それは公的な議論を形成する市民の手に委ねられるべきなのです。そしてそれはアートの民主化であります。

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