アジアと小松

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小松基地問題研究会

20200708『石川県ゆかりの表現者と戦争 とくに、室生犀星の戦争詩について』

2020年07月08日 | 島田清次郎と石川の作家
20200708『石川県ゆかりの表現者と戦争 とくに、室生犀星の戦争詩について』 
注文 郵便振替口座名:アジアと小松 口座番号:00710-3-84795 頒価:300円(送料:180円)

目次
序 動機/①戦争と弾圧の時代/②日本文学報国会
Ⅰ 犀星の戦争詩/①随筆を対象化/②作家的原点/③プロレタリア文学への親和/④プロレタリア文学に別離/⑤政府高官との接触/
 ⑥追いつめられる犀星/⑦政府とメディアと作家/⑧戦後、戦争詩を削除/
Ⅱ 石川県ゆかりの表現者/①泉鏡花/②徳田秋声/③鶴彬/④中野重治/⑤杉森久英/⑥永瀬清子、水芦光子、長澤美津/⑦深田久弥/
 ⑧島田清次郎/⑨井上靖/⑩堀田善衛/⑪森山啓/⑫加能作次郎/⑬西田幾多郎、暁烏敏、鈴木大拙/⑭桐生悠々/
 ⑮竹久夢二、宮本三郎
Ⅲ 「戦争詩」を戦争遺産として
年表「戦争と文化関係」
付 台湾植民地支配を讃美する、八田與一「物語」
付 鶴彬―共産主義者への軌跡      

Ⅲ 戦争詩を「戦争遺産」として
 以上、犀星の戦争詩を切り口にして、石川県ゆかりの表現者たちと戦争について述べてきたが、その目的は徒にその非をあげつらうためではなく、現在はもちろん、ふたたび戦争の時代を迎えたときに、先人の誤りから学び、私たち自身の生き方を明確に措定するためである。日本では、汚い部分を隠たがり、周りはそれを見てみぬふりをすることが美徳のような「文化」がはびこってきたが、そこからの脱却こそが求められているのではないだろうか。

 「清潔さ」を求めて戦争詩を削除した犀星、思想よりも出版を大切にした大拙、祖国防衛論に屈した秋声、帝国芸術院の軍門に降った鏡花、表現の場を求めて文学報国会に参加した重治、少年少女に戦争の夢を振りまいた深田、悲しみを喜びに書き替えられた永瀬、言論を統制する側にいた杉森、子どもたちに軍事貯金を呼びかけた井上、天皇制と東亜新秩序の理論的支柱となった西田、日帝軍隊の行く先々で布教した暁烏、天皇主義で軍部を批判した悠々、精魂込めて戦争画を描いた宮本、そして曲げなかったが故に殺された鶴彬、これらの人々の人生そのものが、上田正行言うところの「戦争遺産」(『魚眼洞通信』七号、二〇一八年)であり、私たちは、この負の遺産を現在に受け継ぎ、次世代に引き継がねばならないのではないか。
歴史的背景の再確認

 宮本百合子は『昭和の十四年間』(一九四〇年)で、一九三〇年代の状況を「満州事変は昭和六(一九三一)年に起った。この事件を契機として日本では社会生活一般が一転廻した。昭和七(一九三二)年春、プロレタリア文学運動が自由を失って後、同八(一九三三)年運動としての形を全く失うに到った前後は、日本文学全般が一種異様の混乱に陥った」、「この年(一九三四年)の初頭に一部の指導的な学者・文筆家が自由を失い、また作家のある者が作品発表の場面を封じられた…。更に二年後の衝撃的な事件(一九三六年2・26事件)は、文化の危機を一般の問題として自覚させた。この時に到って作家の身辺に迫った一つの空気は前の二つの経験よりはもっとむきだしの形で生存の問題にも拘るものとして現れた。一つの息を呑んだような暗い緊張が漲ったのである」と述べている。

 その後、一九三七年盧溝橋事件からは本格的な戦争の時代がはじまり、それでも一九四〇年の宮本は、「作家は、社会的な人間としての自分を自身にとり戻して、そのことで観念の奴僕ではない人間精神の積極的な可能を自身に知らなければならないであろう。…作家は創造的な批判の精神を溌溂と発揮し、文学の対象としての人間の歴史的な個性的なその動く姿を、作品のうちに正当な相互関係で甦らせなければなるまい」と、のたうち回っていたのである。

 しかし、一九四一年、戦争はアジア太平洋全域に拡大し、抵抗の作家は執筆を禁じられ、「社会的な人間としての自分を自身にとり戻して」、「人間精神の積極的な可能」を実現し、「創造的な批判の精神を溌溂と発揮」(宮本百合子)すべき砦は崩れ去っていたのである。その時金子光晴のように、「戦争がいけないと言えるのは、戦争が始まる日までのことだ」(「コスモス」一九五〇年二月、『中心から周縁へ』より孫引き)と、あらかじめ諦めるのではなく、その時にこそ必要なことは、表現活動を保障する非合法の出版と配布網であり、それが自国内で許されないなら、国を捨て、亡命してでも発表の場を確保し、国内に向けて発信するのが、古今東西の表現者の生き方だろう。

後序
 私が関心をもって見てきた郷土の人物と言えば、島田清次郎、鶴彬、八田與一、暁烏敏、尹奉吉などであり、政治的観点から親しんできたが、ここ数年、「きくはなすの会」に顔を出すようになり、そこで犀星、鏡花、秋声らの作品に接し、ついに、犀星の戦争詩に出くわし、ようやく他の郷土作家たちの姿も視野に入って来た。

 犀星記念館や秋声記念館の御厚意で幾つかの資料をいただいて、本格的な論考を始めたが、とくに、犀星記念館の学習会レジュメ「犀星の戦争詩を考える」(一九一八年、上田正行)から多くを学ぶことができた。そのレジュメは全国的視野から犀星の戦争詩を論じており、私にはそのような知見の蓄積はなく、石川県内の表現者たちと戦争に関する概略をなぞるぐらいしか出来なかった。

 この作業に取り組みながら、戦時下を生きた表現者たちの作品を、「戦争」一点で評価することのバランスの悪さを感じてきたが、それでも、作家と戦争という観点から、それぞれの表現者の作品と戦争の関係を正面から取り上げて、批評する必要性を、一層感じている。望むらくは、それぞれの作家・作品の愛読者と研究者が、表現者の戦争との係わりをレポートし、それらを集合し、コーディネートしてくれる人の生まれんことを。

 執筆時期に、新型コロナウイルスの感染拡大によって、四月中旬以降石川県内の図書館が約四〇日間完全に閉鎖され、関係資料を閲覧できず、論考の停滞を余儀なくされた。憲法二一条および「図書館の自由に関する宣言」(図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする)は軽視され、その後も入館者の名簿作成など自由がいとも簡単に制限される現代社会のもろさが露わになったようだ。

 本論考で対象化した表現者たちが生きた「戦争の時代」と同じ時代状況が指呼の間にあることを痛感している。

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