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小松基地問題研究会

メモ/歴史の教訓

2014年12月19日 | 歴史観
メモ/歴史の教訓

 『西洋人の見た朝鮮 李期末期の政治・社会・風俗』(金学俊著 2014.12発行)を読んでいて、ジョージ・サンタヤナ(哲学者)の「歴史的教訓を忘れる民族は、歴史の過ちをくりかえすものである」という言葉が気になった。

 通常この種の格言を引用するときは、西ドイツ大統領ヴァイツゼッカーの「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目(ママ)となる」を引用するのだが、金学俊さんはあえてジョージ・サンタヤナの言葉を選んだ。

 ジョージ・サンタヤナについて、インターネット検索で調べて見ると、
 アメリカの哲学者、詩人、評論家。両親はスペイン人。 1872年渡米。ハーバード大学で W.ジェームス、J.ロイスに学び、1886年卒業。 1889年から 1912年まで同大学哲学教授。実在論とプラトン的観念論の調和を哲学の課題とした。著書には「理性の生命」「美の感覚」「最後のピューリタン」などがある。1952年死去。

 粉川哲夫さんによれば、
 サンタヤナ自身が『The Life of Reason』(第1巻1905年発行)のなかで「過去を記憶できない者は、過去をくり返えさざるをえない」(Those who cannot remember the past are condemned to repeat it )と書いているが、ここでいう「過去」は必ずしも「歴史」のことではなく、人間の精神の発達段階のことを言っている。彼の言葉は、知ったようなことを言うための権威付けに使われている。

 それにしても、サンタナヤの言葉はヴァイツゼッカーの言葉や、『論語』の「温故知新」、『易経』の「彰往察来」と同様に、過去と現在と未来の関係を省察するために、今日の私たちに警告を発しているように感じる。

<ヴァイゼッカー 西ドイツ大統領>
 過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目(ママ)となる。
 非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険に陥りやすい。
 1985年5月8日の連邦議会における演説の中の一節。

<往彰来察 易経「繋辞下伝」>
 往(おう)を彰(あきら)かにして来(らい)を察す
 過去を明らかにし、現在を把握し、それをもとに未来を察知する。
 人類はいろいろな歴史を経験してきている。その集合知とも言える歴史的教訓から、これから起こる未来のことを察知していかなければならない。同じ間違いを繰り返していたのでは、そこに発展はない。

<温故知新 『論語(為政篇)』>
 孔子が師となる条件として、先人の思想や学問を研究するよう述べた言葉。
 「子曰く、故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし」と訓読。
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