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小松基地問題研究会

室生犀星出生の謎について

2016年07月31日 | 島田清次郎と石川の作家
室生犀星「出生の謎」について

 小林弘子さんの『室生犀星と表棹影―青春の軌跡』(2016年8月)に収められている「数奇な出生と生いたちをバネに」は犀星出生の謎について書いていますが、私なりに整理をしてみたいと思います。

<疑問>
 19ページの「貞一報告」の引用によれば、「明治24年(1891年)のもので、…吉種66歳、生種29歳、珠21歳、悌14歳、菊見2歳」となっていますが、吉種の生年は1826年(文政9年)であり、1891年(明治24年)の吉種は満年齢65歳、数え年66歳ということになります。この時2歳の菊見は1889年生まれということになります。

 ところが、22ページ3行目には、「(初は)…明治20年(1887年)から小畠家に入り、吉種と内縁関係となり、同年10月まさ没後も…」と書かれており、妻まさは1887年(明治20年)10月に亡くなっており、菊見の生年が1889年(明治22年)だとすれば、妻まさ死後に生まれたことになり、矛盾します。

<疑問解消>
 『犀星事典』(2008年)によれば、生種の妻が珠(1870年生)で、ふたりの子に悌(1888年生)、菊見がいるということでした。

<3つの生母説>
 小林さんは「佐部ステ説」「山崎千賀説」「池田初説」を紹介しています。
 犀星の「実父」とされている小畠吉種は1826年に下級武士の家に生まれ、妻まさとの間に長男生種(なりたね)、珠、悌、菊見を産み、妻まさは1887年(明治20年)に亡くなっています。そして、犀星が生まれた年はまさ死後2年目の1889年(明治22年)です。

 犀星が生まれた1889年(明治22年)は、吉種63歳です。第1説は佐部ステ説です。佐部ステは妻まさが亡くなったあとに、女中として小畠家に入ったのですが、妻を亡くして(1887年10月)、独り身の吉種と懇ろになり、犀星を宿し、1889年33歳の時に犀星を産んだことになっています。
 中野重治(「出生と出発」1964年)によれば、「生母ハル(ステ)は吉種死亡のその日に行方不明になった」と書いています。

 第2説では、妻まさ死後(1887年10月)、吉種が富山県伏木の遊郭に通い詰めて、20歳前後の芸妓千賀と懇ろになり、妊娠した千賀を伏木近郊の横田村に転居させ、そこで犀星を産んだことになっています。

 2010年に酒谷務さん(能美小松郷土史の会)は「犀星は山崎ちかの連れ子。…小畠吉種の実質上の後妻?」「犀星は高岡時代の小畠生種(なりたね)と山崎ちかとの間に出来た子である」とも書いています。生種の子を連れて吉種の後妻になったと言いたいのでしょうが、推理・推測の域を出ていません。

 第3説では、吉種の妻まさの妹千代の娘=池田初は19歳の時にまさ看病のために小畠家に来て、まさの死亡(1887年10月)前後に吉種と内縁関係になり、1889年に犀星を産んだことになっています。妻の看病のために来てもらった20歳前後の娘に手をつけるという、何という無節操なじじいではありませんか(吉種の戸籍上の年齢は62歳ですが、実年齢は66歳)。

 犀星の出生を云々するのならば、下級武士出身の吉種らによる女性差別の世界(一盗二婢三妾四妓五妻)をえぐり出すくらいのことは必要なのではないでしょうか。

 吉種が72歳で亡くなり(1898年)、その後も1906年までの、都合約20年間、池田初は小畠家で起居しています。その後結婚して北海道に渡り(38歳)、ふたたび金沢に戻り、1930年に亡くなりました(62歳)。

 著者小林さんは犀星は吉種の長男生種と初との間に生まれたのではないかと、想像をたくましくしています。生種は27歳ですが、すでに家を出て、富山県で教員生活をしており、あまり可能性がないのではないでしょうか。むしろ、生種と山崎千賀との接点はあると思います(酒谷説)。

 いずれの説も決定的根拠はなく、犀星の生母は不詳です。『室生犀星』(新保千代子著)も参考にしました。

室生犀星の家族
1826年(文政9年) 小畠吉種―出生(父:弥五郎)―実生年は1822年
1856年(安政3年) 佐部ステ―出生
1862年(文久2年) 小畠生種―出生(吉種36歳)―1945年死去
1868年(明治元年) 林千賀―出生(金石)→伏木の山崎に入籍
1868年(明治元年) 池田初―出生
1870年(明治2年) 中村珠―出生→生種と結婚(1885年)
1883年(明治16年) 生種(21歳)―新湊篤新小学校勤務
1887年(明治20年)頃~山崎千賀芸妓
1887年(明治20年) 池田初19歳の時、吉種の妻まさ看病のため小畠家に入る
1887年(明治20年) 妻まさ死去(10月、吉種61歳)
1887年(明治20年) 佐部ステ…女中として、小畠家に入る→1898年行方不明
1888年(明治21年) 小畠悌一―出生
1888年(明治21年) 吉種転居
1889年(明治22年) 小畠菊見―出生
1889年(明治22年) 山崎千賀(21歳)→伏木近郊の横田村に転居
1889年(明治22年) 犀星―出生(吉種63歳)
1891年(明治24年) 吉種(65歳)は独居、生種は富山で生活(小畠貞一の報告)
1891年(明治24年) 山崎千賀は金沢市上新町に転居→林千賀にもどる
1898年(明治31年) 吉種死去(72歳)→生種―石川県に戻る
1906年(明治38年) 池田初(38歳)結婚→北海道→金沢市上新町
1930年(昭和5年) 池田初死亡(62歳)
1939年(昭和14年) 山崎千賀死亡(福島県)
1962年(昭和37年) 犀星死去

※ 同書に採録されている「冬―差別される者への視線」は非常に残念な内容でした。
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