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小松基地問題研究会

20240319 島田清二郎「公娼廃止乎否乎」について

2024年03月19日 | 島田清次郎と石川の作家
20240319 島田清二郎「公娼廃止乎否乎」について

 

 1915年、島田清次郎16歳の時、『雄辯』2月号に掲載された「公娼廃止乎否乎」のコピーを国立国会図書館から入手した。論中で、島清は、山室軍平の公娼廃止論を①遊女の奴隷的地位に同情、②国家の体面、③風教(道徳)上の害にまとめ、それは「徒労・無用の事」として、切り捨てている。

 の主張にたいして、島清は、遊女は束縛を受けておらず、楼主と遊女の関係は「親子関係」のようだと言う。しかし、それは女衒によって困窮する地方から買い集められてきた女性(遊女)をつなぎ止めるための擬制的な「親子関係」であり、大きな借金を担がされた遊女にとっては、楼主との関係を疎か(対立)にすることはできず、屈辱的な状態を甘受しているに過ぎない。

 続けて島清は、公娼を廃止すれば、遊女が失業し、生きていけなくなるので、「即廃止論」には与しないという。島清は幼少期から遊廓を生活の場としており、遊女たちの苦悩を痛いほど知っている。だからこそ、島清は「公娼廃止」によって遊女たちの生活が根底から破壊されることを恐れているのである。

 ならば、公娼を国家容認の性奴隷制である事を厳しく指弾し、遊女の生活を保障しながら、廃止していくという論を立ててほしいものである。(石原歩の『公娼制度と救世軍の廃娼運動一考』(2013年)には、「山室軍平の廃娼運動は娼妓の自由廃業を促し、廃業後の衣食住の確保、就労への支援などを行った」と書かれている)

 について、島清は西欧コンプレックスを払拭せよと主張している。西欧にも愚かなところがあり、それに追随することなく、主体的判断で臨むべきだと主張しているようだが、西欧の性奴隷制については論述していない。

 の道徳上の問題であるが、「遊廓は青年を堕落させる」論については、一般論として、堕落への道は遊廓だけではなく、その青年の資質によるとして、公娼制度容認論を展開している。その上で、島清は「存在するから必要」という論を立てているが、現実追認論であり、いただけない。「社会が不必要とすれば、遊女は必要なくなる」というが、その社会とは島清を含めて成立している社会であり、島清自身が「不必要」と声を上げてこそ、「社会の声」となるのではないか。

 こうして、島清は公娼制度が社会進歩の過程で、自滅していくことを期待して、筆を置いており、16歳の島清は論理矛盾に陥っていたが、数年後の島清は「地上」第1部(1919年)、「早春」(1920年)、「帝王者」(1921年)、「地上」第3部(1921年)、「閃光雑記」(1921年)などで、この矛盾を突破している。抜粋して、この論を終えよう。

『地上』第1部(1919年) 
 (062)「村の機織工場の女工、街の莨(たばこ)専売局の女工、彼女の少女から青春時代はさうして送られた。…彼女は23の時に娼婦になった。それは彼女にとってパンを与へる職業であり、…」。

『地上』第2 部(1920 年)
 (278)「この東京には、現在この日本には、この地上には食ふ米がなくて死ぬ有為な人間がゐるんだ。食ふ米がなくて純潔な娘が淫売婦になるのが多いのだ。これをどうする! その淫売婦や芸者を金のあるのらくら者が踏みにじるのだ! これをどうする! ほっておけないぢゃないか。君は永遠の生と云ひ、自己の救済と云ふ。それもよかろう。…ただ、とにかく今の時に於て人類が要するもの、人類が求めるもの、一つの革命を全うしずにはをれないのだ。それが平和のうちになしとげられれば己達は実にうれしい。そしてその革命の地均しののちに建設される文明こそ真の人間力の総合であり、真の文化であるのだ。」

『早春』(1920年)では、
 (339)「無理に淫売しなくてはならぬやうにする遊野郎や、ガリガリ亡者を何故罰せないのか。罰金も拘留も当然うくべきものは女性ではなく『悪い需用者』である」、(344)「楼主達は…いいかげん、生きた人間の血をしぼる稼業を止したらどうですか」と、島清は激しく追及している。

『帝王者』(1921年)のなかで、
 (134)音羽子「兄さん、あなた方の男と女との間に関する考へ方は大へん間違ってゐると思ひますのよ。私は考へます。男と女はあくまで対等でなくてはならず、あくまでお互に自由で独立者で、何れが何れにより従属的であってはならないと考へます。私と清瀬との間を、今の世の男女関係や、今の世の恋愛関係や、今の世の夫婦関係と同じい標準で見ないで下さいな」、(150)染菊「12の歳に故郷の金沢の街を離れてまる5年の間、1日も真実にしみじみうれしい心持に打ち寛ろいだことのないわたしでございました。くる人もくる人も、会ふ人も会ふ人も、恐ろしい残酷な、表面ばかり柔和でお世辞が巧者で、それでゐて、夜になれば、恥づかしい浅ましいことのみしてゆく男ばかりでございました。…世間の男達は、芸妓といふものは、金で自由になる、自分達の卑しい色慾の玩弄物としか見てはゐません」。

『地上』第3部(1921年)でも、
 (255)「ああ、吾らの生命を束縛することなからしめよ。…吾等に一人の淫売婦なからしめよ。吾らすべてに心地よき家と、夜具と部屋と、滋養分と、清浄なる衣服とを与へよ、…汝ら市街の政治家よ、…実に汝等は宇宙生命の奪取者であるからである。汝らは地獄に堕つべき輩である。汝らは実に地獄に堕ちてゐるのである。…(削除)…。愛する人よ、白刃か、然らずんば、しばしの間涙を堪へて微笑せよ。」と叫び、遊廓に売られてくる女性たちの悲惨に肉迫している。

『閃光雑記』(1921年6月)
 (046)「公娼廃止をとなへる人よ。その如何に廃止せねばならぬ大きな制度の存在を知ってゐるか」。(069)「今日の売淫は、人間から、性欲だけを抽象したる現象。すなわち商品」。

『雄辯』1915年2月号 「公娼廃止乎否乎」金沢市 島田清二郎

 余は遊女屋の息子なり。
 余の父は遊女屋の主人、余の母は遊女屋の女将、而して余は其の息子也。遊女屋の飯を食ひ、遊女屋の空氣に養はれたる余は、今も雄辯壇上に立ちて、遊女廢存の事を議せんとす。又感慨なき能はず。余は遊女屋と云ふ者に對し、一方ならぬ理解と、一方ならぬ同情を有し此の理解と此の同情とか以て、此の論が解決せんと欲する也。淺黄の暖簾と南部鐵の天水桶(注1)、此等の間より見ゆる白粉の香に咲く女の顔! 萬人に膚を許し、萬人に枕を交はす浮川竹(注2)の遊女は、抑々何時頃より初まりし現象なりや、遠き元和三百年の昔、相模の人庄司甚右衛門と云ふ者、日本橋葭(よし)町に葭原なる遊郭を建てゝより以来、人間の止め難き強烈なる慾求と、戦乱の後を受けたる甘き太平の夢とは、兩々(注3)相俟つて柳暗花明(注4)の巷を盛大ならしめたり。元禄の、流れて止まぬ榮華の潮は、終に其の極度に満ち渡りて、殘れる者は精神の困廢と肉の靡亂、幕府は國家の大事と驚愕し、威令を以て遊郭破滅を企つるの止むなきに至れり。然るに事は意外の方面に發展せり。曰く私娼の跋扈。一難去って一難來る。幕府は一時策の施す可きを知らざりき。私娼!私娼!弱き者は女なりき。遊女の職を去るは、生活の不安を意味せるなりき。遊女は威令を以て禁止されぬ。我がなすは私娼。之當時の遊女の狀況なりき。明暦三年、櫻花爛漫の春の頃、幕府は終に現今の吉原の地に、新たに遊廓を設置せざるを得ざるを得ざりし也。あらゆる必要と要求に迫られて立てられたる吉原一廓よ! 三百年の久しき間、世は移り人は變れど、獨り變らざるは人の子の本能なりき。かくて吉原は榮へ、三百諸侯の各城下にも、亦是に模するもの數ふ可からざるに至りき。かくして、我日本は今日大正の御代に至る迄、依然「女ならでは世のあけぬ國」なるを失はざりし也。鎖(とざ)されたる窓は開かれたり。西欧文華の輸入、西欧思想の輸入、輸入したる文華と思想は漸次に靑年間に消化されぬ。
 勃然として起れる個性自覺の聲! 其の聲は、幸か不幸か公娼問題に突進せり。山室軍平の名は直ちに公娼廃止を思はしむる程、余輩(注5)靑年の耳に目に、口より筆より、其の叫びは注がれたり。而して其の説く處、一に遊女自身の奴隷的地位に同情し、二に、國家の體面を説き、三に、風教(注6)の利害を説き、其の奮闘、其の精勵、其の熱誠、眞に感銘に堪えざるものあり。さり乍ら、余は余の意見よりして、遊女廃止は寧ろ徒勞の業、無用の事なるを知る。即ち彼ら一涙の熱誠を認めつゝも、敢えて反對する所以にして、遊女を理解し遊女に同情するが故なるや素より也。
 第一に彼等遊女は決して他より見る如く非常なる束縛を受くるものにあらず。又彼等自身決して苦しと思ふ者にあらず。楼主と彼等の間は、親子の如く親密也。只、一度自由廃業者が説く如きは、廃業者自身の虚栄心乃至何等かふくむ處ありての故也。殊に況んや人情の常として、他所に御馳走に行きて、たとへ不味くとも不味しと何ふ(注7)者何處にありや。前借は既に莫大なる金額に上り、然かも月清き夜、星きらめく夕、常にお茶引きのみにては楼主への気兼、えゝまゝよ。と救世軍などに走りし遊女の果てにして、如何で遊女生活の趣味多く、自由なるを語り得ベきぞ! 素より人生は嬉しき事のみあるものにあらず。快樂の裏に悲哀あり、辛苦の後に安樂あるは、三才の童子と雖知る處、遊女豈憂患(注8)なからん哉。さはれ、其憂患は人として生ける者の共通なる者也。獨り遊女のみにあらざる也。
 即ち遊女は遊女の現在に満足し居る也。何を好んで彼等の平和を攪亂すべきや。今、一歩ゆづりて遊女は或る不安を彼等の胸に感じ居るとせんか。然らば彼等遊女を廃止すべきか。識者よ、試みに其の前途を慮(おもんぱか)り見よ! 彼等は女也。弱き者也。一朝にして何千萬の女、野にはなたれたる時、あゝ其処に衣食の道ありや。其処に職業の餘(注9)ありや。哀はれ彼等はより以上に惰落せる私娼の群に投ずるや火を見るより明らか也。彼等をして彼等の位置にあらしめよ。之れ彼等に同情する所以たらずや。或は言はん、吾人(わたくし)は人道の上より公娼を許す可からずと。肉を賣る蓋し人道の上よりいはゞ、忌む可きことなれど、然らば何故に私娼より初めざるや。私娼は公娼より●ろ(注10)其の仮面を被る點に於て一層嫌悪すべきにあらずや。
 第二に国家の體面に毫もかゝはることなしと信ず。西欧人士一二の言何するものぞ。西欧の實情に明るき人は、海の彼方、文明の假面被る處、より以上に、愚なる事實を發見せん。罵る者をして罵らしめよ。我は只、かゝる方面に至る迄飽迄生一本な飽迄眞面目な、而して飽迄男らしき態度をほこる可し。公娼は形式を虚榮にとらはれたる西欧先進國に能ふる三十棒(注11)たるを知らずや。
 第三に風教(注12)上に關する理由也。公然遊女を置くは教育上影響悪く、靑年をして惰落(ママ堕落)せしむる機會を作るとは廢止論者の説く處也。余は我國國民教育は左様な薄弱なる者ならざる可きを信じ、同時に遊廓に足を運ぶが如き靑年をして自由に遊里に足を運ばしめよと叫ばんのみ。遊女によりて肉の洗禮を受けざるを得ざる程の靑年は、たとへ遊女なくとも何かの機會によりて惰落(ママ堕落)す可し。我國靑年は遊野郞迄をも用ひざる可からざる程、人物缺乏を憂ひ居らず。遊野郎(注13)は遊廓なくも遊野郎なり。彼等は人間の屑なる也。
 殊に、現代精神文明發達は靑年に輿ふるに個人の自重と、自信を以てせり。あゝ自覺したる靑年! 余輩は自信を以て遊女の存廃は現代靑年に何等の影響をなさずと断言すべし。寧ろ彼等憐む可き遊女のために、又哀はれむ可き社會衆愚のために、公娼を存置せよ。
 存在は必要を意味す。現今の遊廓、公娼を自然のまゝに放任せよ、現在の遊廓、公娼をあく迄現在のまゝに委任せよ! 適者生存、若し眞に遊廓にして社會にとりて不必要ならば、或は社會全體が向上し自覺して、社會自身其不必要を認むるならば遊女は何時かは消滅す可し。若し眞に社會に不必要でもなく、又社會が自覺せざるに廢せんか、其の存置の欲求は、他の方面に表はれて又収攬(注14)すべからざるに至らん。
 遊廓遊女を現在に放任せよ! 而して問題を根本に返らしめよ! 根本とは何ぞや。社會に遊女の不必要なるやうにする是也。社會をして遊廓の不必要を自覺せしむる是也。余輩は自覺せる現代の靑年がやがては國民となり、社會の一員となる時、必ずや其自覺の起る可きを疑はざる也。而して此自覺の社會の一面にみなぎる時其の時こそは遊女も遊廓も自滅するの時也。
 遊廓公娼は存置して可也。只タイムの経過を待つ可きのみ。之相互の幸福なれば也。
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注0:国立国会図書館でコピー。可能な限り、旧漢字体にした。●印:判読不明文字。
注1:【天水桶】日本の伝統的な防火水槽である。雨水を貯めるための容器で、江戸時代には主に都市部の防火用水として利用された。
注2:【浮川竹】定まりのない、つらいことの多い身の上を、水に浮き沈みする川辺の竹にたとえ、「浮き」に「憂き」を掛けた語。遊女の境遇をいう。
注3:【兩々】読み=りょうりょう。意味=二つある、その両方とも。あれとこれと両方。
注4:【柳暗花明】:春の野が花や緑に満ちて、美しい景色にあふれること。また、花柳界・遊郭のことを指すこともある。
注5:【余輩】一人称の人代名詞。わたし。また、われわれ。
注6:【風教】徳によって人民をよい方へ導くこと。
注7:【何ふ】=「どふ」と読むが、「云ふ」の間違いか。
注8:心配して心をいためること。
注9:【餘】:音読み=よ。訓読み=あまる、あます、われ。意味=必要な分をこえて残る。引き続いてあとに残る。あまり。
注10:原本が不鮮明で「掛ろ」と読めるが、文脈上は「寧ろ」と読むのか。
注11:【三十棒】禅宗で、師が修行者を警策で激しく打って、正しい道へ教え導くこと。厳しい教導。痛棒。
注12:【風教】徳をもって人々を教え導くこと。風習。
注13:【遊野郎】「遊冶郎」の間違い。意味=酒色におぼれて、身持ちの悪い男。放蕩者。道楽者。
注14:【収攬】読み=しゅうらん。意味=人の心などをとらえて手中におさめること。

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