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小松基地問題研究会

天皇「生前退位」ビデオメッセージを考える

2016年08月10日 | 教育、憲法、報道
 天皇「生前退位」ビデオメッセージを考える

 今回の天皇ビデオメッセージはまるで「玉音放送」のようだ。
 日本国憲法のもとでは、天皇は「個人」ではなく国家機関(象徴)である。主体的に見れば、戦後革命の敗北によって、天皇制に終止符を打つことが出来ず、天皇制に「民主主義」を接ぎ木することを許容してしまったことがそもそもの問題なのである。

国事行為から逸脱
 民主主義を実現しようとしている私たちの社会にあって、特定の人物が国家機関のひとつを「世襲」することそのものが間違いなのである(「世襲議員」さえ批判されている)。しかも天皇の行為(発言)について、憲法は厳密に「国事」に限定しているにもかかわらず、今回の発言は明らかに「国事」から外れている。なぜなら今回の行為(発言)は「主権の存する日本国民の総意」に基づいてはおらず、しかも憲法や皇室典範の規定の変更を要求(指示)する内容を含んでいるからである。

 今回の行為(発言)は「国民の総意(内閣の助言)に基づく」国事行為ではなく、「天皇(個人)の意思」を前面に押し出している。そもそも天皇は日本国憲法に規定する「国民」ではないから、天皇による「個人の発言」などありえない。これを天皇の個人的な発言だと強弁するなら、天皇は憲法違反を犯したことになる。

天皇制を打倒するまで
 天皇は皇太子として生まれてから今日まで、身分的特権としての天皇(皇族)を受け入れてきたのである。そして、日々苦労を余儀なくされている人民(国民)とは違う身分として、自己を認識し、生きてきたのである。いまさら、疲れ果てたから天皇をやめて、息子に譲位して、穏やかな老後を過ごしたいなど、厚かましいにもほどがある。私たち(国民の総意)が天皇制を打倒するまでは、「天皇制護持」のために血反吐にまみれながら生きるがいい。

今回の「退位」の狙いは何か
 第1に、戦後日帝の政治的統治能力をカバーするために、天皇(制)を政治的に利用し、その結果老いさらばえた天皇によって支えられている天皇(制)が極限・パンク状態に陥っている。「生前退位」によって皇太子に譲位し、天皇(制)の若返りを図り、統治能力を高めたいという意志が働いている。あわよくば、前後生まれの天皇を「戦争をする国」の元首に擁立したいのではないか。

 第2に、天皇の死が間近に迫り、長期にわたる葬儀・代替わり儀式が日本経済に重圧必至の状況を回避するために、代替わり儀式の簡略化によって解決したいという意志が働いている。

 第3に、天皇「生前退位」のために、憲法の天皇条項や皇室典範を改変することによって、9条改憲への手がかりにしたいという思惑が見えてくる。(逆に、皇室典範の論議が改憲を困難にさせるという報道もあるが)

天皇制の強化と対決
 マスメディアでは天皇への「同情」の洪水の一方で、「何かあれば天皇自身がメッセージを出せるということが、利用される可能性」「国民から…議論がおきて制度が変わるのではなく、意向が急に漏れ伝わって議論が始まったのは不自然」(明大3年生)、「最初の報道を宮内庁が否定し、…政治的な動きに引っ張られて話が進んでいる」(高校2年生)、「将来、外からの圧力で天皇が退位させられたり、天皇自身が時の政権に不満があって退位したり…」(中大院生)などの意見を紹介している。

 8・8玉音放送と国威発揚の五輪報道が暗雲のように日本をおおっているが、それは原発再稼働、沖縄新基地建設などと一体のものとして進行している。私たちの政治選択が問われている。

(とりあえずの感想である。今後考察を深めたいと思う)
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