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小松基地問題研究会

2024042島田清次郎「婦人参政権論者の幻滅―最近のパンカースト夫人」

2024年04月21日 | 島田清次郎と石川の作家
 

【論考】「婦人参政権論者の幻滅――最近のパンカースト夫人」
(1923/2『婦人公論』  嶋田清次郎)

 Aさんから『婦人公論』1923年2月号(注1)に掲載された「婦人参政権論者の幻滅」(PDF)を送っていただいた。この号は金沢玉川図書館の小林輝冶文庫(35149)にも蔵書されている。

 1922年4月から11月までの半年間の洋行後、島清は「仏蘭西社会運動概勢」(1922年)、「鍬に倚れるマークハム」(1923/1)、「婦人参政権論者の幻滅」(1923/2)、「新しきインタナショナルの発見と成立」(1923/4)を執筆しており、これら4作品をまとめて洋行後の島清の問題意識を解明する予定だが、ここでは「婦人参政権論者の幻滅」だけを取り扱うことにした。

 島田清次郎が1922年洋行(春~11月帰国)時のイギリス滞在中に、女優のマーガレット嬢(注2)や戦闘的女性参政権論者のシルビア・パンカースト夫人(注3)に会い、婦人参政権について議論したことをテーマにした論考である。男性にさえ、一定の納税がなければ参政権(注4)を与えない日本で、島清も婦人参政権の論陣に加わっていたのである。

マーガレットは語る
 「古い時代に国民の中にある特定の者にのみ政治権を与へてその階級以外の者を政治上の無能力者としてゐましたが、そんな制度は今日世界中至る處に排斥せられて、国内の人民はすべて均しく政治上の権利を有するやうになつて来てゐます。この際、国民中の婦人全体を政治無能力者として政治上から排斥して参政権を与へなかったり与へないのは、恰度労働者団体、農民全体、商業従事者全体を政治上の権能から駆逐してこれに参政権を与へないのと同じことです。婦人と男子とを均等の地位におき、これが学校教員となり、これが行政官となり、これが国会議員となる場合に、男子と同じい機会を与へることはあたりまえのことぢゃありませんか。…婦人は別に精神上にも身体上にも男子に劣ってゐるどころか、場合によっては男子に勝ってゐると思ひます。」

 「女子は内にあって一家を治め男子をして後顧の憂ひなからしむることを以てその任務とすべきであるといふ反対論は全然あやまってゐます。殊に近代になって諸国に於いて一般民衆の生活難が増加して来て、…自己の生活の資料を求めるために毎日外へ出てあるひは工場にあるひは農場にあるひは官署や商館に男子と同様に労働をしなくてはならないのです。…かういふ時代に、女子は内にあつて家政を治めてゆくを天賦となし、外へ出て活動すべきものではないなどゝいふそんな旧式な封建時代の法則にしたがつてゐられるわけはありますまい。これらの労働婦人には、外に於いて労働する男子と同等に男子と同じい参政権を与へるのは当然のことであり、同時に、…家政に従事してゐる女子にも、…参政権を与へるのは当然ですわ。」

パンカースト夫人の幻滅
 島清はパンカースト夫人の事務所を訪問し、ドアーをあけると、本棚の『資本論(Capital)』が目にとまる。片言交じりの会話が進み、日本に於ける婦人運動の現状を聞かれ、島清は「どうも、かうも男子の普通選挙(注4)さへ実施されてゐないのですから、わけて婦人のことなど、別にどうもなつてはゐません。私が日本を発つ時、議会で婦人の政治上の集会の主催または集会を禁じてあつた法律(注5)の一項がやうやく削除された(注:1922年)位ですから」と答え、議会政策を肯定して議会に対する運動を継続してゐる一派と議会政策を否定して直接経済上の革命を要求し、政治運動といふよりも労働運動に向かつている人々がいると説明している。

 「今日、世界では濠州の英領自治植民地、北米合衆国、瑞典(スエーデン)及諾威(ノルウエイ)、近年からは英国、独逸、ポーランド、チェッコスロバキア、その他の国々に於て婦人に参政の自由は与へられているのである(注6)。日本などが今更治警法の『女子及』の三字をけづつてゐるのは、いさゝか滑稽でもあり、殊勝でもあり、何しろ子供だましみたいなことでもある。」

 イギリスでも、学者的穏健派と戦闘的婦人運動の二派があり、後者に属するパンカースト夫人は「議会や選挙は無意味です。有るも無いも同じことです。…私は議会制度と議会政策には絶望してゐます」と、つづけて「議会政策に絶望した私は、ソヴイエツト・ロシヤに大きな希望をかけたのですが、それも幻滅でした。もう世界を救ふものは第三インターナショナルではありません。第四インターナショナルです。」と言う。

 島清によると、「第1次世界大戦(1914年~)に突入するや、イギリスでは破壊的直接行動は、一変して熱烈なる愛国運動となつてしまつたのである。…募兵運動の別働隊となってしまつた。」と書き、「愛国運動」「募兵運動」と引き換えに、1918年には、30歳以上の婦人に選挙権が付与されたが、パンカースト夫人らは満足せず、第四インターナショナルへと向かったのである。

島清の真骨頂
 ここで、島清はパンカースト夫人や第四インターナショナルを肯定的に評価し、『新潮』4月号には、「新しきインターナショナルの発見と成立」(注7)という論考を発表している。

 島清は、パンカースト夫人の言葉を借りながら、「民衆の間に共産主義思想を普及すること」、「国会議員の選挙被選挙を全然否定することゝか、労働党や改良主義者との協同を拒絶することゝか、哀れな姑息なる制度に過ぎない労働組合から労働者を解放することゝか、プロレタリアン・レボオリユシヨンのために用意すべくあらゆる生産と分配と管理の組織にソビイエツト組織又は労働者会議を建設すること」などを挙げ、「私共が自ら手を下さなくては、卓上の茶碗一つだに動きはいたしませぬ。徒らに口にへ理屈を称へて空虚なる騒ぎをするのは、もとより浅ましき沙汰である」と『婦人公論』の読者数十万人にたたかいを呼びかけている。

 『婦人公論』1月号では、平塚らいてう(注8)は「如何なる道を選ぶべきか」のなかで、「今日の家庭の一切の害悪の根源が現制度の中にある以上、家庭の根源的改造は現社会の改造にまたねばならのは言ふまでもないことで、私共が考えてゐるやうな十分な意味での理想の家庭は、今日の資本主義的産業組織とこれに伴ふところの私有財産制度が破壊され、経済力が今日もつところのあの万能力を失つた最も完全な意味での共産主義的理想社会の中に於てでなければ生まれては来ないでせう」と結論づけ、「理想社会に到達すべく、如何なる道を選ぶべきか」と問うているように、日本での女性解放論は革命論として確立しており、島清もその戦列に並んでいるのである。

 だが、島清が洋行報告で、婦人参政権論をぶち上げた2カ月後の4月には、舟木芳江さんとの恋愛事情を警察沙汰にされ、マスコミのネタにされ、失脚の坂を転げ落ちていくことになった。そして、関東大震災で家を失い、路頭に迷う島清は精神疾患を発症し、庚申塚保養院に幽閉され、1930年4月29日、31歳で亡くなったのである。

 
(注1) 1911年(明治44年)に創刊された雑誌『青鞜』がきっかけとなり、女性解放運動が盛んになった。これにたいし、文部省は反良妻賢母主義的な出版物の取締を厳しくおこなうようになり、発禁処分になる雑誌もあった。女性の地位向上や権利拡張をめざし、1916年『婦人公論』が創刊された。実用記事をほとんど載せず、女性解放・男女同権をめざすインテリ向け女性評論誌だった。1918年3月から1919年6月まで、母性保護論争の舞台となった。

(注2) Wikipediaによれば、当時のイギリスで、マーガレットという名の女優としては、1892年生まれのマーガレット・ラザフォードがいるが、初舞台を踏んだのは1925年のオールド・ヴィック・シアターで、33歳の時であったというから、ラザフォードのことではないであろう。

(注3) Wikipediaによれば、 Sylvia Pankhurst(1882~1960 当時41歳):イギリスの婦人参政権活動家、社会主義者。のちに、左翼共産主義者、反ファシズムの活動家となった。Emmeline Pankhurst(1858~1928、当時65歳)はシルビアの母。

(注4)衆議院議員選挙法(1889年公布)
   選挙人について「男子にして年齢満25歳以上」であること。選挙人名簿への掲載から満1年以上府県内で直接国税15円以上を納めている者であること。1925年に普通選挙法成立

(注5)治安警察法(1900年制定)
   第五条 左ニ掲クル者ハ政事上ノ結社ニ加入スルコトヲ得ス/一、現役及召集中ノ予備後備ノ陸海軍軍人/二、警察官/三、神官神職僧侶其ノ他諸宗教師/四、官立公立私立学校ノ教員学生生徒/五、女子/六、未成年者/七、公権剥奪及停止中ノ者/同条二項 女子及未成年者ハ公衆ヲ会同スル政談集会ニ会同シ若ハ其ノ発起人タルコトヲ得ス/※上掲条文は、1922年(大正11年)4月20日改正前のもの。

(注6)世界の女性参政権獲得年
  1893年 ニュージーランド/1902年 オーストラリア/1906年 ロシア領フィンランド
  1913年 ノルウェー/1915年 デンマーク、アイスランド/1917年 ロシア、カナダ
  1918年 ドイツ、ポーランド、英国/1920年 米国/1931年 スペイン、ポルトガル
  1945年 フランス、日本/1991年 スイス/

(注7)「新しきインタナショナルの発見と成立」(1923年) 島田清次郎
   目次/1.はしがき/2.新しきインタナショナルの発見/3.ジョン・ガルスワージー氏よりの招待/4.一つの、インタ・ナショナルとしてのP.E.N.Club/5.結論(国立国会図書館蔵)

(注8)平塚らいてう(1886~1971)
   新婦人協会(1919~1922)は、婦人の社会的・政治的権利獲得を目指し、平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらを中心に結成された日本初の婦人団体。

【参考】集会政社法(1890年公布)
   集会条例を改正補強して制定された明治時代中期の集会および政治結社についての取締法。政治的集会や政治結社は集会条例では事前に警察署の許可をうけることになっていたが、新法では許可制が届出制に緩和されたものの、屋外の政治集会は全面禁止、臨席警察官による集会中止や解散権、内務大臣の結社禁止権、結社の支社設置や政社間の連繋禁止などをそのまま受けつぎ、さらに帝国議会開会中は議院から三里以内での屋外集会の禁止、政治結社が議会内で旗幟を用いたり議会内での発言に議会外で責任を負わせることの禁止、軍人・警官・教員・学生生徒および女子の集会参加禁止、禁止条項に違反した者の禁錮刑・罰金刑の規定など全38条から成っていた。(出典:吉川弘文館『国史大辞典』)
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