昨日はブログをアップしようとしたら、メンテナンス中というので繋がらず、その後も繋がりにくかったので夕方には諦めた。
テレビを見ると、どの局もマスゾエさんの話題で持ちきりだ。担ぎ上げる時はこれでもかと担ぎ、落とすときには徹底的に叩きのめす。なんだか、今時のいじめを見ている気がするのは僕だけか。
当のマスゾエさんは四面楚歌となり、いよいよ辞任に動きそうだ。周囲は、早く辞めてもらわなければ都政が滞るの大合唱だ。が、「ちょっと待て」と声を大にして言いたい。じゃあ、今までは公私混同はあっても、都政が滞るようなことはなかったのか。平日は美術館や博物館をはしごして回り、週末になると湯河原の別荘に出かける。年に数回はぞろぞろとお供を連れて海外旅行と洒落込み、盆と正月には家族と温泉で過ごす。もしかしたら、知事というのは、いなくっても議会にも役所にも影響はないのではないか。
同じようにあってもなくても構わないことを、なければ困ると大げさに言い続けているものに原子力発電がある。東日本大震災当時は、計画停電とか言って東京で計画的に電気を止めていたが、ほとんど再稼働していないにもかかわらず、最近は電気が足りないとか、計画停電をしなければならないと言わなくなったのはどういうことだろう。原発でなければコストがかかりすぎだと言っていたが、本当のところは原発が一番コストがかかり、使い終わった原発の廃炉の方法でさえ目処がつかないのが現実なのである。
ちょっと前なら、郵便局が民営化になったら郵便局がなくなるだとか騒いでいた気がする。もっと昔なら、国鉄を民営化するとサービスが落ちると言っていた。
政治家やお役所の人間が、大きな声で「必要です」と言う時、その声がでかければでかいほど、「本当はいらない」と思っていたほうがいいようだ。
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