クリスマスプレゼントを贈る風習というのは、アメリカから日本に入って来たという。が、日本のように親が子供に一方的に贈るのではなく、家族間で交換し合うのがアメリカ式のクリスマスプレゼントだ。そう言えば、「遥かなる我がラスカル」を読むと、スターリング少年は父親へのプレゼントのためにせっせとアルバイトをして貯金をする。クリスマスの日はツリーの下にそれぞれが持ち寄ったプレゼントを置き、その場でみんなでプレゼントを開けている光景が描かれていた。
どうして日本では一方的なプレゼントになっただろう。これは日本だけの風習なのだろうか。もしかしたら受験勉強に忙しい日本や韓国や中国といった学歴が物を言う社会では、子供が働いて親に何かすると言う時間を、親の方がもったいないと思うのかもしれない。そう思うと、アメリカの子供たちの方が、子供の時からずいぶんと大人だなあと思ってしまうのである。
そう言う僕も、小さかった時には、親にクリスマスプレゼントをするなんて発想はなかった。ただひたすら、どこからともなくプレゼントが僕の元にやってくることだけを期待していたのである。
まだ小さかった頃、クリスマスの朝というのは、起きてみると枕元にクリスマスプレゼントが置いてあるのが楽しみで仕方なかった。保育園に通っていた頃、同い年の子供がサンタさんからお手紙をもらったと保育園に持って来て、保母さんがみんなの前で読み上げたりしていた。それを聞きながら、「サンタさんなんかいないのに」と斜に構えて聞いていながら、反面うらやましかったりした。年上の子供たちから「サンタクロースは親だ」というのを教えてもらいながら、心のどこかで願い通りのプレゼントが枕元に配達されるを期待していたのだった。
そういうわけで、小学校に上がる前はクリスマスイブには靴下を枕元に置いて寝た。翌日起きるとビー玉が入っていた。なんだかショボいなと思いながらも、冬休みの間はせっせとビー玉で遊んだ。翌年は靴下が膨れ上がっていたので興奮したが、中に入っていたのはメンコの束だった。これまたショボいなと思いながらも冬の間せっせと遊んだ。
やっぱり親がサンタらしいとプレゼントのショボさからわかって来ていたが、もしかしたら靴下が小さすぎるのだろうと、寝る前に靴下の代わりに「トランシーバーをください」と書いた手紙を置いていた。朝起きるとヤッコ凧が置いてあった。考えてみれば当日の夜にお願いしても間に合わないのである。仕方がないので、お正月はヤッコ凧を揚げて遊んだ。
少し知恵がついて来たので、クリスマスのずいぶん前から、親父が飲んでいる時にそれとなく「ラジコンカーが欲しいなあ」と事あるごとにつぶやいていた。心待ちにしていた朝、目を覚ますと枕元には分厚い本が一冊置いてあった。さすがに愕然として、見たことがない本だったにもかかわらず、「この本知っている。読んだことがある。交換して」と訴えてみた。それを聞いてお袋は、しぶしぶ真新しい本を抱えるとどこかへ出かけて行った。そして別の本と交換して戻って来た。
さすがに両親も、クリスマスプレゼントを枕元に置く年齢ではなくなったと考えたのだろう。翌年からクリスマスプレゼントはなくなった。後悔しても後の祭りだ。どんなプレゼントでもありがたくもらっておけば、楽しいクリスマスの朝がもう少し続いていたかもしれないのに。
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