車がないので、生活の足は本当に自分の足で歩くか、前後に買い物かごがついた小さなママチャリだ。大きな買い物はできないが、自分が食べるくらいの荷物なら自転車で十分だ。
とはいえ、ちょっとしたものを買いに行き、扱っていないので別の店を梯子するということになると、想像以上の距離を走ることになる。また500円くらいの買い物に片道10キロくらい走らなければならないというのも、時間がばかりかかって、一体僕は何してるんだろう、という気になってくる。
考えてみれば、移動手段が自転車中心なんて子供の頃以来だ。そう思うと、現在の脚力は比較にならないほどたくましくなり、子供の頃の想像をはるかに超える行動半径になっている。坂道だってグイグイ上る。ママチャリを漕ぐオッサンの絵柄に似合わない速度で上るのだ。
それにしても、自転車で走り回ると、車では絶対に走らない道もどんどん使う。少しでも近道をしたいので、初めての道だって自分の方向感覚を信じてどんどん進む。すると、思ってもみない場所に出たりして、こんなところと繋がってたのかとビックリする。
手段が違うだけで、これだけ見える景色が違うというのは、改めて新鮮な発見でもある。毎日の生活に退屈することがあるとすれば、それは案外同じ手段しか用いていないということがあるのかもしれない。
とはいえ、ちょっとしたものを買いに行き、扱っていないので別の店を梯子するということになると、想像以上の距離を走ることになる。また500円くらいの買い物に片道10キロくらい走らなければならないというのも、時間がばかりかかって、一体僕は何してるんだろう、という気になってくる。
考えてみれば、移動手段が自転車中心なんて子供の頃以来だ。そう思うと、現在の脚力は比較にならないほどたくましくなり、子供の頃の想像をはるかに超える行動半径になっている。坂道だってグイグイ上る。ママチャリを漕ぐオッサンの絵柄に似合わない速度で上るのだ。
それにしても、自転車で走り回ると、車では絶対に走らない道もどんどん使う。少しでも近道をしたいので、初めての道だって自分の方向感覚を信じてどんどん進む。すると、思ってもみない場所に出たりして、こんなところと繋がってたのかとビックリする。
手段が違うだけで、これだけ見える景色が違うというのは、改めて新鮮な発見でもある。毎日の生活に退屈することがあるとすれば、それは案外同じ手段しか用いていないということがあるのかもしれない。
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