九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆紹介  「刺」  文科系  

2011年10月18日 08時30分49秒 | 文芸作品
 今回は、同じ同人誌仲間のT・Hさんの随筆を紹介する。とてもお話のうまい人、職業婦人をずーっと通されてきた方だ。昔は軍国少女だったと聞いたことがあって、僕よりも一世代近く上の方とお見受けしてきた。誠実ということを絵に描いてちょっと珍しいほどの方だと僕は観てきたが、ここに書かれたようなことがその原点となっておられるのでもあろうか。


  刺   T・H

 ある時同人誌の友人が子どもの頃、学校で出会った教師の事を書いておられた。
 それを読み当時国民学校といっていた教室の長い廊下にひとり座り込んでいた自分の姿が重なった。
 あれは、五年生の時だった。理由は何であったか今では思い出せないが、となりの席の友達と大げんかになり、私は負けじと大声を出した。だれも止めてくれなかったのは、放課中だったからか、友達は職員室へ走り込んで告げた。その時の担任は中年すぎの女教師。
「あの人は、ああした病気だから相手にならないように気をつけなさい。病人だから……」と。
 教室にもどった友達は勝ち誇ったように教室の中で大きな声で言った。
 ああした病気。病人……。私は顔をひきつらして言葉を失った。
 なぜ理由を。どうして一方的にと……。でもそれを言葉で言えず、私は奥歯を鳴らしていた。
 それから私は変わった。学校へは行くだけ、教科書も開かず、帳面には何も書かず、机の前に居るだけになった。注意されると、「ああした病気だから読めん。書くこともできない」と、立ち上がり、徹底して反抗し、教室から出て廊下に座り込んですごした。
 そんな事が許される筈はなく、母親は何度も呼び出され、ある時は校長にまで注意をされ、家では叱られっぱなし。
 変わった子。強情っぱり。泣かない子。などのレッテルはいっぱい。
 当の教師には、反抗するいやな子とまで言われた。廊下では他の教師からも叱られからかわれたりで、今だったら登校拒否児となっていただろうが、、家で叱られているよりも、廊下でのひとりがよかったのか、わからないまま毎日学校へは行っていた。
 そんな私にうす笑いをしながら通りすぎる教師にまで悪く言われ、私はますます強く反抗した。途中で抜け出して帰ると叱られるのがいやで、まわりの田んぼ道で花をつんだり、川原でとんぼや小さな魚を見てすごして家に帰ることもたびたびだった。
 返事もしないで、ぎらぎらと反抗ばかりの日々。教師は間違っていない。反抗は悪。ということだったのか。友達はおもしろがってはやしたて、からかい。私は放っておかれた。
 両親も仕事の忙しさに追われ、学校の呼び出しに困惑し、叱りつけるだけ。
 六年生は同じ教師の持上がり。私の反抗は続いた。
 今だったら、そんな私に何か助言を……と思うけど。子どもの人権、児童虐待ということばもなく、教師や親は絶対という時代だったのか。ことばによる虐待は、大きいのに。
 人はよく子どもの頃は楽しかったと言う。私は体にささった刺のように、これを忘れることはできない。
 やがて年月はすぎて、長年の教師としての労にと、国から賞をもらわれる事になった。みんなで祝賀会を開いてと、案内状が私のところへ届いた。】
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財務省の悪智恵      らくせき

2011年10月17日 08時59分39秒 | Weblog
財務大臣が外国で来年消費税を10%にする法案を出すと表明。
これって、菅さんが外国へ行っている間に
徹底的に洗脳されたのに味をしめた財務官僚の悪智恵みたい。

国内では反対が強いので外国へ行って洗脳したり
消費税について発言させたり・・・

困った連中だな・・・

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随筆 「音楽感動疲れ、かな?!」  文科系

2011年10月16日 17時34分04秒 | 文芸作品
 
 オーボエの音が、こんなに複雑で、大きく、重厚なものだとは思わなかった。その独特の「振動感」でもって二間続きの客間を、その障子や襖までも鳴り響かせている。後で聞けば、倍音が最も多い部類に属し、しかも弱音では鳴らせない楽器なのだそうだ。そう振り返ってみればなるほど、あの重厚な感じが納得できるという、そんな音質なのである。また、これと競うように、ギターの音。こちらはオーボエと対照すると一種鋭い透明感となって、やはり部屋の隅々にまで迫ってくる。意識して最も遠くの南障子際までこの時だけ席を移した僕には、きちんとそう聞こえた。まさに、競演、協奏。「アランフェス協奏曲」の第2楽章である。スペインの作曲家ロドリーゴが1939年に作った、音楽好きならば誰でも聞き覚えがある「哀愁」の名旋律だ。マドリッド近くの古城、その歴史を回想するのが第2楽章だと聞いている。
 今日は、我が家の「ギター遊びの会」。僕の家を中心に、春夏秋冬3周りを繰り返してきた同門友人がギターで遊ぶ宴会、確かその14回目である。普通はギターだけで、独奏、重奏、合奏など、各人が準備してきたものを、順番も決めずに、気分が乗った順にてんでにやっていく。が、今日は、特別なゲストがあった。娘の友人に大学音楽科を卒業したオーボエ吹きがいて、僕らの先生と彼女のこの共演となったのである。それも全くのぶっつけ本番。単音楽器であるオーボエはともかく、複雑な和音奏法があって読譜が難しいギター名曲で、しかもぶっつけ本番って、先生にはホントに失礼してしまった。が、その分、この圧倒的なボリューム感が僕らの心を揺さぶったこと! この協奏の音とともに、これを思い出すほどに先生の決断にどれだけ感謝してもしたりないという気分に、今も浸っている感じだ。

 先生のご家族3人も参加されたし、僕の連れ合いも1歳になったばかりのハーちゃんと娘もこの共演には同席させていただいた。驚いたことに、1歳のハーちゃんが最後まで娘の膝の上で、おとなしくしていたのである。散歩などでいろんなものを黙ってきょろきょろと見続けるのが好きな子だから、演奏動作なんかをじっと見つめていたのでもあろう。演奏時間の間は「いろんな感じ」の中に浸っておれたに違いないのである。先生のお子さんお二人は、小学5年と年長さんほど、ハーちゃんに対する以上にこういう雰囲気がためになったと思いたい。人生への期待感を育てる教育?って、大事な気がする。

 計画して、買い物して、料理も4つ作って、かなり疲れたけど、今は充実感いっぱいだ。参加のみんなにも感謝いっぱいだ。
 

(注 このギター遊びの会について興味がおありの方。当ブログで次の随筆もお読み下されば嬉しいです。事の始まりが、以下の3つでした。
 08年5月5日「初老3人、ギター遊びの飲み会」、同年12月19日「新しい友の話」、09年1月30日「同好の士の楽しさ」などです。出し方は、こうです。右欄外下方の「年月欄」から当該年月を探し出しクリックすると、上の方のカレンダーがその月の分に替わります。そのなかから当該日にちをクリックすると、その日のエントリーが全部出てきます。また、右欄外中段のカテゴリー欄の「小説・随筆・詩歌など」をクリックして、そこから到達するやり方もあります。よろしくお願いします)
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良いニュース     らくせき

2011年10月15日 12時45分08秒 | Weblog
朝鮮日報によれば、韓国と日本、英国、ドイツ、カナダ議会の議員たちが、
北朝鮮に抑留されている「統営の娘」こと
申淑子(シン・スクチャ)さん母娘を救出するとともに、
日本人拉致被害者の横田めぐみさんに関する真実を把握するための
国際議員連合を結成した、という。

なかなか拉致問題が解決に向かって進展をみせないなか、
良いニュースです。




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ボランテイァに行ったほうが良い人たち・・・   らくせき

2011年10月15日 09時10分36秒 | Weblog
東海テレビの「セシウムさん」テロップ事件で、ある人が、
東海テレビの社長さんは被災地へ一日ボランテイァに行くべき、と
提言していました。

九州電力の社長さんたちの言動の報道を見ると
全国には、ぜひボランテイァに行ったほうが良い人たちが
いるように感じました。

電力会社の経営者はフクシマに足を運び、現地の人の声を聞く。
これは、今後の日本の原発の行方を決めていくうえで
最低、実行してほしいことだと思います。

また、こんな人たちにも行って欲しいという方があったら
提言して下さい。

個人的に行きたいのですが、軟弱でお邪魔虫になるばかり・・・
若ければ行きたい。
せめてもと募金だけはしましたが・・・
経団連の会長さん、募金したのかな?
きっと多額の募金だったんでしょうね。


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「歴史的」という形容詞    らくせき

2011年10月13日 12時41分00秒 | Weblog
よくマスコミで使われる「歴史的円高」。
本当に「歴史的」なんでしょうか?
最初に使われた時から「?」と感じていましたが、
赤旗のコラムにも似たような疑問を呈する記事が。

しかし、こう言われ続けると、なんとなく
納得してしまう自分がなさけない・・・

マスコミで記事を書く人は、きっと何の疑問もなく
この大変な状況を伝えなくては・・・と、
思っているんでしょうね。

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質問「ギリシャ・ユーロ危機に、『空売り』は?」   文科系

2011年10月13日 06時07分32秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 本日の中日新聞11面「ユーロ 問われる政治判断」は、時宜を得た良い記事だと思った。27面の「内部被ばく検査『なぜ進まない』」とともにチェックした。ただこのユーロ危機の記事だが、どうも肝心なことが書いてないという気がする。理論的にこんな疑問が湧いてくるのを、どうしても拭い切れないのである。

 このギリシャ・ユーロ危機だが、詳しい方にこんな質問をしたい。「ギリシャ国債超下落、欧州中央銀行による買い支え、イタリア、ポルトガル国債下落にも波及、などなどのユーロ金融恐慌危機」に、世界の投資銀行などによる空売り行動(もちろんレバレッジを含む)が、実際にどう絡んできたかということである。詳しい方がいらっしゃったら、是非教えてほしい。どうせ、アメリカや日本から、「このいつか来た道、売り抜け・買い抜け金儲け熟練者たち」による暗躍があるに決まっていると推定してのことだ。ユーロやIMF、格付け会社など「関係者」の「口先介入」を工作してまでのそれを、僕は想定している。

 そもそも、株とか国債とか、人の運命、命までを左右するようなモノの大幅値下げで、他人が大もうけできるという空売りのような仕組みが、人間にとってとうていナチュラルなものだとは僕には思えないのである。日本の住宅バブル、アメリカのサブプライムバブル・リーマンショックでも、そのことは証明されているはずなのだ。だけどこれへの規制は、一向に進んでいないはず。日本(政府)でさえもこのサボリの先頭に立っているはず。そう思うとこのうえなく悲しい気分になるのである。
 
 以上のこと、国際法が現実に追いついていない人間疎外の最たるモノであると思う。誰かが悪いというのではなく。もちろん、この規制のサボリ、ニグレクトを工作するヤツは悪いのだが、法律がない以上合法なのであって、合法な人を犯罪者のように語るつもりはないのだが。
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紹介随筆 「なんだかなあ」   文科系

2011年10月13日 04時26分23秒 | 文芸作品
 先回と同じ、Y・Sさんの随筆を紹介します。月例冊子5月号に載った作品です。

【 なんだかなあ Y.S
 このところの一か月余り、気持ちが落ち込んでいる。
 もちろん東北大震災という災害が大きな理由でもあるのだが、個人的にはその震災の前日に怪我をして、いまだに不自由な生活を強いられていることもある。
 落馬による怪我だから、世間がこんな大変な時期にとても大きな声では言えない。が、とにかく今だに肩、腕が不自由で痛いのだから始末が悪い。一週間もすれば治るだろうとたかをくくっていただけに、一カ月経っても思うように日常生活ができないことがつくづく情けない。次第に体が硬くこわばってきて、このまま治らないのではと不安にかられる。
 主治医に「MRI検査で肩の腱の傷を確認をしてからリハビリを考えよう」と言われた。ええっ! 私は閉所恐怖症。あんな狭いカマドのような所へ入って三十分以上もじっとしているなんて、考えただけでも耐えられそうにない。
「しかたない。じゃ、関節に注射をして薬を流す方法で検査をしよう。だが、これはかなり痛いよ」医師はきっぱりと言い放った。困惑顔のまま主治医の顔を見つめている私に「痛いか、狭いか、さあどっち?」と迫る。そんなこと言われても選べない。
 なお黙っている私に主治医はMRI検査の手続きを始めた。やれるところまでやってみよう、そんな感じだ。
 後日、検査技師に時間短縮のうえに絶えず声掛けをしてもらって、汗びっしょりで検査を終えた。結果は鍵盤損傷がひどいのでしばらくは安静に動かさないことだそうだ。動かさないので肩凝りはひどくなるばかり。頭痛まで引き起こす。夜、寝ていても寝返りもできずに痛みで目が覚める。寝不足でボーとなり、苛立つことが増えた。必然的に家事もなおざりになる。
「体調が悪いときは無理しなくていいよ」家族は皆、優しくそう言ってくれる。
 それだけ? 違うだろう! そうじゃないだろう? その後に続く言葉は……
 夫や子どもたちは、あくまでも炊事、掃除、洗濯を、私に無理をしない程度にやらせる気だ。「家族みんな交替で家事を変わるよ」僅かでもそういうことを期待した私が患かだっ。主婦は死ぬか、寝たきりにでもならないと休ませてもらえないのか。ああ、無情。
 私にしたって、いい年をして趣味の乗馬で勝手にした怪我。あまり偉そうにはいえない。負い目がある。毎日、なおざりの掃除で汚れが目だつ部屋に、はかどらない家事。思うように動かない体にイライラがつのる。しかたない。この上は体がよくなるまで何事にも目をつぶろう。そう腹をくくった。
 休んでいるあいだの乗馬の月謝分、今日、そっくり日赤に寄付してきた。】
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南ドイツ新聞から   文科系

2011年10月12日 11時11分48秒 | 国内政治・経済・社会問題
 9日のあんころもちさん投稿と同じ趣旨です。南ドイツ新聞記事で、以下の中にこんな解説もありました。阿修羅掲示板からです。
『この論評を紹介するために「南ドイツ新聞」電子版で探したところ、何と同紙の若者向けのページにありました。つまり日本のメディアと政治家の堕落ぶりはドイツの若者用のテキストとして紹介されているのです。このようにして若者は批判力を身につけます。またこのようにして日本の恥はドイツのエリート層に定着しつつあります。』


  野田首相国連演説:「南ドイツ新聞」の論評など (在ベルリンジャーナリスト・梶村太一郎)

http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/818.html
投稿者 潜艦トマト 日時 2011 年 9 月 27 日 03:08:00: yqV0JYBcORkm6

在ベルリンジャーナリスト・梶村太一郎の反核覚え書き
http://tkajimura.blogspot.com/2011/09/blog-post_26.html

野田首相国連演説:「南ドイツ新聞」の論評など

日本の原発に関しての最近の「南ドイツ新聞」の記事をふたつ紹介しておきます。
いずれもクリストフ・ナイドハルト特派員によるものです。

ひとつは9月24日掲載の野田首相の国連演説に関する論評です。結論部だけは直訳しておきます:
タイトル:「転換ではない転換」
リード:原発の反対派から支持派へ;なぜ日本の首相は立場を変えたか

要旨は「就任演説で原発の新規建設はできないと言っていた野田首相は、国連演説では原発は気候変動対策に必要なので日本の原発をより安全なものにすると述べた」、「これはおそらく、意思が変わったのではなく日本ではよく見られる発言姿勢であると思われる」「日本人はフレンドリーにニコニコしながらハイ、ハイと同意する。誰かを怒らしてしまったら、黙ってしまう。この姿勢は日常生活では攻撃性を防げるかもしれないが、政治では決断を阻害してしまう」
「しかし日本にもこのような曖昧な立場を捨てる政治家もいる」として、菅直人前首相の脱原発発言と、最近の鉢呂大臣の「死の街」発言を挙げ、なぜこのふたりが排除されたかについて、このふたりは政治家王朝の出身ではないと説明した上で以下のように述べています。
このふたりは原子力ロビーといっしょに同じ毛布にくるまっている政治エリートたちの規則を守ろうとしない部外者である。日本ではメディアもまた、大半の政治家同様に原発事業主から気前の良い援助を受けているエリートに属している。

日本のエリートにはイデオロギーはなく、話し相手によってさまざまな意見も容認する。彼らのたったひとつの目的は、権力とステータスの保持である。このためには誰が何を考えているかは重要ではなく、彼が誰と結びついているかが重要なのだ。これに加えて大事なのは部外者がこのオルガルフィー(寡占制度)を分裂させないことである。野田がいまやっていることはこのエリートをなだめようとしているのである。彼はこれを「安定をつくる」と称している。菅や鉢呂のような口先だけではない立場を表明する人たちはまさにこのじゃまをすることになるのである。

==============

梶村;第12回(7月15日)で紹介した同紙の「永田町のノミのサーカス」の続きですね。今回はさらに具体的に、原発ロビーに金で買われている政治家だけでなくそれとぐるになっているメディアもまともに突っ込んで批判しています。日本の戦後政治体制の非民主性を鋭く突いているといえるでしょう。
日本の大新聞のエリート記者さんたちは耳が痛いので、このような「口先だけでない批判」には、いつものようにそれこそ無視することしかできないでしょうね。指摘されているように「黙る」のです。

この論評を紹介するために「南ドイツ新聞」電子版で探したところ、何と同紙の若者向けのページにありました。つまり日本のメディアと政治家の堕落ぶりはドイツの若者用のテキストとして紹介されているのです。このようにして若者は批判力を身につけます。またこのようにして日本の恥はドイツのエリート層に定着しつつあります。

もうひとつは、同記者が福井県の「原発銀座」を訊ねての優れたルポですが、これも小さな同県の住民が原発ロビーにまるっきり買収されている実情をリアルに報告した優れたものです。
ほんとうはこれを全文翻訳して紹介したいのですが、かなり長文なので目下時間がありません。しかしこちらの方はルポですからあまり難しくないのでどこかの大学のドイツ語の授業で翻訳テキストにしていただけませんか?
関西の大学だと実感が伴い良い演習になるのではないかと思います。】
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ザックジャパン(14)タジキスタン戦、大勝のわけ   文科系

2011年10月12日 10時49分44秒 | スポーツ

 圧勝だった。シュート数39対1、ボールキープ率72%対28%で、8対0。こんな結果だけから、サッカージャーナリズムの一部からこう判断する声が聞こえてきそうだ。「相手が弱すぎた」と。これは誤った、皮相な見方だと最初に言っておきたい。
 この相手チーム、守りに徹しすぎたというゲーム戦略ミスはあったが、決して弱い相手ではない。日本が1対1で引き分けたウズベキスタンとも、日本が1対0で辛勝した北朝鮮とも、0対1の惜敗だったのだから。むしろ、今までの日本のゲーム運びが拙すぎたのであって、僕はこのゲームを3対0と予測していた。日本の北朝鮮戦が3対0ほど、ウズベキスタン戦も2対0ほどが実力から見て順当なところだったと思う。現に、昨日のゲーム後、タジキスタン監督はこう語っている。
『日本は強かった。先に対戦した2チームとは比べ物にならないチームであった。そして、非常にメンバーもそろっていて、われわれを相手にしても、ほぼベストのメンバーで戦ってくれたことに感謝している』

さて、勝因をまとめてみよう。結論はこういうことになる。
『ザックジャパンが目指した点取り戦略が、ついに大成功を納め始めた。ゴール前に固めた敵防御堅陣を横にも縦にも引きつけ、広げつつ、外と中央と両方から交互に崩すこの点取り戦略の成功には、昨夜は特に二つの要因が働いている。一つはハーフナーを狙った横からのクロス戦術、二つがトップ下に入った中村憲剛の鋭くて速い、長短の縦パスである』
 ハーフナーが1点目と、後半初めに得点していることが大きかった。必然、敵陣はサイドからのクロスを警戒して、横に広がることになる。すると、9人で固めていても中央部分にスペースが生まれる。そこへ中村憲剛の縦パス、スルーパスが面白いように通った。この中村3アシストで1得点と、昨日第1の殊勲賞と言って良かろう。なお、この中村に対して岡崎と香川のレシーブ力が、すごく相性がよいのである。この両FWが、ハーフナーと並んで2得点ずつをあげることになった。

 昨日の分析は以上で十分。それ以外は、ほとんど何も要らない。あと興味深いのは、昨日のゲーム評価を踏まえた今後のベストメンバーなどの予想であろう。4-2-3-1の陣形と見て、ワントップは前田なのかハーフナーなのか。トップ下は、本田なのか、中村なのか。CBとボランチとの第一補欠は誰なのか。これはまたの機会にする。但し一言。ボランチの第一補欠に細貝が名乗りあげたことは確実だと思う。素晴らしい選手がこの間に誕生して見せたはずだと、将来に向けて予言しておきたい。
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  蓮舫大臣と野球選手の話     只今

2011年10月11日 15時47分24秒 | Weblog
  古賀茂明著『日本中枢の崩壊』を、蓮舫大臣はまだ読んでないと聞いた松島記者(東京プレスC)は、
  古賀さんのサイン入り本を蓮舫大臣に渡してもらうよう、最近知己を得た渡辺代表(みんなの党)に依頼した。
  そして数日後、蓮舫大臣の記者会見の様子を、動画で見た。
  松島記者= す、す、すみません。読まれたでしょうか。
  蓮舫大臣= すみません。未だゼンドクしていませんので……。

  ゼンドクとは、全読のことなのでしょうが、
  辞書を引いても「多読、精読、積んどく」はあっても、ゼンドクは見当たりません。
  蓮舫大臣、苦し紛れとはいえ、よくぞ新語を造ってくれました。

  ゼンドクといえば、本ブログでしばしばコメントの〈にんじん〉クンに、こんな「ドク」話があります。
  知人の息子がプロ野球に指名された時、同棲していることは隠しておいたほうがいいかどうかの意見を求められたので、
  「ハンドクです、と答えたら」と冗談半分に言ったのだが、
  テレビで「ハンドクです」と答えているのを見て仰天した、という話。
  いささか眉唾ものですが、しかし野球選手にまつわる話は邪気がなく、ほっこりします。  
  幾星霜前の喫茶店で交わされたそれらの話を二つ。

 ●常連のMじいさんは、新顔をみると必ず次の話をして威張ったものです。
  「わしゃ、カーネ(金田正一)のピッチングフォームをよく見てやったものだ…」
   享栄中学生だった金田正一は、大曽根の銭湯の大鏡の前で、
   投げる真似をするのが常だった。
   Mさんはそれをいつも見ていた。見ていたことには間違いない。

 ●喫茶店主のAさんがこう言った。
  「わたしゃ、中日の元監督の杉浦から、
   もう少し客を呼ぶにはどうしたらいいか、教えて欲しい、
   と聞かれたことがある」。
   私が首を傾げてうすら嗤うと、Aさん曰く
  「杉浦は監督を辞めて喫茶店55を始めたことは承知だね? 
   彼は喫茶店組合の役員になり、その帰り道に、わたしゃ言われたのよ」
   客を呼ぶのは、球場ではなく、自分の喫茶店だったという話。
  
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随筆紹介「リハビリ」   文科系

2011年10月11日 15時47分24秒 | 文芸作品
 同人誌友人の随筆を紹介する。Y.Sさんの作品である。


【 随筆紹介 「リハビリ」 Y.S                                   
 両肩の鍵盤を損傷してから三カ月が経過した。まだ痛い。いまだかってこれほど長引いた病気や怪我はなかった。毎日気持ちがふさいでいる。「健全な肉体には健全な精神が宿る」というのを身に染みて感じる日々。叶うなら、あの怪我をする前に時間を戻して欲しいと、ついバカなことを考えたりもする。
 最近やっと理学療法士のもとに私のリハビリメニュウが決まった。よくなりたい一心でまじめに毎日熱心に取り組む。すると徐々に前より余計に痛くなってきたが、我慢、我慢と胸に言い効かせる。歩行練習や、腰や脚のリハビリで痛いとわめいている人が多いこのリハビリ室では、私の症状は軽い方だもの。辛抱しなきゃと自分を戒める。
 それにしても痛いとわめくのは圧倒的に中高年の男性だ。中には「痛いと言ってるのがわからんのか!」と、療法士に怒鳴っている男性。「もう、止めてくれ!と、泣きそうになりながら療法士の背中をばんばん叩いているおじさんなどなど。なんだかちょっと笑えてしまう。案外そういう人って奥さんなんかには威張り散らしているような気がする。
 そこへいくと女性は黙って耐えている人がほとんどだ。表情は辛そうで険しいが、声を出したりはしない。和やかに療法士と話しながらリハビリしているお婆さんを見てると、女は環境への適応性や社会性も、男より勝っているのかなあと思えてきた。】
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随筆 「死にちなんで」   文科系

2011年10月10日 01時23分12秒 | 文芸作品
 この随筆、過去に二度ほどここにも載せました。が、ゆえあってここ数日かけてリメイク努力をしてきましたので、その産物をまた載せます。僕にとって大事なテーマであり続けてきたものですから、何度も恐縮ですが。
     

【 随筆 「死にちなんで」

心臓カテーテル手術をやった。麻酔薬が入った点滴でうつらうつらしはじめてちょっとたったころ、執刀医先生のはじめての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」。
 ところがなかなか眠りに入れない。眠っても、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識が薄らいでいくのだが、また覚醒。そんなことが三度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたようになにか声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と聞いていたからでもあろう。手術自身はちっとも怖くはなかったのだけれど、こんなことを考えていた。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢をみない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさでなく僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。

 小学校の中ごろ友人を亡くして、考え込んでいた。「彼には永遠に会えない。どこにいるのだ」。ひるがえって「僕もそうなる」。それ以来自分が死ぬということが頭から離れなくなった。ほどなくこれが僕の中で「永遠の無」という感じに育っていって、何とも得体が知れぬ恐怖が始まった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時はいつも、冷や汗がびっしょり。そしてこの「症状」が、思春期あたりから以降、僕の人生を方向づけていった。「人生はただ一度。あとは無」、これが生き方の羅針盤になった。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計までをふくめて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと思う。四人兄弟妹のなかで、僕だけ違った進路をとったから、「両親との諍い」が僕の青春そのものにもなっていった。世事・俗事、常識どころか世間的なもの一切が嫌いで、そういう寄り道をしなかったというのも同じこと。はじめは自分が揺さぶられること、次いで自分に意味が感じられることだけに手を出して来たような。こうした傾向を、二十歳の春から五十年つきあってきた連れ合いはよく知っており、「修業している」と評してきた。
 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみがなくなるとしたらこんな良い終わり方はないと言えるが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし?」というような内容だったかと思う。この伝で言えば、僕のこの「症状」ははてさて、最近はこんなふうに落ちついてきた。
「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いもなにもありゃしない」
 どうして変わってきたのだろうと、このごろよく考える。ハムレットとはまったく逆で、人生を楽しめてきたからだろう。特に老後を、設計した想定をはるかに超えて楽しめてきたのが、意外に大きいようだ。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、全部相当なエネルギーを費やすことができた。なかでも、ギターで「音楽する」ことは、ちょっと別格だ。「教会音楽」、「音声菩薩」、これらは古今東西の音楽が神の領域のものであったことを示しているが、音楽することにはとにかく、なにか怪しい力がある。その力は、いまの僕の場合こんなふうだ。
 この二月から、ある一曲だけにもう一年近く取り組んでいる。南米のギター弾き兼ギター作曲家・バリオスの「大聖堂」。楽譜六ページの曲にすぎないのだが、この曲だけを日に二~三時間も弾き続けてもう一年も先生の所へ通ってきたことになる。通常ならとっくに「まー今の腕ではここまででしょう。一応、上がり」なのだ。習って二ヶ月で暗譜もし終わっていたことだし。が、僕が希望して続けてきた。と言っても、希望するだけでこんなエネルギーが出るはずがない。この曲をやればやるほどいろんな希望が出て来たから、やめられなかったのである。「この曲のここは今ならもっと気持ちよく弾ける……その為には」。ギターの構えからはじまって、長年刺のようになっていた悪癖のいくつかに挑んできたものだった。これまた「高齢者の大手術」と言えようが、ほぼ大成功。こんな没頭が、自分事ながら訝しかった。音楽はやはり、神の領域のもの、改めて実感し直したものだった。ギター教師について八年、これと同類の事がいくつかあったのだ。
「何かに熱中したい」、「人が死ぬまで熱中できるものって、どんなもの?」若いころこれが、気心の知れた友だちとの挨拶言葉のようになっていた。今、そんな風に生きられているのではないか。日々そう感じ直している。】
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ドイツのTVが伝える福島原発現場の様子     あんころもち

2011年10月09日 22時05分37秒 | Weblog
 昨日掲載しましたニュースに関連するものです。
 ドイツのTVが現地で事故現場で働く労働者を取材したものです。
 彼らの過酷な労働条件と同時に、情報隠匿の厚い壁についても語られています。
 山下教授の「ニコニコ笑っていれば放射能など怖くない」という恥さらしな講演も伝えられています。

 日本ではこれらの情報はほぼネットでしか見ることが出来ません。
 半年の間に現場で働く人の三人が死亡している事実すらもちゃんと取り上げられていません。
 「陰謀説」ではありませんが、何かの力が働き、私たちから重要な情報が遠ざけられているとしか思えないのです。

 http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA&feature=player_embedded

 この動画の下に添えられた各コメントもご参照ください。
 
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福島第一原発収拾作業員で三人目の死者    あんころもち

2011年10月08日 17時01分41秒 | Weblog
 東電は「被曝との因果関係ない」とあっさり片付けています。
 しかし一方、「死因は不明」で、その他の死因は特定されていないのです。
 しかも、これで3人目です。

 本当に関係がないのでしょうか?なにか不吉なものを感じます。

 以下が報道されている内容です。
 あえて、「産経」を引用します。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111006-00000554-san-soci
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