「中部ギター協会」という組織がある。文字通りこの地方では最も大きいギター「愛好者」の団体だ。この組織のことだが、社会的常識にそぐわないと思われるある組織運営が行われている。ギターに携わる端くれとして前から不思議に思っていた事だが、やはり純粋にギターを愛好する者としての公憤ということで、一言の告発を行いたいと思い立った。先ずこの団体規約の目的。
『 第1条 目的 この会は、ギター教授者,演奏家および愛好者がギター音楽の楽しさ、素晴らしさを共有し、お互いの技術,音楽性の向上を目指すとともに、ギター音楽の向上,発展に寄与することを目的とする』
さて、こういう団体の2人の副会長さんのお1人に、名古屋でも数店しかないギター専門と言えるある販売店主さんが座られ、かつこの団体の事務局をやられている。この団体参加者は規約の目的にある通りで、ギター愛好者、言わばギターを買う立場の方々である。こういう団体の事務局、副会長にこれを売る立場の方が座られている。どうだろう、社会的常識のある人ならば、おかしいとすぐに気づくはずのことではないか。ご自分のお店のために何か立場の利用のようなことが始まるのではないかと、こう考えるのが今は社会的常識のはずだ。無意識の地位利用も含めてのことである。だから例えば、直接間接に自治体が絡んだような普通の組織ならば、こういう人事は行わないはずだと僕は確信している。剣道協会の事務局に、剣道具販売店主さんを据えるだろうか。中部一のピアノ愛好者団体事務局にヤマハの業者を据えたら、他の業者が怒るのが普通だろう。そういう人事をやっていて、「一地方の当該関係者の望み、会の趣旨にあった、公平、公正な当該団体である」と言えるだろうか。不特定大多数のギター愛好者にできるだけ手をさしのべるという会の趣旨に反していることにもなろう。
さて、この組織の中に社会的大組織経験者が乏しかったから、あるいはまた、古くからあった組織だから昔の習慣のままに運営されてきたのだろうか。そう言えば、前会長さんもギター貿易商であられたとか。ギターが純粋に好きな僕だから言うのだが、こういう役員人事は組織のためにはならないと考える。こういう場合たいていは、その人物に力があればあるほど、また歴史を重ねるほどに、無意識の地位利用から「事」が始まっていくものであるとさえ言いたい。
ギター音楽の発展、普及を図るべく出来るだけ手を広げたいという組織ならば、そしてそれが本気であるならば、会費を増やす努力をしてでも会の利益にのみ従事する専従者を事務局に置くという方向こそ、本来の姿かと思う。また、それぐらいの気概が無くては、会の目的は遂げられないだろうと愚考する。なお、くれぐれもお断りしておくが、この「告発」には何のバックも私利も存在しない。全くただ僕1人の公憤に基づくものである。現に僕は、このお店の「友の会」会員でもあるし、ギター1本も含めてギター関連品はほとんどここから買ってきた者だ。
『 第1条 目的 この会は、ギター教授者,演奏家および愛好者がギター音楽の楽しさ、素晴らしさを共有し、お互いの技術,音楽性の向上を目指すとともに、ギター音楽の向上,発展に寄与することを目的とする』
さて、こういう団体の2人の副会長さんのお1人に、名古屋でも数店しかないギター専門と言えるある販売店主さんが座られ、かつこの団体の事務局をやられている。この団体参加者は規約の目的にある通りで、ギター愛好者、言わばギターを買う立場の方々である。こういう団体の事務局、副会長にこれを売る立場の方が座られている。どうだろう、社会的常識のある人ならば、おかしいとすぐに気づくはずのことではないか。ご自分のお店のために何か立場の利用のようなことが始まるのではないかと、こう考えるのが今は社会的常識のはずだ。無意識の地位利用も含めてのことである。だから例えば、直接間接に自治体が絡んだような普通の組織ならば、こういう人事は行わないはずだと僕は確信している。剣道協会の事務局に、剣道具販売店主さんを据えるだろうか。中部一のピアノ愛好者団体事務局にヤマハの業者を据えたら、他の業者が怒るのが普通だろう。そういう人事をやっていて、「一地方の当該関係者の望み、会の趣旨にあった、公平、公正な当該団体である」と言えるだろうか。不特定大多数のギター愛好者にできるだけ手をさしのべるという会の趣旨に反していることにもなろう。
さて、この組織の中に社会的大組織経験者が乏しかったから、あるいはまた、古くからあった組織だから昔の習慣のままに運営されてきたのだろうか。そう言えば、前会長さんもギター貿易商であられたとか。ギターが純粋に好きな僕だから言うのだが、こういう役員人事は組織のためにはならないと考える。こういう場合たいていは、その人物に力があればあるほど、また歴史を重ねるほどに、無意識の地位利用から「事」が始まっていくものであるとさえ言いたい。
ギター音楽の発展、普及を図るべく出来るだけ手を広げたいという組織ならば、そしてそれが本気であるならば、会費を増やす努力をしてでも会の利益にのみ従事する専従者を事務局に置くという方向こそ、本来の姿かと思う。また、それぐらいの気概が無くては、会の目的は遂げられないだろうと愚考する。なお、くれぐれもお断りしておくが、この「告発」には何のバックも私利も存在しない。全くただ僕1人の公憤に基づくものである。現に僕は、このお店の「友の会」会員でもあるし、ギター1本も含めてギター関連品はほとんどここから買ってきた者だ。
ギターを生業にする人(楽器商・ギターの先生)以外の人がこういう立場についたとして、それが代々続いていくとお思いですか?
どんな人だったらできますか?
具体案をお聞きしてみたいです。
さて、まずこのこと。、「ギターの先生」であればこんなことは全く書きません。楽器商だから述べているのです。剣道具やヤマハの例を挙げたのはそういうことでした。ただこの事も、上のコメントに書いたようにこの方個人を批判しているわけでもありません。こういう人事をやった事について、その(旧)組織(役員)への批判とご理解願いたいです。
次に、専従者ウンヌンのこと。これが容易な事ではないというのは、僕もこう書いている通りです。「本来の姿かと思う。また、それぐらいの気概が無くては・・・・」。
「それくらいの気概」が必要な「本来の姿」の前には、短期的な過渡期の姿というものがある。それが通常の組織運営だと思いますが。一例をあげれば、お弟子の少ない先生とかに一定の時間を割いていただくというやり方もある。
ところで、こういう「やり方」の問題よりも、事柄の是非を、組織(発展)目的に沿うものかどうか、公正なものとして社会的に認められるものかどうかという議論をお聞きかせ願いたいです。良くないものならば、やり方は後で考えればよいし、良いものならばやり方の議論も不要なのですし。
やり方を間違うのは短期の、小さな失敗で済みます。しかしながら、組織目的に合わない運営をしているとしたら、組織そのものの長期的発展自身が阻害されることになるはずです。このことは、組織理解の基本だと思いますが。
なお、この問題については、多数の方々のご意見を求めたいです。部外者でも、誰でも構わないはず。「公益的団体」というものについては世の誰でもが発言権を持っているはずだし、そもそも「公益的団体かどうか」自身を僕は問うているつもりです。そうでなければこの組織が真に持っている潜在力にあった発展が出来ないと問題提起したつもりです。だから「公憤」として書いたわけでした。
「事柄の是非」について言うのであれば、理想と違うことは理解できます。 でも、それが「告発」に値するほど曲げられているとは感じていません。 なぜなら、私の一愛好家としての立場では「理想と違っていても、こういう団体(組織)が存在(継続)していることにありがたみを感じるからです。「長期的発展」は「あればうれしい」ことですが、それを望むあまりに「今、誰もやり手が無くなってしまう」ほうが嫌です。
「ギターの先生」だったら許せるのに「楽器商」だったら許せないのもわかりません。
また、愛知にいる私から見たら「(一人の)ギターの先生」より「(一法人の)楽器商」のほうが(ギター界に)背負っているものが大きいように見えます。
(ここのギター協会の内情は存じませんが)一般的に「事務局」とは自分がこまごまとした用事をするのではなく、(好む・好まざるにかかわらず)意思を持って方針を示し(承認するのは役員でしょうけれど)、役員を動かさなければいけません。それを「お弟子の少ない先生」が(継続性を含めて)やれるとお思いでしょうか? やはり、いろんな意味で「影響力」のある人が仕切らないと難しいのではないでしょうか?
わたしも、広くご意見を伺いたいです。
まず、現に曲げられているから告発するのではありません。普通こういう人事はしないものだろうという組織原則を話している積もりです。
ギター販売店とは「ギター自身関連の売り上げ」が命。不景気な時代だと、店の借金高などにもその行動を左右されるはずです。ギター教師とか愛好家とは「ギター音楽自身を普及」して、弾く人、聞いてくれる人本位に振る舞える。この立場の違いがかなり大きい局面もあるはずだという組織原則を語ったつもりです。
他の販売店よりも立場上いろんな情報が入って、無意識にいろいろと出し抜くようなことも起こりうる。だから上でこう言ったのです。「ヤマハが事務局やったら、他の業者はいい気がしないはず」と。これは、組織の広がり、団結にもまずいですよ。
「副会長兼事務局」というのはこれまた、特別な権限です。会長が忙しかったり、なんらか彼の世話になっていたりしたら、組織の王様にもなれる立場です。彼が多数の先生の世話などをしていたとしたら、なおさらです。こうして、最近良く使われる言葉で言えば利益相反の局面も多いという組織原則を語ったつもりなんです。「
「他の業者はいい気がしないはず」はわかりますが、その業者は事務局を背負っていくだけの気概がありますか?もしそうであれば、それは喜ばしいことだと思います。そういう人を挙げてほしいです。
「利益相反の局面も多い」。そのとおりだと思います。事務局となる「相反」を背負ってくれるところがあればそれは良いことだと思います。継続的に背負ってくれるのはどこ(誰)だと思いますか?
今の体制・運営が満点とは思いません。でもこの地域にしては及第点だと思う立場での意見です。
「この立場の違いがかなり大きい局面もあるはずだという組織原則を語ったつもり」
「利益相反の局面も多いという組織原則を語ったつもり」
「原則」ですか?「(ここ 中部の ギター愛好者 にあっては) 非現実の理想論」ではありませんか?
具体的解決策(対策案)を示してほしいです。
『『ギター教師とか愛好家とは「ギター音楽自身を普及」して、弾く人、聞いてくれる人本位に振る舞える。』なんて、真面目に(本気で)言ってらっしゃいます?』
日本文化の全体傾向としてもそうですが、クラシックギター界はここの所ずっと斜陽だったと思います。否、文化一般が消費者・鑑賞者は増やしても、生産者・演奏者を増やそうとはしていないという時代だとも。音楽、絵画、文学、スポーツ・・・・全部そんな傾向が増えてきたのではないでしょうか。テレビやバーチャル文化の影響もあるのかも知れませんが。文化を実践する人々を増やしたいという望みを僕はもっています。
さて、ギター教師が食っていくためには弟子を増やさねばならない。ギター(実演者)の普及をしたいという立場と言えましょう。テレビや新聞、出版などと提携してこれを図るには、それ相当の組織はとても大切だと思います。この組織もそういう目的で作られたと言っても良いはず。
そこを強調し、そこに純化した公益的組織であるべきだと、そう語っているだけです。