思いもよらず連れ合いが急死して数ヶ月というある春の日、七十歳の俺一人、夕食卓の後ほろ酔い加減でテレビを観ていた時のことだ。久しぶりに俺の部屋の戸を開けて入ってきた娘が、改まった体で選ぶようにしてこんな言葉を紡ぎ出してきた。家族四人で俺の家に同居しているのである。
「父さん、どう言ったら良いのかいろいろ考えてきたんだけど、これからお風呂は彼の後に入ってくれる?」
〈「きれいに入ってね」とはたびたび注文されていたこと。背景は夫さんか?! それにしても、ここは俺の家。同居させていただいているのは、お前らだろうに……〉
第一印象はこんなところだったが、ちょっと間を置いてさりげなく応えてみた。このごろは、連れ合いがいかに二世帯の間を取り持ってくれていたかを痛感することも多くて、戸惑うことばかり続くのである。
「綺麗に入っていた積もりだけど、あれでもいかんのか? 毎日風呂に入る人と、二~三日に一度もありで来た人との感覚、習慣の違いって、そんなに凄いもんなのかなー」
「それはお父さんの感覚。彼や子供らの感覚はたいへん違いますから」
「今日のところはまー暫定的了解としておこう。正式の返事はまたにする」
俺が最近の世間を知らないのか、それとも娘ら夫婦がちょっとおかしいのか……。この翌日すぐに、同年代,同環境らしい親しい友人を選んで電話をかけ、後日返事があった一人はこんな実情報告をくれた。
「直線距離三百メートルほどに家族四人で住んでいる娘は、驚いたという以上に、呆れていたぞ。俺はしょっちゅうその家に行って、孫と一番風呂に入ってくるがね。『綺麗に使ってよ』とは、確かに注意される。それも、娘からではなく、直接お婿さんから何度もな。お前の娘さん、ちょっとおかしくないか?」
対して俺は、こう応えるしかなかったものだ。
「娘は、子持ちバツ一の再婚だから、立場が弱いのかなー」
すぐに返してきた友人の言葉は、
「おいおい、それじゃ東京の五歳児虐待死とおんなじじゃないか? この三月にあった事件だけど、体重十二キロになるまで、つまり同年齢児平均の六〇%に痩せ細るまで食を節約されたかした末に病院に担ぎ込まれ、その日に肺炎による敗血死とされた、あの船戸ユアちゃん。実父じゃない再婚相手がやったことらしいが、二五歳の実母の方はこう応えたらしい。『自分の立場が弱くなるのを恐れて、夫に従い、見ぬふりをした』と」
さて、この電話の後は問題がいっそう深刻に感じられてきた。娘夫婦の発言権がこんなに違っては二人の孫にも良いわけがないなど、どんどん貯まっていた例がどっと思い出されたからである。「息子夫婦に口出しなどしても結局自分が損するだけ(だから、口出しは止めた)」と吐き捨てたのは、年の離れた俺の姉。だけど、今のままじゃ娘のあの家、孫らもどうなることやら。友人との電話の翌日、決心した俺は娘にこう告げたものだ。
「俺の家を出てくれ。また、隣の区にある彼の実家に入るという話も出ていたが、それにはもっと強く反対する。これをもし敢行したらお前の立場がさらに弱くなるのが目に見えていて、それは俺には我慢ができんことだから。それ以上に、このままなら孫たちの成長がゆがむこと請け合いだ。俺に対等以上の口をきいていた母さんが今のお前を見たら、どれだけ泣くことか! そんなお前の姿も、孫たちの行く末も、俺にはもう見ていられない。これは、俺の一種のストライキだ」
「父さん、どう言ったら良いのかいろいろ考えてきたんだけど、これからお風呂は彼の後に入ってくれる?」
〈「きれいに入ってね」とはたびたび注文されていたこと。背景は夫さんか?! それにしても、ここは俺の家。同居させていただいているのは、お前らだろうに……〉
第一印象はこんなところだったが、ちょっと間を置いてさりげなく応えてみた。このごろは、連れ合いがいかに二世帯の間を取り持ってくれていたかを痛感することも多くて、戸惑うことばかり続くのである。
「綺麗に入っていた積もりだけど、あれでもいかんのか? 毎日風呂に入る人と、二~三日に一度もありで来た人との感覚、習慣の違いって、そんなに凄いもんなのかなー」
「それはお父さんの感覚。彼や子供らの感覚はたいへん違いますから」
「今日のところはまー暫定的了解としておこう。正式の返事はまたにする」
俺が最近の世間を知らないのか、それとも娘ら夫婦がちょっとおかしいのか……。この翌日すぐに、同年代,同環境らしい親しい友人を選んで電話をかけ、後日返事があった一人はこんな実情報告をくれた。
「直線距離三百メートルほどに家族四人で住んでいる娘は、驚いたという以上に、呆れていたぞ。俺はしょっちゅうその家に行って、孫と一番風呂に入ってくるがね。『綺麗に使ってよ』とは、確かに注意される。それも、娘からではなく、直接お婿さんから何度もな。お前の娘さん、ちょっとおかしくないか?」
対して俺は、こう応えるしかなかったものだ。
「娘は、子持ちバツ一の再婚だから、立場が弱いのかなー」
すぐに返してきた友人の言葉は、
「おいおい、それじゃ東京の五歳児虐待死とおんなじじゃないか? この三月にあった事件だけど、体重十二キロになるまで、つまり同年齢児平均の六〇%に痩せ細るまで食を節約されたかした末に病院に担ぎ込まれ、その日に肺炎による敗血死とされた、あの船戸ユアちゃん。実父じゃない再婚相手がやったことらしいが、二五歳の実母の方はこう応えたらしい。『自分の立場が弱くなるのを恐れて、夫に従い、見ぬふりをした』と」
さて、この電話の後は問題がいっそう深刻に感じられてきた。娘夫婦の発言権がこんなに違っては二人の孫にも良いわけがないなど、どんどん貯まっていた例がどっと思い出されたからである。「息子夫婦に口出しなどしても結局自分が損するだけ(だから、口出しは止めた)」と吐き捨てたのは、年の離れた俺の姉。だけど、今のままじゃ娘のあの家、孫らもどうなることやら。友人との電話の翌日、決心した俺は娘にこう告げたものだ。
「俺の家を出てくれ。また、隣の区にある彼の実家に入るという話も出ていたが、それにはもっと強く反対する。これをもし敢行したらお前の立場がさらに弱くなるのが目に見えていて、それは俺には我慢ができんことだから。それ以上に、このままなら孫たちの成長がゆがむこと請け合いだ。俺に対等以上の口をきいていた母さんが今のお前を見たら、どれだけ泣くことか! そんなお前の姿も、孫たちの行く末も、俺にはもう見ていられない。これは、俺の一種のストライキだ」