色々大変苦労してやっと、7月初めからの白内障手術入院ブランク1カ月以前の走力に戻れた。6日のジムでウオームアップ緩走込みの前半30分(市営ジムマシンは、1回30分の時間制限がある)が4・3キロに届いたからだ。これは7月5日の前半と同じ距離で、なおかつ心拍数も145ほどとまだかなり余裕ある走りだった。明日からの次の目標は6月18日の「4・4+4・6キロ」になるが、これももう達成したも同じと実感できている。すると次には、昨シーズンの最高記録が目標となり、ジムでは1月19日「4・5+4・9」、同じ1月17日の外走りでアップ走とダウン走の中間5キロほどを1キロ当たり6分26秒で走ったのが目標になる。
こういう直近の目標について、後半30分の目標は案外達成近くなっているとも、6日には初めて感じた。前半30分を抑えて走れば、後半は9・8キロほどで走り通せる目途が立っている。つまり、相当長いウオームアップ時間が必要な身体になってきたが、走力自身は伸びているのである。ちなみに、18年12月22日には前半4・7、後半4・9キロという記録があるが、後者は今も十分可能ということだ。前者は難しくなったということなのだが。
ということで、僕の最近のマイナスになった走力をやっと振り出しまで戻した時点から、本日は次への抜本的鍛錬にもう一歩励んできた。左脚のウエートトレーニングを機器を初めて使ってやった。左片脚膝を180度から135ほどに曲げた状態から真っ直ぐに伸ばす加重運動を何回もやってみて、左10回が出来る重さはほぼ85キロと確認。この重さを今後次第に増やしていこうという心づもりである。この時、右脚の方が考えていたとおりかなり強いとも確認できたが、この左右とも100キロとか同じほどになれば「走る時の地面つつき力」も左右同じほどになるだろうという算段である。気の長い話になるかもしれぬが、座位の両腕10回プレス筋肉では28キロから35キロへと最近の鍛錬が効いたのが先日確かめられているので、脚ならなおさら鍛錬有効と考えたわけだ。そしたら、6日のこの運動の後、両脚のなんと軽かったこと! 驚くばかりで、目標への成算が既に立った思いだなどと、今後にとても楽しみが増えたもの。
「色々やってみるもの。来年80になる身として、こんな楽しみが持てるって幸せなことだ」
余談になるがスポーツの話として、ひとつ。孫の10歳女児が、メガロススイミングクラブこの8月平泳ぎ測定で4年生の1番になった。6月の背泳ぎに次いで、この大きなクラブでの学年別2冠王だ。これは、スポーツ大好きで生きてきた僕の折々の特訓の成果であって、僕の「スポーツへの目」がこんな所で役に立ったとか、これは孫への遺産とも言えるとか感じられて、とても嬉しかった。これも、老人最高の幸せの一つ。なんせ「明日、特訓、行こうか」と呼びかけると必ず付いてくるという信奉ぶりで、母である娘がやるピアノ教室援助よりもはるかに上手く行っている。「好きにしないと、上手くならない」を娘は分かっていなかったと観てきた。もっともまー、子どもは音楽よりもスポーツの方が好きになりやすいのだろう。ただ、娘は音楽教育で小学教師になったのだけれど・・・。ついでに、ここに近くこんなことも書いてみようか。「水泳4泳法の指導で起こりやすい悪癖と、その正し方」。
最高時速は11キロ、インターバル的にも走ったから10キロ前後も都合15分ほどはあった。
加えて、初の片脚プレスの可能重量探りを控えめにやって、55~75キロを各左10回Ⅹ6セット、右4セットほど。
だのに疲労感は、昨日の心臓疲労感少々だけで、本日はそれも含めて疲労の痕跡もなくなっている。こんな運動強度にこの少ない疲労感って、多分、お酒を控えたことも関係しているようだ。ずっと毎日飲んできたのを、先週は確か4日も飲まなかったから。こういうこと全て、新たな気持でランへの挑戦を始めたからなのだが、「積年の悩み、椎間板ヘルニア手術後遺症である左脚の弱さ」への挑戦ということだから、何か新鮮な気分になっている。はて、結果はどうなるか。
ちなみに、ジムと外走りとを平行してやっていけば、やがてはこのタイムは同じような速度になっていくものだが、外走りが9キロ時になるには、どれほど期間が必要だろうか等と考えている。上のエントリーに書いたように今年の1月にはこういうふうだったのだが。
『昨シーズンの最高記録が目標となり、ジムでは1月19日「4・5+4・9」、同じ1月17日の外走りでアップ走とダウン走の中間5キロほどを1キロ当たり6分26秒で走ったのが目標になる』