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ニシノジャパン(24) 「敗北狙い」は誤り?  文科系

2018年06月29日 10時12分54秒 | スポーツ
 昨夜のポーランド戦、日本のゲームの終え方について世界から批判が巻き起こっている。終盤に交代で入った長谷部を通して監督命令がフィールドに伝えられて「0対1のままゲームを終えよ」となったようだが、この問題を結構大きいことだという問題提起をしてみたい。

 最初に僕の結論を言っておけば、こういうものだ。
「予選勝ち抜きという勝ち負け目標が全てならあれもありと言えようが、人間のスポーツとしてはそれよりも大事な要素、視点が存在して、それを切り捨ててしまった」
 ではスポーツの何を切り捨てたか。正々堂々と戦うスポーツマン精神を切り捨て、併せてゲームそのものを見たい日本以外の世界の観客(当然、テレビ観客も含む)ほとんどを切り捨てた。そのことによってまた、ワールドカップそのものを汚したという側面も存在する。しかも、日本が同勝ち点のセネガルに勝てた理由となったのが、イエローカード数の少なさという「フェアプレー判定」によってなのだから、そこには大きな矛盾が含まれている。その意味でもこの大会を汚してしまった、と。

 さて、こういう問題は大げさではなく、スポーツ文化に関わる大きくて、深い問題を含んでいると愚考してきた。それも、世界を二分して、かつその両者に大きな隔たりがあるような文化問題だと。
 近代スポーツが起こった欧州では、スポーツは紳士の身体文化という扱いを受けてきたと思う。英仏独などにはそういう伝統が根強く残っていて、オリンピックやラグビー、テニスなどには、今でもそういうシキタリ、心が生きているはずだ。他方、米大陸などのスポーツは、ちょっと異なっている。「勝ち負けが重要なゲーム」になった。野球や南米サッカーは、オリンピックやラグビーの世界とはちょっと違うということでもある。こういう断絶には、米大陸などでスポーツが始まり、庶民に広まったころからの「スポーツ=プロスポーツ」という影響も大きかったのではないか。この隔たりにはこうして、スポーツを巡るアマチュア精神とプロスポーツによるその変身というスポーツ文化問題も含まれているわけだ。

 以上の愚考を踏まえて、昨夜の日本戦である。次へ進むためにこのゲーム後半を投げ捨てたやり方について、特に欧州を中心に大きな批判が上がっている。厳しい評論家はこう語っていた。
『スポーツマン精神を放棄したチームが、フェアプレー勝ち抜け? ものの分かった観客がぞろぞろ帰って行ったのは当たり前。次戦日本は、ボコボコにされればよい』

 ちなみに、こういう近代スポーツの歴史に対して、日本という国のスポーツ世界は、さらに複雑かつ特殊な立場に位置して来たと思う。戦前にはスポーツはなくて、「体育」、「運動」があった。代わりに伝統スポーツらしいものにはほとんど「道」という語がついている。柔道、剣道、弓道に、相撲や空手なども、道がついたような側面を持っていると言えよう。本心はともかく、表面では「この精神こそ重要」と振る舞ってきたわけである。こうして日本のスポーツには、「体育」と「道」に加えて、戦後の野球や五輪スポーツの広がりが加わってきたわけだ。こんな中で、昨夜の「勝ち抜け至上主義」は果たして、「以降をもう見たくないもの、チーム」にしてしまったのかどうか? 「体育」、「道」、「野球派」、「五輪派」、そして僕のような「スポーツ派」・・それぞれの言い分が、多分異なってくるはずだ・・等々と考えてみるのも一興。と、僕は考えてきたのだが・・・。

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さらに、問題提起 (文科系)
2018-06-29 11:40:40
 昨夜のゲームを観ていた僕は日本人だが、なんと味気なく感じたことだったか。そもそも恥ずかしかったし、観るのを止めてしまった。問題提起という意味も込めて、僕もこう言いたい。
『ベルギーに、ボコボコにされればよい』

 僕は勝ち負け以上に、スポーツ精神を重視したいからだ。スポーツをやる者の視点を少しでも持っていれば、どこかにそういう嫌悪感が残ったはずだとも、付け加えておきたい。昨夜の出場選手の中にさえ、そう感じた人が居るはずだとさえ、付け加えたい。監督命令には従うが、嫌だなということだ。


 さらに一言、
 このゲームをわざと負けよと監督が命じて、従わない選手が出たら、これはパワハラにはならないものだろうか? 当然のように何らか制裁が加えられるだろうし。選手の不服従の理由が当然「スポーツマン精神に反するから嫌だ」ということなのだから。ちょうど日大の内田監督とまでは言わないにしても、それと同類の性格が含まれてくると、こう述べたら言い過ぎになるだろうか?

 この辺は、日本人や「プロスポーツの消費者」「日本体育会系」の常識とは違う、非常に弱いところだからこそ、日大問題も起こったのだろうという、そんな問題提起でもある。
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誤解の無いように (文科系)
2018-06-29 12:10:50
 誤解の無いように、二つのことを付け加えておく。
①僕は、セネガル戦後まで、というよりもポーランド戦前半までは、西野を凄く買っていた。それは、ニシノジャパン23回に書いてある通りで、あの全てが西野の功績でもあるということだ。

②よって、昨日コメント以降に書いている批判は、それとは全く違う、僕にとってはそれ以上に大切な新たな批判視点を持たざるを得なくなったということである。

 以上よろしく。 
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弁護士・橋下徹 (文科系)
2018-07-02 13:55:28
 橋下徹がこの件について持論を述べていた。「これを不正とかいう奴は、頭が悪い証拠」という言い方で。実に彼らしく、世の中を意識した発言だと愚考した次第だ。
 弁護士という知識人、政治家として、「勝ち負けだけのプロスポーツ観」と、「近代民主主義人類史が作り上げた近代スポーツ観」とを意識した上で、前者のニヒリズムに軍配をあげているのである。「頭が悪い」という言い方に、こういう言論をする者に対してという意図が、暗黙の前提となって存在しているのである。それも、そのことを意識した上で、敢えて公然と発言したものだ。本当に悪い奴である。
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