人とケンカして決裂などという作品をここにも、いくつか書いてきた。「世界を狭くした話」とか「家出に限る」、「読者っていじわる」とか。実はその何倍もの実例を、大小はあってもここ数年でおっぴろげてきたんじゃないか。俺としてわざとではないし、なにか自分をとりわけひけらかす気などもない積もりだし、自然の成り行きのようにこうなってしまう。こう続くと年のせいだと只うそぶいているわけにもいかず、振り返ってみないわけにはいかなかった。今のところはこんな分析だろうか。
「自分がますます素直に出始めたのだが、こんなに怒るのはきっと、注文が多すぎるから?!」。大学で哲学を十年近く学び、その哲学を、世の中や人々を見続けるような職業の中でいろいろと補足修正に励まざるをえなかった数十年。現役時代から同人誌に入って文章を学び、古希過ぎの今まで「日本の男は文化の匂いがしない」などと言いつつ、スポーツやギターにも明け暮れてきた。こんなことどもを自分自身に求めるのは良いこととしても、この流儀でもって俺って人にも反論したり、注文付けたりしているのかな。だとしたら「知識、特技、『文化』をひけらかして、何て嫌な奴」と思われないか? それが少しずつ相互反目の種にもなっていく?
こんなこともあるかな。俺は、日本人としては珍しいほどに自己表現が多いのは確かだろう。ただしそれは、プラス事項の表現だけでなく、マイナスのそれも平気でする。例えば「家出に限る」のように。だから自慢屋などとは思わないのだが、人は案外そういう話のプラスの面だけを聞き、よく覚えているのかも知れない。もっとも、この「家出に限る」ですら、何か自慢の作品と解釈した人さえいるのだ。いずれにせよ、人なんて案外無責任なもので、本気で会話の相手にするべき人は多くはないということかもしれない。言葉なんて所詮、言葉でしかないのだから、「実」を知りあった相手が本気で付き合える第一の条件になるのだろう。そういう人を相手にしてしかも必要な時にだけ、本気で怒るのが良いのかも知れない。俺は逆で、目前のあらゆる人に本気で付き合ってきたと、そんな感じだ。ちょうどギターやランニングマシンやこのブログ相手のように。
「自分がますます素直に出始めたのだが、こんなに怒るのはきっと、注文が多すぎるから?!」。大学で哲学を十年近く学び、その哲学を、世の中や人々を見続けるような職業の中でいろいろと補足修正に励まざるをえなかった数十年。現役時代から同人誌に入って文章を学び、古希過ぎの今まで「日本の男は文化の匂いがしない」などと言いつつ、スポーツやギターにも明け暮れてきた。こんなことどもを自分自身に求めるのは良いこととしても、この流儀でもって俺って人にも反論したり、注文付けたりしているのかな。だとしたら「知識、特技、『文化』をひけらかして、何て嫌な奴」と思われないか? それが少しずつ相互反目の種にもなっていく?
こんなこともあるかな。俺は、日本人としては珍しいほどに自己表現が多いのは確かだろう。ただしそれは、プラス事項の表現だけでなく、マイナスのそれも平気でする。例えば「家出に限る」のように。だから自慢屋などとは思わないのだが、人は案外そういう話のプラスの面だけを聞き、よく覚えているのかも知れない。もっとも、この「家出に限る」ですら、何か自慢の作品と解釈した人さえいるのだ。いずれにせよ、人なんて案外無責任なもので、本気で会話の相手にするべき人は多くはないということかもしれない。言葉なんて所詮、言葉でしかないのだから、「実」を知りあった相手が本気で付き合える第一の条件になるのだろう。そういう人を相手にしてしかも必要な時にだけ、本気で怒るのが良いのかも知れない。俺は逆で、目前のあらゆる人に本気で付き合ってきたと、そんな感じだ。ちょうどギターやランニングマシンやこのブログ相手のように。
段落も、脈絡も無く、読み難いったら、ありゃしない。
本気で会話の相手にするべき人は多くはないと
いうことかもしれない。
という一文にぴったりのコメントも来ていますね。
人って自分の文脈でしか他人の話を理解できない。
それを越えられる人は少ないのでしょう。
とくにネットのような人間関係では。
らくせきさんが引用している『本気で会話の相手にするべき人は多くはない』、これに対して僕が書いている『俺は逆で、目前のあらゆる人に本気で付き合ってきた』ね。僕が、貴方にも本気で書いていることがわからないかな。内容のない文章だけど、どうしても無視することができないんですよね。これは、人間の真面目さだ。それを貴方はからかっているような気分なのでしょうね。そんな事当然僕は分かっているのにねー。
焦点をあてて言っただけです。
なお、貴方の文章はそのままに理解できたつもりで、名無しさんに対して僕の弁護人をやっていただけたと読みましたが。
しかし、「哲学を10年学んだ」といったことを口端にした途端、面皮欠き…。勿体なくも痛惜。
おつきあい下さり、有り難うございました。内容には多少の抵抗はありますが、「同類輩として 」との自戒を込めた表現ですから、微笑んで読めました。
抵抗というのはこういうこと。上の「分析」に欠かせない事項だからです。この「十年」がないと以下の意味が半減してしまう。
『この流儀でもって俺って人にも反論したり、注文付けたりしているのかな』
『「知識、特技、『文化』をひけらかして』
つまりこの「十年」は論理的必然性のある事項。この十年を以降も生活の中で折に触れて温め直してこざるを得なかった。日記などはこんなことばかりでした、よってまー「必然性があるから、脱いだ」というように理解して下さい。この場合の「脱ぐ」というのにリブの女性のように過剰反応する貴方だとしても。でもまたこれも、同類のあなたの過剰反応承知の態度と受け取っておきますね。