昨日も西村ナントカ大臣の「土産持ち係の役人ゾロゾロ」を問題にしたが、これが「安倍自民党の政治主導の姿」なのか? 「先生」と呼ばれ慣れているうちにこうなっていたのだろうが、こんな先進国は他にもあるのかな?
桜を観る会に山口県人、安倍後援会員が多すぎたり、統一教会員までが出ていたと後になって喧しいが、この会の主管省庁官僚らも含めて、誰もこれを批判できなかったからこそ続いてきたものだろう。これも、同じ「政治主導の現段階」だったのか? 百田尚樹やケント・ギルバートも国政功労者であるって、官僚は誰も「法の趣旨にあわないから、やめてください」と諫言できなかったのだろうか?
2015年、下村博文文科相を先頭に統一教会悲願の改名と新たな公認に密かに踏み切っていたのも、今思えば、完全な政治主導。官僚として文科相、次官に次ぐ文科省ナンバー3の立場だった前川喜平らが、「文化庁官僚らは、統一教会のこの要求を2015年まではずっと退けてきた」と明言しているのである。下村がこれを政治主導して、家庭を破壊する教団を再び日本国にのさばらせてしまった。
こうしてみると、安倍自民党政治の「政治主導」って、官僚の中に積み上げられてきた無形公共財を破壊してきた政治悪の巣窟ではないか。それどころか、こういう悪の巣窟に文句を言う官僚をすげ替えることこそ、菅官房長官の最大の仕事であったとなどとも聞いている。内閣人事局はこういう悪の巣窟の司令塔・推進部局であった。