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ある法哲学者の根本的な政権批判  文科系

2021年05月27日 12時40分42秒 | 国内政治・経済・社会問題

 昨日の二つのエントリー、五輪中止を論じた拙稿とその直後に出た朝日社説紹介とに期せずして存在した論理的共通性について、この前者にこういうコメントを付けた。

『 手前味噌、一つご披露 (文科系) 2021-05-26 19:17:16
 このエントリーは、今朝3時台に書いた物。ところが、その後に出た朝日新聞社説と瓜二つの論理展開になっている。その共通の展開は以下の通りで、「誰が述べても筋は筋」という、そういうものなのだ。
①中止すべきだ。
②国民が、政治が最も重視すべきその命を賭けてやるなどに反対しているのだから。
③ましてや、①②に対抗すべき政府開催理由を何も説明していないのは酷すぎることだ。
④その説明できぬ開催理由は、「五輪が成功したら、選挙は勝てる」ということ、それが説明できぬ「政府の狙い」なのだろう。』

 さて、この筋論をさらに大きく発展させてくれる学問的論考が、今日の朝日新聞に載っている。これを読むと、今の内閣がどれだけ堕落しているかその筋論が学問的によーく分かるのである。東京大学の法哲学者・井上達夫氏の論考を紹介する。
『管義偉首相は説得力ある論拠を示さぬまま、「全力を尽くす」「安心安全な大会に」と繰り返す。訝る機運が広がって当然だろう。
 為政者は有権者に説明責任を果たさなければならない。民主主義の基盤だ。それを怠る彼らにより自覚を促すため、「答責性」という厳しい言葉をかみしめてもらいたいと思う』
『こうあってほしいという願望思考ばかりで、危機の実相を直視しようとしなかった』
『手続きや要件が厳格に求められる法治国家のルールが踏みにじられ、同調圧力による社会的制裁が野放しだ』
『財産権の制限には正当な補償が求められるとする憲法29条3項は、無視されている』
『法の支配におざなりな、この国の根深い問題が浮かび上がっている』
 とこう来て、文中最要点がこう展開して、結ばれている。
『答責性の本質を探っていくと、僕が長年研究してきた正義の概念と、深いかかわりがある。正義は、自己の権力欲や他者へのバッシングを合理化するイデオロギーではない。逆だ。自分の他者に対する行動が、たとえ相手の視点に立ったとしても正当化できるか、その反転可能性を自己批判的に吟味してみることである。・・・・
 答責性は、だから実はすべての人に課せられる。互いに批判し合い、変わってゆく寛容さ。公共性にとって不可欠な、対話の営みのことなのだ。
 五輪に参加を表明した世界の多くの国で、民主主義が揺らぎ、傷ついている。いま心すべきは、1人ひとりが責任主体として失政を監視し追及する覚悟を新たにすることに違いない』

 ちなみに、この文章を安倍晋三が読んだら、寝言にしか聞こえないはずだ。『(正義とは)自分の他者に対する行動が、たとえ相手の視点に立ったとしても正当化できるか、その反転可能性を自己批判的に吟味してみることである』
「国政功労者を祝い励ます会」を「閣僚など国会議員の個人選挙功労者を祝い励ます会」「山口県人ばかりが多い会」に換えてしまった人間には、この会が、政治家の「相手」である一般国民目線で正当化できるか自己批判的に吟味してみることなどは思いもよらぬ事だったはずだから。「吟味してみたらすぐに取りやめになった会」が、長年続いてきたのである。

コメント
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