このエントリーは、17日エントリー『日本スポーツメディアを「野球(メディア)」が「汚している」』の続きである。野球、相撲の扱いばかりが、何故こんなに大きいのか。野球人口はサッカー人口に負け始めたはずだし、相撲などはもう「国技」の面影などとうに失っているし、今やスポーツの中でも特に寿命を縮めるものという意味で「親よりも早く死ぬ逆縁を作って、これがスポーツ?」と言いたくなる。なのに、場所中はサッカーよりもずっと扱いが大きいのだ。日本マスコミはそろそろ、長年のスポーツ報道の在り方を変えるべき時ではないか。
その「公器」としてあるならばという発想観点は、ずばり「国民皆スポーツとともに進む」、これ以外にはないはずだ。これは積年の「スポーツ興行主・マスコミ」「文化の消費者としてのマスコミ」という方針を転換せよという意味にもなる。「自ら(特定)プロスポーツを報道種として育成しつつ、それと持ちつ持たれつ」という谷町的観点から脱皮せよと言っても良いかも知れない。ランニング、軽登山を楽しむ国民の数は、相撲など到底足下にも及ばないはずだ。なぜ、そういう人々が楽しみにできる記事が連日作れないのか。少年のサッカー、野球、水泳愛好者やそれに連れ添っている大人が、マスコミスポーツ欄などてんで当てにもせず、見向きもしないのは何故なのか。
マスコミスポーツの編集方針はもう、ガラパゴス島の亀のようなもんだ。