僕が通っているジムには、ボディビルダーさんたちの一群がランナーと同じほどいる。皆熱心なのだが、なぜかそのうち多くの方は下半身がトレーニング不足から貧弱で、筋肉が良く付いた上半身も人様々に脂肪が被さってぷっくりと見える人が多い。いくら筋肉を盛り上がらせても、有酸素運動をしないと脂肪は落とせないのである。何故走らないのだろう。こんなに熱心にやっていることが、望みと矛盾している……。
さて、よく見たら、ボディビルダーさんたちにもいつもきちんと走っている一群がいる。その内お一人の走行フォームがどうにもずっと気になって仕方なかったので、先日とうとう初めて声をおかけした。人もまばらで殺風景な、更衣室での会話である。
「一応ランナーの端くれとして、お宅のフォームのこと、ちょっと喋っていいですか?」
五五歳ほどとお見受けしたその胸には胸筋が三センチも浮き出ていて、割れた腹筋に覆われた腰はギリシャ神話の「豹の腰」。背は低めだが細めの身体がむしろ気に入って、かつ本格的ボディビルダーに見えたから、声をおかけする気になったのだろう。予想通りににこやかに「どうぞどうぞ、お願いします」と来た。向こうは向こうで当然、僕がマシン隣同士も含めて、いつも十キロほどを走る者と知っているはずなのである。
「あのーですねー、ちょっと上半身が二重に前に曲がっていると思います。腰の上辺りからヘソを前に出すような感じで起こして、他方顎をこう引けば首の下の背中もこう伸びます。アマチュアはこのように上半身が自然に立った姿勢の方がうんと楽に走れるはずなんで、僕はいつも心拍計を付けて走ってますが、これだけのことで同じスピードでも心拍が十近く下がりますよ」
「ありがとうございました、確かに、覚えがあります。普通でも猫背と言われますし。そうですか、そうすればそんな楽に走れると」
「ビルダーさんも、コンテストの前は特に走らないといけないと聞きました。脂肪を削がないと筋肉が浮き出ないから成績が落ちると……」
「そうですそうです、確かにその通りなんで、長く走れないといけないんです。助かりました。やってみます」
快く、聞いていただけた。そこで、改めて僕から、
「あなた、毎日来られてますよね。それであれだけのトレーニングと、ランまでやられるって、ご立派。まだ現役でしょうに」
次の返事には、とにかく驚いたのなんの、こう返ってきた。
「いやーっ、とっくにリタイアーしてますよ。…… 七一歳です」
他人の年でこれだけ見誤ったのは、僕の人生まず初のこと。一五歳は若いのである。脂肪はないし、筋肉があるぶん顔も引き締まってつややかな小顔、その上の髪も僕よりかなり……と、とにかく改めて仰ぎ見ていた。そんな僕は口をポカンと開けたような苦笑いだったはずだ。彼も僕の眼を見て笑っているから、二種の微笑みの交錯という絵だ。その歳までこの身体を維持してきたって、ランナーとしても僕よりはるかに大先輩。大先輩に、たかだか十数年の僕が説教たれてきたってことになると、その時に気付いた。
さて、よく見たら、ボディビルダーさんたちにもいつもきちんと走っている一群がいる。その内お一人の走行フォームがどうにもずっと気になって仕方なかったので、先日とうとう初めて声をおかけした。人もまばらで殺風景な、更衣室での会話である。
「一応ランナーの端くれとして、お宅のフォームのこと、ちょっと喋っていいですか?」
五五歳ほどとお見受けしたその胸には胸筋が三センチも浮き出ていて、割れた腹筋に覆われた腰はギリシャ神話の「豹の腰」。背は低めだが細めの身体がむしろ気に入って、かつ本格的ボディビルダーに見えたから、声をおかけする気になったのだろう。予想通りににこやかに「どうぞどうぞ、お願いします」と来た。向こうは向こうで当然、僕がマシン隣同士も含めて、いつも十キロほどを走る者と知っているはずなのである。
「あのーですねー、ちょっと上半身が二重に前に曲がっていると思います。腰の上辺りからヘソを前に出すような感じで起こして、他方顎をこう引けば首の下の背中もこう伸びます。アマチュアはこのように上半身が自然に立った姿勢の方がうんと楽に走れるはずなんで、僕はいつも心拍計を付けて走ってますが、これだけのことで同じスピードでも心拍が十近く下がりますよ」
「ありがとうございました、確かに、覚えがあります。普通でも猫背と言われますし。そうですか、そうすればそんな楽に走れると」
「ビルダーさんも、コンテストの前は特に走らないといけないと聞きました。脂肪を削がないと筋肉が浮き出ないから成績が落ちると……」
「そうですそうです、確かにその通りなんで、長く走れないといけないんです。助かりました。やってみます」
快く、聞いていただけた。そこで、改めて僕から、
「あなた、毎日来られてますよね。それであれだけのトレーニングと、ランまでやられるって、ご立派。まだ現役でしょうに」
次の返事には、とにかく驚いたのなんの、こう返ってきた。
「いやーっ、とっくにリタイアーしてますよ。…… 七一歳です」
他人の年でこれだけ見誤ったのは、僕の人生まず初のこと。一五歳は若いのである。脂肪はないし、筋肉があるぶん顔も引き締まってつややかな小顔、その上の髪も僕よりかなり……と、とにかく改めて仰ぎ見ていた。そんな僕は口をポカンと開けたような苦笑いだったはずだ。彼も僕の眼を見て笑っているから、二種の微笑みの交錯という絵だ。その歳までこの身体を維持してきたって、ランナーとしても僕よりはるかに大先輩。大先輩に、たかだか十数年の僕が説教たれてきたってことになると、その時に気付いた。