昭和区九条の会では、癌と闘いながら「平和を求め」歌うレインボウズ(雨坊主)
のコンサートを以下の日程で行います。
何故? 長野松本市から・・・?? 実は、リーダーの「かしものはるお」さんは、
事務局の舟橋とは、職場の同僚であったこともあり、毎年行う、平和のつどいに出演
したいとの要望を受けていました。
しかし、癌の進行が予想以上であり、「平和のつどい」に出演できない可能性もあ
るので、今回のコンサートを行うことになった次第です。
多くの皆さんに参加いただき、「かしものはるお」の命をかけた歌声をお聞きくだ
さることをお願いいたします。
(日 時) 1月29日(日) 午後2時~4時(開場は1時30分)
(会 場) 昭和区生涯学習センター・視聴覚室
(参加費) 500円
以下、レインブウズのリーダー(かしものはるお:岐阜県加子母村(現中津川市)
出身)からの自己紹介をお読みください。
■かしものはるお
1950(昭和25)年、岐阜県恵那郡加子母村(現中津川市)生まれ。中学2年
から作詞作曲を始める。
岐山高校時代にエレキバンドに参加。ベースとドラムを担当。
高校卒業後、東海財務局岐阜財務部に勤務。「あひる歌う会」に参加。
1971年、青年団体の専従職員となる。フォークバンド「マンバアツム&かしも
のはるお」を結成。72年上京、機関紙編集局を中心に80年まで勤務。
80年に、74年に結婚していた妻の実家のある長野県松本市に移住、コープ
ながのに勤務。
2003年、職場の仲間と「雨坊主(レインボウズ)」を結成。生協の催し物や
各地の「九条の会」等に出演。
長崎で被爆したうえにビキニ環礁でも被爆して、ついに横須賀の海に入って自殺し
た青年(藤井節弥さん)がいたことを知った横須賀の人たちが、毎年「海の日」に
藤井節弥さんを追悼する「観音崎非核平和の誓いのつどい」を開催しています。
その運動体が03年に運動を広めるために歌を募集しており、応募した「命焼かれ
て」が採用され、横須賀の女声合唱団が録音してCDとなり、運動の広がりに一役買
いました。
04年に作った「憲法九条」が「うたごえ新聞」の「今週の紹介曲」に掲載されま
した。
2010年3月、コープながのを退職した数日後、足の付け根に痛みを感じて医者
にかかりはじめ、紹介された信州大学付属病院で診察を受けて2度の検査入院の結果、
6月に出た結論は「前立腺癌が骨に転移している。それもPSA(腫瘍マーカー)が
正常値という極めてめずらしい一筋縄ではいかないくせもの」。
さっそく服用する薬とホルモン注射を併用しての治療を始め、最初は効き目があり、
痛みもほとんど消えて、骨も再生していたが、年を越して11年になると薬が効かな
くなり、4月に転移していた恥骨が骨折して入院。5月から「切り札」といわれる点
滴の抗癌剤に変えて治療開始。
以後4週間に一度入院して12日間程度の治療を続けている。が、転移もさらに進
んだため、服用薬を変えながら療を続けるとともに、「玄米菜食」を中心とした食事
療法等も採りいれ、今年は免疫細胞療法も視野に入れての癌との共生と闘いが続く。
そんな中で、自分に残された使命は、「平和と命の尊さを歌で訴え続けること」
と考え、しばらく休んでいた「雨坊主(レインボウズ)」の活動を11年7月に再
開、9月から、居住地域の公民館主催の「平和トークコンサート」、生協県連主催の
「虹のフェスタ」、「信州秋まつり」等に出演。今日に至る。
■雨坊主(レインボウズ)
2003年に、かしものはるおの歌を中心に歌うことを目的に作られた、コープな
がの職員のバンド。現在は退職者の方が多くなっている。
メンバーは入れ替わったりしているが、現在は登録は10人。実際にステージに立
つのは、ボーカルが男女で4人、伴奏はギター2台とベースで、計6人くらい。
今回のメンバーは
かしものはるお~ボーカル、ギター さだまさか~ボーカル、二胡他
ちかちゃん~ボーカル他 よしこさん~ボーカル他
コッタ~エレキベース
■皆さんのお越しを期待しております。
のコンサートを以下の日程で行います。
何故? 長野松本市から・・・?? 実は、リーダーの「かしものはるお」さんは、
事務局の舟橋とは、職場の同僚であったこともあり、毎年行う、平和のつどいに出演
したいとの要望を受けていました。
しかし、癌の進行が予想以上であり、「平和のつどい」に出演できない可能性もあ
るので、今回のコンサートを行うことになった次第です。
多くの皆さんに参加いただき、「かしものはるお」の命をかけた歌声をお聞きくだ
さることをお願いいたします。
(日 時) 1月29日(日) 午後2時~4時(開場は1時30分)
(会 場) 昭和区生涯学習センター・視聴覚室
(参加費) 500円
以下、レインブウズのリーダー(かしものはるお:岐阜県加子母村(現中津川市)
出身)からの自己紹介をお読みください。
■かしものはるお
1950(昭和25)年、岐阜県恵那郡加子母村(現中津川市)生まれ。中学2年
から作詞作曲を始める。
岐山高校時代にエレキバンドに参加。ベースとドラムを担当。
高校卒業後、東海財務局岐阜財務部に勤務。「あひる歌う会」に参加。
1971年、青年団体の専従職員となる。フォークバンド「マンバアツム&かしも
のはるお」を結成。72年上京、機関紙編集局を中心に80年まで勤務。
80年に、74年に結婚していた妻の実家のある長野県松本市に移住、コープ
ながのに勤務。
2003年、職場の仲間と「雨坊主(レインボウズ)」を結成。生協の催し物や
各地の「九条の会」等に出演。
長崎で被爆したうえにビキニ環礁でも被爆して、ついに横須賀の海に入って自殺し
た青年(藤井節弥さん)がいたことを知った横須賀の人たちが、毎年「海の日」に
藤井節弥さんを追悼する「観音崎非核平和の誓いのつどい」を開催しています。
その運動体が03年に運動を広めるために歌を募集しており、応募した「命焼かれ
て」が採用され、横須賀の女声合唱団が録音してCDとなり、運動の広がりに一役買
いました。
04年に作った「憲法九条」が「うたごえ新聞」の「今週の紹介曲」に掲載されま
した。
2010年3月、コープながのを退職した数日後、足の付け根に痛みを感じて医者
にかかりはじめ、紹介された信州大学付属病院で診察を受けて2度の検査入院の結果、
6月に出た結論は「前立腺癌が骨に転移している。それもPSA(腫瘍マーカー)が
正常値という極めてめずらしい一筋縄ではいかないくせもの」。
さっそく服用する薬とホルモン注射を併用しての治療を始め、最初は効き目があり、
痛みもほとんど消えて、骨も再生していたが、年を越して11年になると薬が効かな
くなり、4月に転移していた恥骨が骨折して入院。5月から「切り札」といわれる点
滴の抗癌剤に変えて治療開始。
以後4週間に一度入院して12日間程度の治療を続けている。が、転移もさらに進
んだため、服用薬を変えながら療を続けるとともに、「玄米菜食」を中心とした食事
療法等も採りいれ、今年は免疫細胞療法も視野に入れての癌との共生と闘いが続く。
そんな中で、自分に残された使命は、「平和と命の尊さを歌で訴え続けること」
と考え、しばらく休んでいた「雨坊主(レインボウズ)」の活動を11年7月に再
開、9月から、居住地域の公民館主催の「平和トークコンサート」、生協県連主催の
「虹のフェスタ」、「信州秋まつり」等に出演。今日に至る。
■雨坊主(レインボウズ)
2003年に、かしものはるおの歌を中心に歌うことを目的に作られた、コープな
がの職員のバンド。現在は退職者の方が多くなっている。
メンバーは入れ替わったりしているが、現在は登録は10人。実際にステージに立
つのは、ボーカルが男女で4人、伴奏はギター2台とベースで、計6人くらい。
今回のメンバーは
かしものはるお~ボーカル、ギター さだまさか~ボーカル、二胡他
ちかちゃん~ボーカル他 よしこさん~ボーカル他
コッタ~エレキベース
■皆さんのお越しを期待しております。