この間ざくろさんから寄せられたいくつかの質問がここで物議を醸しているようだから、新たにエントリーを起こしてお答えしておきたい。以下、『 』は、ざくろさんの質問。その一つ一つにお答えを書く。願わくばざくろさんも、こういう明確な形式でお願いしたい。こちらが質問することには答えずに、「関連事項?」ということで答と関係ないこと中心に、言いたいことをざらざらと羅列するというのではなくて。
1 『このブログには「かえる」派の人はいてはいけないんですか?
「まもる」派の人達は「話し合いが何より大切」といいながら、話し合いは苦手で異論を認めないという人も少なくないようですね。』
カエル派がここに居て、当然よろしい。いけないと語った人は今までは、ここにいませんでした。まして、今回の睦子さんのように、カエル派に対して一言「品がないから、サヨウナラ」なんて人は居なかったはず。睦子さんって、貴方のサクラじゃないの? それどころか、カエル派の方々こそ、それぞれ長い論争の末に回答不能となって逃げていった人ばかりでした。そんな人が数人いらっしゃったが、貴方は逃げられないように期待します。ざくろさんはそんな論争を何も読んでおられないらしい。よって改めて、言われたことにまとめて反論しなければならないだろう。
2 『文科系氏は駄目でしょう。朝鮮有事も台湾有事も起こり得ない(ヨンピョン――えーっと、漢字で書くと延平島砲撃事件でしたっけ?――が発言の一ヶ月後くらいにありましたね)、日本を攻めてくる国などどこにある!?なんて無責任な言動では、もし仮に氏が今より二十歳ほど若い有力政治家で首相候補だったとしても票は集まらず信任は得られないでしょう。』
まず、「朝鮮有事があり、台湾有事があるのだから日本へ攻めてくる国もある」ということを証明して下さい。これに関わって僕が過去にこう書いた文章もお読みの筈だが、これへのお答えもない。
「冷戦時代と違って、中国もロシアも資本主義に組み込まれた現在、世界第二の経済大国日本を攻めるということは、自らの経済、国民生活も含めて世界経済をがたがたにすることだろう。そんなことを大々的に敢行する国があるとは到底考えられない」
「クェート侵略を敢行したフセイン・イラクに湾岸戦争が開始されて以来起こったことは、侵略がいかに高く付くかという常識を世界中に生んだことだろう。首領様も、正面からの戦争等出来るわけはないではないか。そんなことをしたら、首領様ご一統がフセイン一家と同じ目に遭うことが目に見えているのだから」
3 『「(少なくとも)アジアにおける欧米列強の植民地開放のために、(日本が)戦う以外、ほかにどのようなみちがあったのか」をスパッと答えていただけると有難いのですが……。』
明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? この40年間に独立国であった朝鮮抑圧への反発を武力で抑えるべく、どれだけの方々を殺したことだろう。それもみんな「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」と貴方は言い張るのか。そもそも「朝鮮の人々のためにこそ40年かかって併合したのだ」という理屈を、朝鮮の人々が認めているとでも言われるのか?
次いで対米戦争であるが、これも「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」の戦争などでは全くない。
日本は中国侵略戦争を継続するために、これを中止させようとするアメリカ・イギリス・オランダと開戦することになったのであって、中国侵略戦争の延長線上に対英米欄戦争が発生したのであり、中国との戦争と対英米欄戦争とを分離して、別個の戦争と考えることはできない。
4 『 十九世紀から二十世紀半ばまで継続中の欧米列強の植民地支配より、二十世紀に入ってからの(日本やドイツの)侵略行為を「格段に悪い」とする文科系氏の意見は非常にタチが悪いと思われます。』
これについては3月6日に僕がこう書いていて、これに対する貴方の反論が何もないままである。その上で最近上のような事を書かれるとは、一体どういうことであるのか。読解力がないというならば仕方ないにしても、貴方のやり方はこのように、一般に、こちらの質問や答には言及せずに、ただいろんな質問や難癖を重ねるだけではないか。応答がないならばこれから僕は「応答してから質問せよ」と語るのを原則としたい。この文章のように、真面目にやるだけ馬鹿馬鹿しいのだから。
『 ざくろさんへのお答え (文科系) 2011-03-06 12:06:19
奴隷がいた社会は、「人権感覚」そのものが現在とは全く違うだろうと考えています。だから、政治、外交など物事を見る目が、その原点からして違ってくるだろうとも。あなた方が「歴史を当時者の感覚で見よ」と語る時には、そういう「文脈」もあったはずと、僕は言いたいのですよ。19世紀は奴隷貿易廃止や解放宣言が出ていてもまだ、それだけのこと。そういう「生活習慣」の名残が根強く残っていた。それはアメリカの20世紀を見れば分かること。
士農工商()が、華族と士族以外にはやっとなくなり、職業や移住の自由が認められ始めた明治日本は、そういう「先進」世界の趨勢からかなり遠いところにいたと思います。武士による切り捨て御免はいつごろなくなったのだろうか、とにかく、一般の人の命はまだまだ軽かったろうと推察しています。個人が「家」に埋没させられた社会でもありましたしね。明治文学の最大テーマの一つが「近代的自我」であったというのも、人権が大問題だったことの証左と言えませんか。
こういうことが背景になって、世界を巻き込んだ第一次世界大戦の反省以降から「人の命はみな尊い」「権利としての平等」「戦争の違法化」が急に進んだと見ています。と言っても「自由、平等、友愛」が大いに叫ばれ始めたのが18世紀ですから、一進一退の遅遅とした歩みでもあり、一つの国をとっても一直線に進むなどとは思っていませんし、今でもまだこれが生活習慣的な感覚にまで定着したとは言えないと見ていますが。』
さて、上のような文脈を踏まえて改めて問いますが、18年の「ウィルソンの平和14箇条」、それに関連した20年の国際連盟設立、日本も含めた22年の9カ国条約、28年のパリ不戦条約などなどは、どういう目的で出来たのだと思われますか? こういうものが19世紀にありましたっけ?
こうして、世界を総力戦として巻き込んだ第一次世界大戦の反省から「人の命はみな尊い」「権利としての平等」「戦争の違法化」などと、18世紀以来芽生えた民主主義の歴史の流れが急に具体的に進み始めたんだと、僕は見ています。イエメン、アフガン、エジプト、ネパールなどの独立や、ギリシャやトルコの共和国化をそういう流れだと考えています。この流れから後には、第2次大戦以降の植民地解放もアメリカの有色人種差別解消などなどもさらに大々的に起こっていったのではなかったでしょうか。そもそも植民地がなくなったり、人種差別や有色人種殺人などが白人殺人と同様にいけないとなったのは、第二次大戦の後急になどということではありません。そんな時にヒトラーはユダヤ人皆殺しをやり、日本は南京虐殺をやったわけでした。南洋に無数の兵士を捨て、沖縄を丸ごと見捨てたというように国民の命も軽い国でしたから、まして他国の人にたいしてをや。
最後に一言、
ざくろさんは、このブログのアクセス数などを大変よく調べておられる。つまり、この種のサイトとしては珍しいここの人気を、大変気にしておられる。このことに勇気を得て、僕は今後もさらにここで頑張っていく所存です。ざくろさんに対して僕が頑張っているこの2日間、アクセス数と閲覧数はこんなに盛り上がっているんですよねー。やり甲斐ありますよ。27日、アクセス383人、閲覧1,548。28日、同、424人の2,016でした。