ノンフィクション・ライターが句会に参加したノンフクション。
俳句はよく分からない日本語、と感じていた著者が、
日本語のプロという自負から、一年間にわたって俳句に挑戦。
当初は、散文と韻文の違いに戸惑いを感じていたが、
やがて、その面白さに気づき、のめりこんでいく。
なぜ俳句を作るのか?俳句の楽しさとはどこにあるのか?
そんな疑問に答えてくれる一節。
秋晴れの下、地面を見ながら歩いていると、ふと目にとまったミミズ。
一匹の大ミミズがアスファルトの路上を伸縮しながら横切ろうとしている。
「なんだ、ミミズか」と、ふと天を仰ぐと、抜けるような青空が広がっていた。
どんな事情があったのか知らないが、地上に出てしまった可哀想なミミズは
アスファルトに阻まれて地中に戻ることが出来なくなったらしい。
そんなミミズの様子を眺めているうちに、なんだか可笑しさがこみ上げてきた。
そして、ふっと句が浮かんだ。
天高しみみずはいゆくアスファルト
この句が出来た瞬間、これは今の私にとって、作るべくして作った句であると
思うことが出来た。
作者の心象風景であると思えた。
俳句を取っ掛かりに、日本語の表現の奥深さを知ろうと恥をしのんで
内面をさらしてきた。
そんな私は、地から出てアスファルトを這うミミズと同じ境遇に思えた。
これは類句があるとか、技法がどうとか、上手い下手とかいうこととは
一切関係ない。オリジナルな句である。
著者が用いた技法は、散文でいえば「他者になりきる」というもの。
自分がミミズと同じだと、感じた瞬間に句が生まれたわけです。
言い換えれば、日頃とは違った視点からものを見ることによって
新しい世界を発見したことに。
この句を読者の立場から見れば、作者がミミズと同じ様な境遇にあるのだと
読めるかどうか?が、問われることになり、
作者、読者の読みが一致した時こそ句会は極楽の時間となる。
俳句という韻文の世界を散文のプロが体験して書かれた一書。
俳句を知るうえで興味深い本。
(極楽の日本語 足立紀尚 河出書房新社)