このブログのコメントを読んでいて、確かめたい事があり、久しぶりに「日本史年表」を眺めました。
1900年から1910年にかけての10年間だけを眺めてみても、日露戦争から韓国併合へと歴史は急速に展開しています。この頃人々は戦勝気分の中で大国の国民として満足していたのかもしれません。その頃わたしが青年なら日の丸を振り提灯行列に酔いしれたかもしれません。しかし、この後年表の一行一行にあの日への臭いが濃くなっていきます。
止めようの無い歴史の奔流に巻き込まれていきます。しかし人々はその一日一日を笑い、泣きながら一見何事もなく過ごしていたかもしれません。
最近「ユデガエル」という言葉を知りました。「茹で蛙」と書くらしく、意味は茹で釜に入れられた蛙は元気に泳ぎ、だんだんお湯になり茹でられていっても、ゆるやかな変化に気づかず、そのまま死んでしまうと言う事らしく教訓に富んではいます。
戦後の年表を見るとき、六十年間、日本が直接関わった戦争は見当たりません。政治・外交面ではゆるやかな変化の中に推移したように見えます。それは何故か。
急速な変化を押し止める国民の平和志向があったからでしょう。
しかし、急速に年表が書かれ始める予感がします。
再び我々が「ゆでがえる」にならないように日々動く歴史を見据え行動したいものです。
1900年から1910年にかけての10年間だけを眺めてみても、日露戦争から韓国併合へと歴史は急速に展開しています。この頃人々は戦勝気分の中で大国の国民として満足していたのかもしれません。その頃わたしが青年なら日の丸を振り提灯行列に酔いしれたかもしれません。しかし、この後年表の一行一行にあの日への臭いが濃くなっていきます。
止めようの無い歴史の奔流に巻き込まれていきます。しかし人々はその一日一日を笑い、泣きながら一見何事もなく過ごしていたかもしれません。
最近「ユデガエル」という言葉を知りました。「茹で蛙」と書くらしく、意味は茹で釜に入れられた蛙は元気に泳ぎ、だんだんお湯になり茹でられていっても、ゆるやかな変化に気づかず、そのまま死んでしまうと言う事らしく教訓に富んではいます。
戦後の年表を見るとき、六十年間、日本が直接関わった戦争は見当たりません。政治・外交面ではゆるやかな変化の中に推移したように見えます。それは何故か。
急速な変化を押し止める国民の平和志向があったからでしょう。
しかし、急速に年表が書かれ始める予感がします。
再び我々が「ゆでがえる」にならないように日々動く歴史を見据え行動したいものです。