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サイケおやじの生活と音楽

大好きな岩渕リリ♪♪~♪

2012-10-11 15:44:44 | 歌謡曲

あなたを夢みて / 岩渕リリ (日本ビクター)

日本の女性ボーカリストで好きなベストテンを選ぶ企画があれば、サイケおやじが絶対に入れてしまうのは岩渕リリです。

もちろん今日、彼女の名前を出したところで、皆様の共感を得られる可能性は極めて少ないはず……。

それは自覚するところです。

しかし一度でも彼女の歌声や節回しの魅力に触れてしまえば、グッと惹きつけられることは請け合いっ!

その点もまた、本日のサイケおやじが力んで綴る文章の勢いではありますが、まあ、例によっての独善的な好き嫌いである事もご理解願えれば、幸いです。

さて、そこで肝心の岩渕リリ♪♪~♪

彼女が一躍メジャーになったのは昭和46(1971)年、ヤマハ音楽振興会が主催のポピュラーソングコンテスト=ポプコンにおいて、杉本民子の作詞作曲による入賞曲「あなたを夢みて」を熱唱した事によりますが、そこまでの経緯は知る由もありません。

ただし当時のポプコンはプロを対象にしていた事から、幼少の頃より童謡歌手として活躍していたと言われる岩渕リリに白羽の矢?? という推察も可能かと思います。

そしてヤマハの専属契約歌手第一号が、彼女であった事も間違いないはずで、掲載したシングル盤は昭和47(1972)年に発売されたデビュー作でしょう。

実は告白すると、サイケおやじは以上のようなレコードデビューまでの推論も含めた岩渕リリの存在は全く知らず、しかしリアルタイムのラジオで「あなたを夢みて」を聴いた瞬間、思いっきりシビれさせられましたですねぇ~~♪

とにかく、これがソフトロックの歌謡曲的展開の極みつきとしか言えない楽曲とアレンジの素晴らしさ、そして何よりも最高なのが、岩渕リリの伸びのある声質と節回しの上手さ♪♪~♪

正直、彼女は天才ボーカリスト!

これを断言して、サイケおやじは絶対に後悔しないものが全て、この「あなたを夢みて」にぎっしり詰め込まれているのですねぇ~♪

また、大柿隆のアレンジには、ボサロックと後のAORを繋ぐ分岐点の如き魅力があって、それが岩渕リリのボーカルと絶妙の相性を形成していると思います。

あぁ~~、何度聴いても、シビれが止まりません。

一般的には彼女は次に出した歌謡フォークの名曲「サルビアの花」の小ヒットにより、フォーク歌手として認められているのかもしれませんが、本来はさらに汎用性の高いボーカリストであり、我国の歌謡ポップス部門では最高のひとりでありました。

しかし、それがあまりにも洗練されていた所為でしょうか、決定的な大ヒットが出せないままにフェードアウトしてしまったのは残念ですし、残してくれたシングル&アルバムに収録の音源、あるいは絶対に存在しているであろう未発表曲等々が、ほとんど纏められた復刻もなされないのは不条理じゃ~ないかっ!?

ついつい、そんなふうに思ってしまうほど、岩渕リリは素敵です♪♪~♪

ということで、もう何も書けないほど、本日は感極まった状況に陥ったのも、すべては岩渕リリの素晴らしさとご理解願えれば、幸いでございます。

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忘れていないよ♪

2012-10-10 15:15:50 | 歌謡曲

忘れないわ / Peggy March (日本ビクター)

親日家の外タレは今も昔も大勢登場して来ましたが、であればこそ、日本語を如何に自然に表現出来るか? 会話もそうですが、少なくとも日本語の歌を出すのであれば、そのあたりの仕上がりは人気に比例するポイントでしょうし、上手いに超した事はありません。

例えば本日の主役たるペギー・マーチは、アメリカの芸能界において既に13歳だった1963年、「I Will Follow Him」のナンバーワンヒットを放ったスタアでありながら、ドイツや日本でも絶大な人気を集めたのは、当地の言語で立派なレコードを出していたからでしょう。

特に掲載のシングル盤A面曲「忘れないわ」は昭和44(1969)年にヒットした、これがちょい聞きにはカンツォーネ風味のイタリアンポップスでありながら、実は作詞:山上路夫&作曲:三木たかし!

つまり、見事な昭和歌謡曲であり、また同時に洋楽ファンにもアピールしたポップス性はニクイばかりでありました。

そして何よりも素敵なのは、既に述べたとおり、ペギー・マーチの日本語による節回しが味わい深いんですよねぇ~~♪

ちなみに彼女は昭和39(1964)年の初来日前後から、日本語によるレコーディングを相当に残しており、この「忘れないわ」も昭和43(1968)年の日本巡業の時に録音したものと言われていますが、如何にそれに合わせた企画だとしても、なかなか見事な結果はオ~ライ♪♪~♪

実は当時のペギー・マーチは本国での人気が下火になっていた事、それとマネージャーとの結婚を機にドイツに移住する直前という、なかなかの転換期に吹き込まれた傑作という認識は、ファンに強い印象を与えたひとつの要因だったかもしれません。

また、その意味でジャケ写の彼女は、クールで幾分意地悪いような表情に撮れているいるのも、今となっては素敵でしょう。

サイケおやじは、とても好きです♪♪~♪

ということで、最後には愛の告白までしてしまったわけですが、外タレによる自らの持ち歌の日本語バージョンは珍しくない中にあって、堂々と我国の歌謡曲を演じてしまったペギー・マーチ!

彼女こそ、日本のファンには忘れられない存在と思うばかりです。

そして楽曲そのものの素晴らしさは、日本の芸能界で活躍する女性歌手によって、これまた堂々とカパーされている事でも明らかです。

機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

歌唱力に自信がある皆様であれば、カラオケでもウケると思いますよ♪♪~♪

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ウキウキと回転木馬

2012-10-09 15:26:08 | 歌謡曲

回転木馬 / 牧葉ユミ (テイチク)

いよいよ本日から待望久しい独り暮らしが復活♪♪~♪

それは現在、非常勤になっている以前の赴任地でしばらく勤務するわけでして、そのために家も借りっぱなしにしていましたから、後は自ずと心が弾むってもんです♪♪~♪

ふっふっふ、これで車の中に隠していた様々なブツ、あるいは宅配屋に預かってもらっているメール商品も、存分に楽しめるぜっ!

また、何よりも嬉しいのは、当地のおやじバンドに再び入れてもらえる事でしょうか♪♪~♪ まあ、あんまり浮かれて、迷惑にならないようにする所存ではありますが、サイケおやじの生活だって、時には楽しい日々があったって良いでしょう。

そんなふうな言い訳も既に用意している始末です。

さて、そこで件のおやじバンドでやりたいのが、本日ご紹介のベンチャーズ歌謡「回転木馬」なんですねぇ~♪

歌っている牧葉ユミは昭和46(1971)年にデビューしたボーイッシュイメージのアイドル歌手で、このジャケ写のあまりにも酷いチョイスは大問題ですが、ボーカリストとしての実力は確かにあったと思います。

そしてこの「回転木馬」は昭和47(1972)年初夏、通算3枚目のシングル盤A面曲として発売された所謂ベンチャーズ歌謡であり、つまりはベンチャーズのメンバーが書いたオリジナルのメロディに日本語の歌詞を乗せた、説明不要のヒット狙い!

ですからイントロのツインリードによるエレキの魅力は言わずもがな、絶妙の「泣き」が滲むAメロの展開だけで、これが昭和ポップス歌謡の桃源郷♪♪~♪

しかも彼女が持前のアルトボイスで聞かせる節回しの上手さも絶品ですし、程好いオーケストラのアレンジも川口真の良い仕事でしょう♪♪~♪

ちなみに作詞はお馴染みの片桐和子ですが、それにしてもドン・ウィルソンとポブ・ボーグルは日本人の琴線に触れまくりの素敵なメロディを書いてくれますねぇ~~♪

そこで気になるベンチャーズの本国アメリカでのオリジナルバージョンなんですが、原題は「Prima Vera」として、1973年のシングル「Last Tango In Paris」のB面にカップリング発売されたものです。

ということは、明らかに牧葉ユミのバージョンこそが、オリジナル!?!

そう理解して、胸を張れるのが日本のファンの特権かもしれませんねぇ~♪

また、昭和45(1970)年から昭和48(1973)年頃の我国歌謡界は、ベンチャーズ歌謡の第二期というよりも、ここが全盛期の大ブームでしたから、いろんなレコードが出ていましたが、もちろん全てがヒットしたわけではなく、忘れられた曲も少なからずあります。

しかし、それでも「ベンチャーズ歌謡」というジャンルは絶大な価値があり、リアルタイムは普遍性というポイントでも更なる高得点!

中でも個人的には、この「回転木馬」は絶対的なひとつになっているのでした。

ということで、これはこの機会にぜひ、やってみたいと決意の名曲になっています。

そこで昨夜は久々の単身赴任に出発前、あれやこれやの荷物の中には楽器や様々な隠匿物資(?)を車へ積み込んでいるうちに、ついつい楽しそうな仕草になっていたらしく、家人からはキツ~いイヤミも言われましたが、そんなの関係ねぇ~~~!!

まあ、それほど「回転木馬」は好きな曲ですし、何よりもしばらくの独り暮らしは最高の極み♪♪~♪

こういう時間は大切に過ごしたいと決意しているのでした。

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范文雀のアンニュイなエロス

2012-10-08 15:28:07 | 歌謡曲

最後の一時間 / 范文雀 (ワーナーパイオニア)

昨日は久々にソフト屋でネタの仕入れに勤しむ事が出来ました。

で、ちょいと驚いたのが、所謂イメージソフトのDVD&BDコーナーの盛況なんですが、 その本流が熟女系、そして「U12」とか「U15」と称されているらしいロリ系の商品だった事です。

つまり従来は一番人気だった正統派(?)アイドルイメージが低迷しているなぁ……、という印象なんですねぇ。

というか、確かにアイドルイメージは売れているみたいですが、それとて着エロ! キワドイ衣装と過激な演出、極言すれば紐状水着や疑似ロリパイパン物、ローションマッサージや電動マッサージ器を使った演技展開が花盛り!?

結局、テレビや一般雑誌に登場するグラビアアイドルは、それほど過剰なエロスを出せないので、例えば原幹恵や杉原杏璃あたりの有名人気者を除いては、結果的に売れないという悪循環……。

最低でも乳首浮き出し……、そんな演出が求められているようです。

しかし一方、熟女系作品ともなれば、既に話は簡単な世界という事でしょうか、なかなかにフェロモン全開♪♪~♪ 乳首やアンダーヘアは当たり前に見せていますし、さらにはSMっぽい演出はお約束の範囲内という過激さで、しかも決してAV扱いでは無いのですから、売れて当然ですよねぇ~♪

もちろん矢鱈に見せないという、チラリの魅力もロリ系やアイドル作品とは比較にならないほどの巧みさで、まあ、このあたりの感じ方は十人十色の好き嫌いかもしれませんが、ロリ趣味の無いサイケおやじは、こっち派です。

さて、そこで本日の1枚は、そうしたイメージを喚起させるレコードジャケット趣味、所謂ジャケ買い盤のひとつとして、自室では長年、壁に飾っていたものです。

ただし、実はこちらは本来がB面扱いだったもので、昭和46(1971)年という高度成長爛熟期ならではの贅沢な二つ折り仕様という嬉しいプレゼント♪♪~♪

主役の范文雀はご存じ、テレビのスポコンドラマ「サインはV」のジュン・サンダース役で大ブレイクしたわけですが、同時期には「プレイガール」等々にも出演し、また映画の世界でも個性的な存在感を誇示していましたから、歌の世界でのデビューも人気女優の証明でした。

しかし、このシングル盤は「あなたが憎めない」をA面扱いとして発売されながら、結果としてヒットしていません。

ところが既に述べたとおり、ジャケットのイメージが流石に秀逸で、ちょいとアンニュイな雰囲気の良さは、まさに范文雀の真骨頂! もちろんサイケおやじがグッと惹かれるチラリズムの素晴らしさも、ご覧のとおりです♪♪~♪

ちなみに気になる楽曲、「最後の一時間」は作詞なかにし礼:、作曲:中村泰士、そして編曲:有村春樹による、これが全くの昭和歌謡曲ですよ。特にパロック~クラシック調のストリングスが本当に心地良く、幾分危うい彼女の節回しと不思議なミスマッチ感が最高♪♪~♪

う~ん、この曲にして、このジャケット♪♪~♪

だから、昭和元禄は素晴らしいと思うばかりです。

これは最近、作詞:久仁京介&作編曲:薊けいじが書いたポップス調のA面「あなたが憎めない」も含めて、待望のCD化が叶ったとの事ですので、よろしければお楽しみ下さいませ。

あっ、最後になりましたが、サイケおやじの昨夜の獲物は、しっかり壇蜜姐さんのDVDをゲットしてきました。

本日は関係無いオチで、すみません。

そこでお詫びの印と言うか、A面ジャケット画像も掲載致しますので、よろしくお願い申し上げます。

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東京シティのディスコ歌謡

2012-10-07 15:13:02 | 歌謡曲

東京ららばい / 中原理恵 (CBSソニー)

さてさて、昨日は宇宙人のお伴で東京案内……。

スカイツリーとか屋形船とか、その後はソープランドかと思ったら、その前にカラオケをみっちり歌いたいとか、贅沢な我儘放題に付き合わされました。

もちろんサイケおやじは一歩引いて、バリバリの若い者に相手をさせていましたが、問題は件の宇宙人が中途半端に日本を事前チェックしていたらしく、カラオケなんて往年の歌謡ヒットをそれなりの日本語で歌うんですから、女の子からは大ウケでモテまくり!?

う~ん、確かにそれで、こっちの所期の目的は達成されたわけですが、なんだかなぁ……。

そこで本日は、昨夜のカラオケでも盛り上がってしまったシングル曲「東京ららばい」を、朝ぱらっから聴いています。

しかし、それにしても、これは歌いこなすのが、なかなか難しいですよねぇ~~~。

裏を返せば、作詞:松本隆&作編曲:筒美京平が自ら薬籠中の東京シティをディスコ歌謡で彩った傑作ですから、やりたいようにやっても、何の問題も無かったでしょう。

なにしろ歌っているのが、デビューした時から既に実力派として、年齢もサバヨミ加算したほどの中原理恵ですからねぇ~~~♪ しかも、このシングル曲が発売された昭和53(1978)年春より先に、LPを先行で出していたんですよっ! 一説によると、その時でさえ、アルバム2枚分のレコーディングが出来上がっていたとか!?

それほどですから、ほとんどサンタ・エスメラルダ風味が強い「東京ららばい」を歌謡ディスコで楽々と演じてしまうのも、余裕でしょうか♪♪~♪

このあたりの感慨は実際にカラオケで歌ってみれば即、確認されると思いますが、だからこそ、今は逼塞している中原理恵に再登場を強く願うばかりです。

ということで、これはオリジナルシングルバージョンのカラオケパートも凄いですよねぇ~♪ 演奏に携わったセッションミュージシャンのスーパーテクニックにも完全脱帽させられるのは、筒美京平のアレンジの冴えが証明されるところだと思います。

とぉ~きょ~、ららぁ~ばぁ~い~~♪

お気楽にそんなフレーズを歌ってしまう宇宙人も、確かに存在してましたとさ、ふぅ~~。

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40年前の日本の秋のポップス

2012-10-06 15:35:45 | Pops

秋はひとりぼっち / Vigrass & Osborne (Uni / 日本ビクター)

洋楽の世界では、ドメスティックなヒット曲ってのが少なくありませんが、本日ご紹介の「秋はひとりぼっち / Forever Autumn」も、1972年秋の日本だけで流行りまくったセンチメンタルなポップスの決定版♪♪~♪

なにしろイントロからして、何処かで聞いたことのあるような歌謡GSのパロック調が全開ですし、メロトロンで作り出したような薄味ストリングで彩ったアレンジ、そしてミディアムアップの曲展開に幾分浮ついた感じのボーカル&ハーモニーが辿るメロディの美しさ♪♪~♪

あぁ~、これがヒットせずして、何が洋楽ポップスか!?!

そう、思わざるを得ないほど、時代にジャストミートした楽曲だったんですが、既に述べたとおり、これはほとんど我国だけの現象で、実は後に知ったところでは、掲載したシングル盤のカップリングをAB面逆にしたものが英米での発売状況だったんですねぇ。もちろん日本とは比較にならないほど、売れませんでした……。

しかし演じているヴィグラスとオズボーンの実力とセンスは流石に本物だと思います。

それは私有シングル盤ジャケット裏の解説や後追いで仕入れた情報を総合しても、まずウィグラス=ポール・ヴィグラスは、このコンビ結成以前、既に1960年代末頃からセッションシンガーとして活躍し、中でもエジソン・ライトハウスのメンバーとして、「恋するペテューラ」や「涙のハプニング」等々のヒット作で歌っていたのは有名でしょう。

また、ヒットはしなかったものの、自己名義のシングル盤も出していたようです。

一方、オズボーン=ゲイリー・オズボーンは十代の頃からプロミュージャンとして活動後、当時は英国RCAのスタッフとして、幾多のCM曲やヒット曲作りに携わっていた中で、前述したポール・ヴィグラスのシングル盤を共作し、プロデュースもやっていたのですから、このコンビが一緒にプロジェクトを組むのも自然の流れという事でしょう。

そしてヴィグラスとオズボーンのプロデューサーであるジェフ・ウェインが、これまた影の実力者というか、イギリスのミュージカルやCMの世界では有名な存在!?!

この「秋はひとりぼっち / Forever Autumn」も、最初はジェフ・ウェインがCM用に作ったメロディだったそうで、そこに新しい歌詞を書いたのがヴィグラスとオズボーンという真相があるようです。

 月日が流れ 夏の太陽も消えて……
 陰鬱な日々がやってくる
 冬の風は もっと冷たいだろう
 君はもう ここにはいない

 秋の空から 南に飛んでいく鳥たちを眺めている
 一羽づつ 消えて……
 一緒に 僕も飛んでいけたらいいのになぁ
 君はもう ここにはいない

 木洩れ日のように 僕を愛し
 そよ風に乗った木の葉のように 君は飛んでいってしまった

 優しい雨が 静かに疲れた僕の瞳に降りかかる
 孤独な涙を隠すかのように
 僕の人生は ずっと秋のままさ
 君はもう ここにはいないから

う~ん、なんともロマンチックで気分はロンリーな歌詞が、その中身の英語詞は完全に分からなくとも、充分に意図が伝わって来るメロディとサウンド作りの上手さ♪♪~♪

それもまた、プロの良い仕事というべきでしょう。

ヴィグラスとオズボーン、そしてジェフ・ウェインのトリオが作り出した歌の数々は、全くそうした成果がぎっしりで、なかなかポップスファンの琴線に触れまくりの密度は高いんですが、リアルタイムで残された2枚のLPや数枚のシングルは世界的にヒットしたとは決して言えず……。

1970年代中頃からは再び裏方の仕事に徹していったと言われています。

ところが、やっぱり素敵な歌ってのは永遠に不滅という事なんでしょう。

驚くなかれ!?!

それは1978年、ムーディー・ブルースのジャスティン・ヘイワード(vo,g,key) が、ほとんどストレートコピーの如き、素晴らしすぎるカパーバージョンを出し、忽ちリバイバルな人気を集めたんですから、推して知るべし♪♪~♪

もちろんプロデュースは、前述のジェフ・ウェインでありました!

いゃ~、全く「秋はひとりぼっち / Forever Autumn」は永久に不滅と思いましたですねぇ~~♪

ちなみにヴィグラスとオズボーンのオリジナルバージョンが流行っていた同時期の我が国では、やはりギルバート・オサリバンの「Alone Again」やイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーの「シーモンの涙/ Simone」等々、所謂胸キュン系ポップスがひとつの主流派を形成していました。

つまり日本の秋には、こういう洋楽ポップスが必須だった時代が、確かにあったのです。

ということで、メロディのある楽曲ほど、好きになったら忘れられない世界はありません。

最後になりましたが、もしかしたら「秋はひとりぼっち / Forever Autumn」は、世に出るのが些か遅かった名曲なのかもしれませんねぇ。それは個人的な気持にすぎませんが、出来得るならばタイガースやアダムス等々、パロック~クラシック調の歌謡曲を十八番にしていたGSに、この歌の日本語バージョンを演じて欲しかった……、なぁ~ん思っていますから!

もちろん英国ならば、ビージーズでも、OKでしょうが、たまにはヴィグラスとオズボーンもお忘れなきよう、お願い申し上げます。

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これはポップス保守本流の名曲♪♪~♪

2012-10-05 15:24:30 | Pops

悲しき初恋 / The Partridge Family (Bell / CBSソニー)

テレビという強力なメディアを使ってヒット作を生み出す手法は、例えばアメリカンポップスであれば有名なモンキーズと同じように、本日ご紹介の「悲しき初恋 / I Think I Love You」もパートリッジ・ファミリーというテレビドラマの中のグループによって、見事な成功作になったと言われています。

しかし、これはもちろん日本でも、ラジオの洋楽チャート番組におけるトップ独走があったとおりの人気曲なんですが、その1970年末頃の我国では、肝心のテレビドラマが放送されていなかったという現実がありました。

つまり「悲しき初恋 / I Think I Love You」は、まず圧倒的に楽曲そのものが、ポップスファンの琴線に触れる魅力を持っていたわけです。

このあたりの事情を後に知り得た内幕と併せて纏めると、まず本国アメリカで件のドラマ「パートリッジ・ファミリー」がABCネットワークでスタートしたのが、1970年9月であり、そこからの最初にして最大のヒット曲「悲しき初恋 / I Think I Love You」のブレイクが年末から翌年春だったんですが、日本におけるテレビドラマの放送は、1972年からだったと記憶しています。

もちろん、「パートリッジ・ファミリー」そのものの設定や物語内容は洋楽マスコミ、主にラジオと雑誌でそれなりに詳しく紹介されていました。

特に主演のデヴィッド・キャシディは完全なアイドル系のルックス、それとは些かミスマッチなロックフィーリングを滲ませるボーカルスタイルで、忽ち人気沸騰! 一般の女の子向けの雑誌や芸能誌でもグラビアが掲載されるほどだったんですから、必然的に「悲しき初恋 / I Think I Love You」以降のレコードも売れることになりました。

ただし、そのきっかけは、あくまでも「悲しき初恋 / I Think I Love You」の大ヒットが優先されていたように思います。

そして、ここで注目していただきたいのが、これを書いた作曲家のトニー・ロメオとプロデューサーのウェス・ファレルの名コンビで、彼等はパートリッジ・ファミリー以前にも、やはりファミリー・グループのカウシルズやエヴァリー・ブラザーズ等々で実績を残していますので、その集大成的な意味でも、この「悲しき初恋 / I Think I Love You」は出色の仕上がり♪♪~♪

また、話は前後しますが、劇中のパートリッジ・ファミリーの母親役には、ミュージカルスタアのシャーリー・ジョーンズが起用されている事も、なかなか意味深で、もちろんファミリーがドラマではバンドを組んでアメリカ各地を巡業するという展開があれば、その音楽的な充実を狙ったところも大きいわけですが、もうひとつ忘れてはならないのが、デヴィッド・キャシディと彼女は義理の母子関係にあったということです。

実はデヴィッド・キャシディはアメリカの有名俳優だったジャック・キャシディの息子であり、シャーリー・ジョーンズは後妻という存在でしたから、現実的な家庭内のあれこれを視聴者やリスナーに……。

という余計な憶測や心配を並立させていた事は確かでしょう。

しかも、これは全くのサイケおやじの妄想ではありますが、物語展開は未亡人となった母親=シャーリー・ジョーンズを物心両面で助けるために子供たちがバンドを作り、レコードを出してヒットさせるという中に登場するのが、敏腕マネージャー役のデヴィッド・マーデンなんで、穿った観方をすると、何かこのふたりはデキているのか!?

なぁ~んていう雰囲気が、演出では時折滲んでいたように思います。

ちなみにデヴィッド・キャシディの弟として、後にアイドル歌手となったショーン・キャシディは、シャーリー・ジョーンズの実子です。

ということで、ドラマはドラマとして、アメリカでは4シーズンも続いたそうですが、我国ではタイミングがズレていた所為でしょうか、ヒットしていたとは言えません。

サイケおやじにしても、パートリッジ・ファミリーのバンド結成が始まる初回からの数話は観た記憶があるんですが、後はさっぱり……。

しかし、今でも「悲しき初恋 / I Think I Love You」の幾分ネクラで良質のマイナーフィーリングが潜むイントロ、そして緻密に構築されたボーカル&コーラスを含む演奏全体のキャッチーな素晴らしさには、完全脱帽させられますねぇ~♪

また前述したトニー・ロメオ&ウェス・ファレル組のキャッチーなバルブガム風味を楽しまんとすれば、パートリッジ・ファミリー名義で残された数枚のアルバム、あるいは同時期に作られたデヴィッド・キャシディのソロ名義アルバムも必聴ですよっ!

そしてデヴィッド・キャシディが、ついにはビーチボーイズのメンバーだったブルース・ジョンストンとのコラポレーションにより、今日でも評価の高いポップスアルバムを作っていく事も、既に皆様がご存じとおりでしょう。

今回はその点については省略させていただきますが、何れはご紹介させていただく所存であります。

ただ、全ては「悲しき初恋 / I Think I Love You」があればこそっ!

それは揺るぎない真実だと思っているのでした。

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ノー・ノー・ノーは楽しいなぁ~♪

2012-10-04 15:00:08 | Rock

ノー・ノー・ノー / Human Beinz (Capitol / 東芝)

楽しい音楽を聴くのに理屈は不要!

それが文字通り「音楽」のひとつの真実だとすれば、本日ご紹介のヒューマン・ベインズが演じた「ノー・ノー・ノー / Nobody But Me」は極みの名曲名演でしょう。

とにかく基本はノーザンビートのR&Bをロックっぽく仕立て上げた、これは如何にも1960年代中後期に流行ったガレージロックの典型で、しかもノーテンキ塩梅が突き抜けているのですから、我国でも相当にヒットしましたし、当時のGSでもカパーしているグループが多かったと記憶しています。

まあ、騙されたと思って、聴いてみて下さいませ。

思わず腰が浮く、その強烈なビート感と最初っからひたすらに「ノー、ノー、ノー」を連呼する歌詞の単純明快さは、ロックの最も根底に潜む快楽性の高さを引き出したものと思います。

しかも、これには大きな元ネタがあって、その原題どおりの「Nobody But Me」は、アイズリー・ブラザーズが既に1963年に出していたオリジナルのカパーであり、ここでは歌詞を印象的に変えることにより、全く独自のヒット曲にしてしまったのが、その真相!?

ちなみにヒューマン・ベインズはジョン・ディック・ベリー(vo,g)、ジョー・マークリン(vo,g)、メル・パチュータ(vo,b)、マイク・テイトマン(ds) を一応の顔ぶれとして、アメリカはオハイオ出身のバンドですから、そうしたノーザンダンサーの黒人音楽にもストレートに反応していたものと思われます。

そして同時に、このシングル曲をヒットさせた1968年の最先端ムーブメントであったサイケデリックな感覚と共に、もうひとつの流行であったバブルガムのお気楽さを上手く融合させたところは侮れません。

結果的に、ほとんど「一発屋」のヒューマン・ベインズが、この「ノー・ノー・ノー / Nobody But Me」によって今も忘れられていないのは、そうした「芸」の抽出度が高かった所為でしょう。

ですから近年でもタランティーノ監督のヒット映画「キル・ビル」に使われたり、再発CDが出たりする現実は、およそ「ロック史」なぁ~んていう後追い研究からは遊離した、あくまでも一般リスナー側からの永劫性の証です。

また、当然ながら、これはやっても楽しい名曲というか、サイケおやじは煮え切らない気分の時、独りエレキを弾きながら、思いっきり「ノォ~ノォ~ノォ~、ノノノノ、ノォ~ノォ~ノォ~♪」とシャウト(?)する青春時代が確かにあって、それは現在でも……、ふっふっふっ???

ということで、しかしこれは決して簡単な演奏ではなく、強いビートを打ちだすベースとドラムスの一体感、ボーカル&コーラスのカッコ良さ、さらにはファズ効きまくりのギターソロ! そういうものがビシッとキマってこそ、最高のロックになっているのです。

前述「ノォ~ノォ~ノォ~、ノノノノ」のパートだって、卓抜なリズム感が無ければ、セ~ノッで始めるバンド演奏の中では、思わず躓いてしまう事は必至でしょう。

このあたりは結局、サイケおやじが如何に筆を弄そうにも、皆様には実際に聴いていただく他はありませんが……、告白すれば、自らの稚拙なバンド実体験による失敗談のひとつでもあります。 

それでも、こういう素敵なビートロックが流行っていた現実は、真摯にお伝えしたいというわけです。

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ベルト・ケムプフェルトの偉大な因縁

2012-10-03 15:19:11 | Pops

星空のブルース / Bert Kaempfert (Decca / ポリドール)

この季節になると妙に聴きたくなるのが、本日ご紹介の「星空のブルース / Wonderland By Night」で、まさにセンチメンタルなトランペットが泣きのメロディを奏でてくれる、これも「昭和の洋楽」決定版のひとつでしょう。

で、それを演じているのは掲載ジャケ写のクレジットから知れるとおり、チャーリィ・タボールという名のトランペッターなんですが、実際に制作したのはドイツの天才作曲家であり、有能なプロデューサーでもあったベルト・ケムプフェルト!

その偉業は、皆様も一度は耳にしたであろう、この「星空のブルース / Wonderland By Night」以外にも数多くの有名なメロディを書き、自分名義の諸作の他にも、例えばフランク・シナトラの大ヒット「夜のストレンジャー / Strangers In The Night」、あるいはハーブ・アルパートの「マルタ島の砂 / The Maltese Melody」等々、カパーされて流行りまくった作品は数知れません。

また、プロデューサーとしての活動は、さらに歴史的な働きがあって、些か結果論ではありますが、その一番重要な仕事になったのが、ビートルズ初の公式レコードを作った事でしょう。

それは1961年春、ドイツのハンブルグにブッキングされていたトニー・シェリダン(vo,g) とビートルズが、ベルト・ケムプフェルトによってプロデュースされ、記念碑となるレコーディングを残したのです。

しかし、実はこの時、ベルト・ケムプフェルトはトニー・シェリダンのバックにはスタジオセッションミュージシャンを使う予定だったものが、トニー・シェリダンの強い要望によって、ビートルズが起用され、トニー・シェリダン&ピートブラザーズの伝説が生まれたと言われています。

またビートルズがピート・ブラザーズ名義にされた逸話については、これも幾つかの説があって、まず当時のトニー・シェリダンのバックバンドがピート・ブラザーズと名乗っていた事が挙げられます。

つまりビートルズとトニー・シェリダンは同じ「トップ・テン・クラブ」というハンブルグの人気スポットに出ていながら、あくまでも対バンであったという事です。

まあ、このあたりは、前年のハンブルグ巡業では別々の店に出ていた両者が仲良くなり、ビートルズの出演契約を巡って、ジョージの強制送還事件とか、様々なトラブルや逸話は皆様もご存じのとおりだと思います。

しかしビートルズというグループ名がドイツ人を一番に困惑させるのは、その発音がドイツ語の「ピードル=ペニス」に近いからという説にも、説得力がありますねぇ~~。

サイケおやじは、もちろん後者を支持しますが、まあ、それはそれとして、ピート・ブラザーズと名乗っても、ビートルズはビートルズ! 例え何であろうとも、ビートルズオンリーの歌と演奏による「いい娘じゃないか / Ain't She Sweet」と「Cry For A Shadow」をも、一緒にプロデュース&レコーディングしたのがベルト・ケムプフェルトである事実は不滅です。

ちなみにセッションデータの年月日については、今でも異論や諸説がありながら、一応は1961年6月22~24日に特定されているとか!?

さて、そこで肝心の「星空のブルース / Wonderland By Night」は最初、本国ドイツと日本で先行の大ヒット♪ それが1960年頃の話で、アメリカでもチャートトップに輝く栄光を獲得していますが、後追いの翌年でした。

おまけに前述したハンブルグの人気店「トップ・テン・クラプ」の開業は、1960年の同時期であり、一説によるとベルト・ケムプフェルトも資金を融通し、経営に参画していたとか!?

ちょいと穿った事になりますが、この「星空のブルース / Wonderland By Night」からの利益が、ビートルズのブレイクに何らかの影響を及ぼしたという視点も、あながち妄想とは言えないのでしょうか……?

ということで、実はサイケおやじに「星空のブルース / Wonderland By Night」が刷り込まれているのは、ちょうどリアルタイムで流行っていた頃、父の友人がレコードを持ってきては鳴らしていたからで、それというのも、我が家にはテレビよりも先にステレオがあったという、異常事態の所為でしょう。

サイケおやじが幼少期から様々な音楽に親しめたのも、そこに由来していますし、結局は歌好きの祖父と新しもの好きの父の画策には、感謝するばかりです。

しかし掲載したシングル盤を私有化したのは、例によってアメリカのチャートトップ曲を集めるという暴挙敢行の最中、ベルト・ケムプフェルトとビートルズの因縁を知ってからの事です。

う~ん、どんな分野も歴史には曰く因縁が切り離せませんねぇ~♪

たった1枚のレコードには、そういう話は潜んでいると思います。

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戦争は…、悲しくてあたりまえ

2012-10-02 15:26:05 | Pops

悲しき戦場 / S/Sgt. Barry Sadler (RCA / 日本ビクター)

特に最近、尖閣諸島の我国領海付近が不穏で、中国や台湾の狼藉は許し難いわけですが、だからと言って日本の軍備増強論、あるいは軍事力による強制排除を無暗に唱える事には、ど~しても賛同出来かねるのがサイケおやじの立場です。

もちろん、力の無い正義なんて、何の意味もありませんし、国益が失われる事は、そのまんま日本人ひとりひとりの主権や生活、さらには自分の家族の安全が脅かされる事ですから、これはど~しても守りたいし、守るべきものです。

しかし喧嘩をする前に現状を冷静に考える事は必要でしょう。

まず以前にも書きましたが、今の在日華僑資本や一般的な中国資本を瞬間的な軍事衝突で凍結や没収されるような愚行を中国指導部がやるでしょうか?

また、アメリカは何もしてくれない、守ってくれない!?

と嘆く気持もわかりますが、同じ事は日本に入っているアメリカ資本というよりもユダヤ資本の大きさを考えれば、アメリカは是か非でも、それを守ろうとするでしょうし、安保条約があって、それが出来なければ世界中でアメリカは完全に信用を失いますよ。

ただし、そのあたりの双方の事情がしっかり見えてこないのは、現在の日本政府や内閣与党が米中両国に何の約束も出来ないし、発言や施策にも説得力を失っているからだと思います。

さて、そこで本日のご紹介は、1966年にアメリカでチャートトップに輝いた戦意高揚の軍事賛歌「悲しき戦場 / The Ballad Of The Green Berets」なんですが、まず、この歌に「悲しき戦場」と邦題を付したレコード会社の感覚はトンデモ系の決定版で、極言すれば、そこまでやってお金を儲けたいのか!?

と思わず憤激したくなりますねぇ……。

なにしろ当時の我国では、この歌の内容を戦争の惨さ、残忍さを強調するあまり、兵隊はほとんどが戦死する、生き残るのは……。

なぁ~ていう、呆れた意訳さえつけて紹介していたんですよっ!

まあ、当時は未だ純真な少年であったサイケおやじにしてみれば、それを素直に信じ込み、またアメリカ軍は正義の味方という、何でも「アメリカ一番」の教育を受けていた悪果によって、「悲しき戦場」という歌は心に残ったのですが、長じて英語が少しは理解出来るようになると、これが大いなる欺瞞だったんですから、大人の世界の汚らしさを知ってしまいましたよ……。

それは簡単に述べれば、グリーンベレーと呼ばれるアメリカ陸軍の戦略特殊部隊を賛美した内容であり、エリート兵士集団はどんな苦境にも負けずに勝ち続ける!?! みたいな必然性を強調していたのです。

う~ん、これはベトナム戦争に没入していた当時のアメリカには、絶対に必要な国策の歌だったんでしょうねぇ。

ちなみに、この楽曲の成立過程と主役のバリー・サドラー軍曹について、もちろん後に知った事が大部分ではありますが、本人は実際にグリーンベレーに所属していた軍歴の持ち主で、ベトナム戦争に従軍から負傷帰国後、この歌をレコーディングしたのですが、少年時代からバンドをやり、軍人になってからもアメリカ国内基地勤務時には、周辺の店でセミプロ活動も認可されていたほどの音楽好きであれば、様々なオリジナルを披露していた実績(?)は推して知るべし!?

しかし最初は、あくまでも身内や友人、軍隊関係者に配布するための自主制作盤だったのが、その真相です。

ところが折からの戦争激化で、この歌に可能性(?)を発見した業界は、ロビン・ムーアというプロのソングライターに依頼し、幾分の改作を加え、大手レコード会社のRCAからオーケストラ入りの新録盤を出すに至ったというわけです。

そして結果は既に述べたとおり、発売即ミリオンセラーという大ヒット!

う~ん、マーチのリズムをバックに、何処かしら悲しいムードが滲んでくる曲調からすれば、ストレートに「悲しき戦場」という邦題も無理からんでしょう。確か前述したように、無理やりな意訳の日本語バージョンも出ていたと記憶しています。

でもねぇ……。

これはあくまでもサイケおやじの推測にすぎませんが、このレコードがアメリカ国内で爆発的に売れたのは、どっかの誰かが纏め買いしたんじゃ~ないですかねぇ……?

だいたいがアメリカの一般的な世論は、今も昔も戦争肯定派が大部分で、つまりはイケイケだし、それでも犠牲者が増え続けていた当時のベトナム戦争に対する反戦ムードの蔓延には、こういう国策歌が必要だったと思われます。

というか、こういう歌が必要とされる社会や時代は、嫌ですねぇ~~~!

サイケおやじは心底、そう思っています。

ふん、おまえは、それじゃ~、今の日本をど~やって守るんだっ!?

戦うことを最初っから放棄する態度は非国民!?

という声が、はっきり聞こえます。

そこでサイケおやじは、些か後回しになりましたが、その昔の体験談を書いておきます。

それは1980年代のある日、アフリカの某国に出張した時の話で、そこは長らく続いた内戦が、ようやく終結し、これからは新しき出発に入っていた地域でありました。

もちろんサイケおやじは旅立つ前に、今は平穏だからという情報を仕入れていたわけですが、しかし到着してみると迎えに来た関係者の中には明らかに軍人がいましたし、目的地に出発するミーティングの席上、なんとっ! 護身用に大型の拳銃を渡されるという始末です。

そしていよいよ当日、ボロい大型ワゴン車に乗ってみると、きっちり護衛の兵士が数名、完全武装で一緒なんですから、いやはやなんとも……。

ただし、それでも日頃から楽天的なサイケおやじは、あまり深刻に考えていなかった事は確かです。

ところが途中の草原地帯で先行していたトラックが反政府武装ゲリラに襲撃されている現場に遭遇したから、たまりません。もちろんそっちにも護衛部隊が別働で一緒ですから、銃撃戦ですよ。

正直、サイケおやじはこの時、実際に人間が殺し合いをやっている状況を初めて見ました。

ちなみに相手はゲリラとは言っても、きっちり訓練を受けている集団ですし、装甲車やロケットランチャー、重装ヘリまで持っているという軍隊であれば、やることも半端ありません。この襲撃だって、件のトラックに積まれている物資の略奪が目的でした。

そして当然ながら、こっちにも銃撃があって、車は忽ち穴だらけ! よくもまあ、ガリソンタンクに引火しなかったと思うばかりなんですが、とにかく危ないというので、近くに見えた廃墟のコンクリート壁までダッシュする他はなく、それこそ懸命に走りました。

いゃ~、思い出しても銃弾が足元を通過するし、人の叫び声は交錯するし、本気の阿鼻叫喚です。もしも、そこで腰を抜かしていたら、まちがいなく死んでいたでしょう。

もちろん渡されていた拳銃で反撃なんて、出来るもんじゃ~ありません!

全く頭を押さえて、物陰で小さくなっているのが、やっとでしたよ……。

しかし今でも、こうしてサイケおやじが、毎度の駄文を綴っていられるのも、全くが命あってのモノダネ! 護衛兵士の奮戦によってゲリラが撃退されたからに他なりません。

同時に一緒に行動していた現地民間人と兵士がひとり死亡、もうひとりが大怪我という惨事があり、本当に申し訳ないなぁ……、という気持は今も忘れていません。

そして自分の情けなさを思うとき、こんなザマでは、有事に自分の家族や国にを守れるのか……? と自問自答を繰り返し、答え未だ、出ていません。

ということで結局、サイケおやじが戦いを嫌うのは、自分の腰ぬけぶりを自覚しているからでしょう。

また、それでも戦争映画やモンスター&エイリアン殲滅映画、スペースオペラや暴力アクション、任侠&ヤクザ映画は大好きという、自己矛盾は認めるところです。

ただ、それでも戦争ほどクダラナイものは無いと思いますし、世の中を滅ぼしてしまう、その現実を少しは知っているつもりです。

なにしろその国では、畑は荒れ放題、農作物は略奪され、また商店も同様の被害から閉鎖されているところが多く、子供達は学校へも行けないし、病院や公共施設もほとんどが機能していませんでした。

まあ、現在は復興し、国の体制も安定し、民衆もそれなりの暮らしになっていますが、あんな悲惨は忘れられていないと思いますよ。

さて、そこで尖閣諸島の現状認識は、他国が何んと言おうとも、何をやらかそうとも、我国の優位は動かしようもなく、筋目もこっちにありますから、決してこちら側から揺るぐ必要はありません。逆に言えば、相手が不利を承知しているからこそ、ごちゃごちゃと扇動を繰り返し、因縁をふっかけているだけでしょう。

以前からのアメリカもそうですが、現在の中国は勝てる喧嘩しかやらないという、弱い者イジメを自ら標榜する指導部に牛耳られていますし、その背後に巨大な資本が蠢いている推察は易いはず!

そんな時代錯誤の中華思想に振り回されていたら、双方が自滅ですよ。

最後になりましたが、それでは何故にサイケおやじが、このレコードを持っているのか?

その答えは、以前にアメリカのチャートトップ曲は全て集める!

なぁ~んていう暴挙を企図した挙句の証であって、正直に告白すれば、持っていないと安心出来ないというのが本音です。

バリー・サドラー軍曹は立派な愛国者であって、罪はないでしょう。

しかしサイケおやじは、こんな歌が必要とされない世の中を強く切望しているのでした。

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