OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ついに届いたデラボニのオンツアー箱

2010-08-21 16:56:56 | Rock

Delaney & Bonnie & Friends On Tour with Eric Clapton
                              
(Rhino Handmade = 4CDset)


連日の猛暑の中を疲れきって自宅に辿りついたサイケおやじに、昨夜は嬉しいプレゼントが届いていました。

それが本日ご紹介のボックセットで、本年7月21日に前触れしていたデラニー&ポニーの傑作ライプ盤「オン・ツアー (Atco)」の大サービス拡張盤♪♪~♪

巡業に使う楽器ケースを模した、ちょいと大仰な箱にデジパック仕様のCDが4枚とプックレット、スチール写真が3枚入っていましたが、肝心のプックレットが手書きなんで、読みづらいのが難点でしょうか。

で、CD4枚分の演奏は、計4回のステージを1枚毎に纏めたスタイルですから、リアルタイムでのステージの流れが楽しめるというわけです。しかし中には録音機材か現場PAの不調で、どうやら中途半端になっている部分もあります。

また前述のプックレットに各ステージ毎の詳細が無いことも、ちょいと問題でしょうか。特に参加メンバーに関しては、初出のアナログ盤にクレジットがあったデイヴ・メイソンが、どうやら全巡業には参加していないことが、収められたメンバー紹介のMCからも推察出来ます。

しかし諸々の事情から省かれていたジョージ・ハリスン参加の演奏が明らかになったのは、素晴らしいことでした。

ちなみに収録音源は以下のとおりです。

☆Disc 1 / ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール:1969年12月1日
☆Disc 2 / ブリストルのコルストン・ホール:1969年12月2日
☆Disc 3 / クロイドンのフェアフィールドホール:1969年12月7日 (1st Show)
☆Disc 4 / クロイドンのフェアフィールドホール:1969年12月7日 (2nd Show)

各ディスクについては長くなりますので、明日から1枚毎にご紹介致しますが、気になる音質についてはリマスター&リミックスも含めて、なかなか良好です。しかし既に述べたように、全てのトラックがそうであるわけもなく、明らかにボツになって当然の部分もあるんですが、そこはファンが垂涎の奥の細道を堪能出来るひとつの喜びとして、やっぱり嬉しい復刻になっていると思います。

ただし、このボックスの仕様は外箱の大きさに比べて、中身が脆弱というか、デジパック4枚とプックレットだけならば、こんな無駄の多いパッケージは不要と思うのは、サイケおやじだけでしょうか?

如何にもライノ・ハンドメイドらしい自己満足が賛否両論でしょうね。なによりも収納スペースを考えて欲しいもんですし、もっとコンパクトにすれば、価格だって幾分は安くなったんじゃ……。

ということで、ちょっと不満優先の文章になりましたが、実際の演奏を聴いてしまえば、猛暑の中で血が逆流するほど、危険な興奮度は保証付き! エリック・クラプトンのギターはもちろんのこと、後にデレク&ドミノスとなるメンバーの踏ん張り、また主役のデラニー&ポニーのソウルフルでハートウォームな歌と演奏は、ロック黄金期の輝きに満ちていると思います。

ちなみに些か早いネタばらしになりますが、初出LP「 オン・ツアー (Atco)」に収録されたトラックのほとんどが、1969年12月7日の音源という真相も味わい深く、何故ならば、それ以外の演奏だって、完全に「お宝」の範疇を超越した凄さが堪能出来るのですから!?!

そのあたりは明日以降の掲載に続けますので、よろしくお願い致します。

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ザ・トーイズの凄いギター

2010-08-20 16:35:26 | 日本のロック

お宮さん c/w じょんがらゴーゴー / ザ・トーイズ (大映レコード)

どんな世界も勢いがある時には、後にトンデモ系と称される事象が残されるものです。

例えば日本のロックが最高潮だった昭和元禄のGSブーム期には、夥しいプロのバンドがデビューし、レコードを発売しましたが、本当に売れまくったのは極僅かという真相は皆様が良くご存じのとおりです。

そして埋もれてしまった楽曲が、後に「お宝」と賛美される不可思議な現象へと繋がるのですから、時の流れは偉大です。

また、そうやって登場してきながら、結局は消えてしまったバンドに一度でも邂逅した思い出があるならば、あれはいったい……、というような夢か幻が、殊更に忘れ難いんじゃないでしょうか。

本日ご紹介のザ・トーイズも、少年時代のサイケおやじには強烈な印象を残したバンドで、もちろんGSが全盛だった昭和43年にデビューしたようです。

と言うのも、サイケおやじが唯一度だけザ・トーイズに接したのは、同年ゴールデンウィークの某イベントでのことでしたが、なんとボーカリストが東南アジア系!? しかし歌も会話も、きっちり日本語だったんですねぇ。

しかも演奏が上手く、特にリードギターは寺内タケシ直系という「Terry-sh」なフレーズを連発していました。そしてこの時に演奏されたのが、このシングル盤の両面2曲だったというわけですが、さらに驚いたのがバンド名の由来で、確か司会者が「ザ・トーイズ」は「座頭市」に因んでいる!?! なぁ~んて言ってたような記憶が、今も鮮明です。

実はザ・トーイズは当時、座頭市を制作していた大映が発足させた「大映レコード」の所属だったんですねぇ。

メンバーはルディ・アプド(vo)、長岡和幸(g,vo)、大内和衛(g,vo)、高野光司(b)、田口義治(ds) という5人組で、やっぱりボーカリストのルディ・アプドはインドネシア人らしいです。後に知ったところでは、某大学の留学生だったとか!?

肝心の歌と演奏は、まずA面の「お宮さん」がタイトルどおり、金色夜叉の間貫一とお宮の物語をエレキなロックビートで演じたという、実にご存じの展開なんですが、その内容は如何にも昭和元禄のおちゃらけとクールな笑いがテンコ盛り♪♪~♪

まあ、これは私の稚拙な筆よりも、聴いていただくのが一番という仕上がりではありますが、それにしてもドライブしまくった演奏はテンションが高く、スカスカなミックスやチープなオルガンが薄~く入っている微妙なガレージ感覚が、なかなかしぶといですよ♪♪~♪

また既に述べたように、リードギターのキレが素晴らしく、そのごまかしの無いプレイは好感が持てます。

それはB面の「じょんがらゴーゴー」で、さらに全開! 曲タイトルからして津軽三味線のフレーズをエレキに置換したアレンジと演奏は、寺内タケシの世界へモロにトリビュートでしょう。いゃ~~、思わずニンマリするほど痛快♪♪~♪

ちなみに当時は、こうした疑似寺内タケシ系のギターをメインにした演奏が多数あって、その中には、このザ・トーイズのような憎めないレコードが相当に残されていますが、それだけ寺内タケシの影響力は絶大というわけです。

気になるルディ・アプドのボーカルも、不思議な違和感とノリの良さが上手い具合に化学融合した快唱でしょう。

しかし、言うまでもなく、このシングル盤はヒットせず、ザ・トーイズにもサイケおやじは二度と出会うことがありませんでした。

このあたりはプロモーションとかテレビ出演のあれこれも勘案するべきなんでしょうが、このシングル盤そのものが、当時の流行だった所謂アングラレコードの類というキワモノでしたからねぇ……。一説によると、大映制作で同年公開された「ガメラ対バイラス」と「妖怪百物語」の2本立を興業している劇場で、その幕間にライプ演奏をやっていたという情報を、私は友人から聞いたことがあります。

ただしザ・トーイズは、決してコミックバンドではなかったと思うんですよねぇ。ただ、こういうグループまでもが登場し、スレスレのレコードが作られてしまったところに、昭和元禄の勢いがあったということでしょう。

ということで、時代の仇花というには、あまりにも惜しいレコードです。

また、たった一度の実演に接しただけで、その強い印象が今日まで残り続けているほど、当時のGSブームにはアクの強いバンドが、他にも数多く存在したんじゃないでしょうか。もちろん、リアルタイムのファンにしても、全てのGSを追いきれたわけでは無いと思いますから、後追いで楽しんでも満足出来る世界かもしれませんね。

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ザ・バーズと言っても双子の姉妹

2010-08-19 16:39:07 | 歌謡曲

或る夜の出来事 / ザ・バーズ (テイチクユニオン)

昭和の芸能界で、特に女性歌手には双子のデュオが幾組も登場していますが、こまどり姉妹やザ・ピーナッツの大ブレイクによるところが、これは大きいんでしょうねぇ。

本日ご紹介のザ・バーズも、豊田順子と豊田礼子の実力派として、先日のレモンレモンズと同じ頃に活躍していました。

そして何んと言っても大ヒットしたのは、本家スチュワーデス物語のテレビドラマ「アテンション・ブリーズ(昭和45年・TBS)」の主題歌でしょうが、他にも侮れないシングル盤を数枚残しています。

中でも、昭和44年11月に発売された「或る夜の出来事」は、一般的なヒットにはなりませんでしたが、後の所謂廃盤アワーでは決定的な人気を得た隠れ名曲・名唱! 一度聴いたら忘れられないリズムとコブシ、そして躍動的な曲メロと些か女の狡さが滲み出た歌詞がジャストミートしています。

そこにはイントロ前のSEとして豪快にプッ飛ばす車のエンジン音が使われ、次いでフェードインする昭和歌謡曲どっぷりの演奏が始まり、さらに彼女達がコブシを効かせまくった歌い回しで、男と女が夜のドライブに行ったあれこれを物語るんですから、たまりません♪♪~♪

当然ながら、それは女の視点であって、しかも「真っ赤なスポーツカー」とか「玉川あたり」とか、妙に具体的な描写や男女の台詞と感情の機微が歌詞のほとんどを占めています。おまけに最後には「後は言えない、幸せすぎて」という、実に妄想を刺激するオチまで歌われるんですよねぇ~♪

もちろん、ザ・バーズのふたりはユニゾンから上手いコーラスワークを駆使♪♪~♪ 殊更にキワドイ部分をハモったりするという、う~ん、これって放送禁止ギリギリじゃなかったですかねぇ~?

またバックのカラオケパートでは、この時代特有の硬質にドライブするエレキベースやセカンドライン気味のブーガールドラミングが素晴らしいですよ。もちろんホーンアレンジも膨らみのある響きになっています。

さて、しかし残念ながら、サイケおやじはこの素晴らしいシングル盤を、ど~してもでゲットすることが出来ず、友人からのカセットコピーで長い間、我慢の子でした。

ところがついに先頃、某オークションで落札に成功♪♪~♪

なんと扱っていたのが海外のディーラーだったというのにも驚きましたが、掲載したジャケ写真は連絡メールに添付されていたものを流用してはいるものの、状態はかなり良好みたいなんですよ。

あぁ、早く手元に届かないかなぁ~~~♪

そんな気持で現物も未だ手元に無いフライング状態で、本日のプログを綴っているというわけですが、実際、それほど素敵なレコードだと、ご理解願えれば幸いです。

ちなみにジャケットに写るふたりの衣装が、既にしてスッチー風というのも、以降の大ヒットを予感させますよね♪♪~♪

ちょっと余談になりますが、昭和の我国風俗関係の営業では、スッチーのコスプレが異常人気だったことがありましたですよね。今はどうなっているんでしょう。

ということで、ザ・バーズの音源もまた、全てを復刻するべきでしょう。

ただしCD1枚分がキツイのであれば、双子の女性デュオだけの編集盤とか、様々に楽しい企画があると思いますよ。

拙稿をご一読されました業界の皆様、ぜひともお願い致します。

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うわさの男と真夜中のカーボーイ

2010-08-18 16:56:10 | Rock

うわさの男 / ニルソン (RCA)

もはや熱風地獄といって過言ではない連日の猛暑!

特に昨日からは仕事場の冷房が不調で難儀しておりますが、思えば昭和50年代あたりまでの我国では、家庭にクーラーなんて贅沢でしたし、職場にだってロクに空調なんて無かったところが当たり前でしたよねぇ。

本当に今の日本は豊かになったもんだなぁ~、と実感する他はありません。

さて、そんな時代を過ごしたサイケおやじの昭和40年代、夏の避難場所といえばデパートやスーパー、ジャズ喫茶やパチンコ屋と並んで重宝したのが映画館でした。なにしろ前述の場所は人が多くなると、当然ながら冷気が薄くなりますが、映画館は老朽化している所ほど、丸っきり冷凍倉庫のような冷え過ぎクーラーが特徴的でした。

そしてそんな若き日の夏、サイケおやじが名画座で鑑賞した中のひとつに、本日ご紹介の曲が使われていた名作「真夜中のカーボーイ(1969年 / ジョン・ジュレジンジャー監督)」がありましたですね。

ちなみに原題は「Midnight Cowboy」なので、「カーボーイ」じゃなくて本当は「カウボーイ」が正当なんでしょうが、何故か邦題は「カーボーイ」というのが、如何にも昭和40年代でしょう。

まあ、それはそれとして、このニルソンが歌う「うわさの男 / Everybody's Talkin'」は本人のオリジナル曲ではなく、フォーク歌手としては些かアングラだったフレッド・ニールが書いたものですが、ニルソンはそれをなかなかポップで親しみ易く、しかもアコースティックギターをメインに使うアレンジも含めて、絶妙な哀愁バージョンに仕立てています。流麗にして浮遊感さえ滲むストリングも良い感じ♪♪~♪

ちなみにニルソンは最初、ソングライターとして業界に入り、その後に並行して歌手活動もスタートさせたのですが、そこに付随するライプ巡業はいっさいやらない主義でしたから、スタジオレコーディングには反動的とも解釈出来る凝り性が散見されます。

しかしこの「噂の男」は、まだ美声だったニルソンの上手いボーカルの使い分けにより、なかなかストレートな良さがあるんですねぇ~♪

もちろん結果的に大ヒットして、ニルソンはグラミー賞の「男性ボーカル最優秀賞」を獲得しています。

肝心の映画はアメリカのニューシネマを確立させた傑作として説明不要かと思いますが、やはり成人映画でありながら、アカデミー賞に輝いたという事実だけでも、当時は凄いことでした。尤も我国では一般作品扱いでしたから、エロスに対する感性は異なるんでしょうが、それにしても、です。

物語はセックスには自信満々の田舎者というジョン・ボイトが、ニューヨークで一旗揚げんとハッスルしつつも、現実は逆にカモられ、ホームレスのダスティ・ホフマンと奇妙な友情で結ばれるという展開でした。

その流れの中にはフェロモン過多のコールガール、嘘つき学生やホモの紳士、シリアスな都会の情景、偏った人間関係等々が鋭く活写され、またジャストミートの音楽の中で特に印象的だったのが、「うわさの男」だったのです。

実はサイケおやじがニルソンを意識したのも、この映画を鑑賞し、「うわさの男」にグッと惹きつけられたのが最初で、それは昭和45(1970)年の夏の終わりでした。そして中古でゲットしたのが、本日ご紹介のシングル盤というわけです。

ということで、ニルソン本人については、いずれたっぷりとご紹介する所存ですが、映画のラスト、病気のダスティ・ホフマンを連れてフロリダにバスでやって来たジョン・ボイトが、結局はダスティ・ホフマンが死んでしまい、ひとりで陽光輝く場所に降り立ちます。

その時、実に眩しそうな表情をする主人公が、せつなくも強い印象を残すんですよねぇ、この作品は!

と同時に、観終わって暗い映画館から熱い日差しの外へ出ていく自分が、そこへ絶妙に重なったりするのです。

あぁ、名画座巡りの夏の思い出も、悪くないですねぇ~♪

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レモンレモンズとツイッギーの1967年

2010-08-17 16:34:38 | 歌謡曲

夢見るツイッギー / レモンレモンズ (ミノルフォン)

先日のモコ・ビーバー・オリーブが日本語詞の洋楽カバー曲を歌っていたという件について、リアルタイムでは些か時代遅れの温故知新と書きましたが、それは歌っていた楽曲そのものが、所謂オールディズポップスだったからに他なりません。

しかしヒット曲業界には当然の仕儀という競作物ともなれば、同時期に欧米で流行し、また我国でも売れる兆しが見えたものに関して日本語バージョンが出るのも、また昭和芸能界では当然の成り行きでした。

本日ご紹介の「夢見るツイッギー」は昭和42(1967)年秋に発売された、全くその路線のひとつとして有名な1曲だと思います。

原曲は当時人気絶頂というか、ミニスカートの大流行と共に社会現象とまでなったイギリス人女性モデルのツイッギーが歌った「Beautiful Dreames」で、如何にもスウィンギング・ロンドンと称された現地直送のウキウキするメロディが、昭和元禄の日本にはジャトミート♪♪~♪

レモンレモンズは前半を英詩、中盤からは日本語の訳詞で歌っているんですが、ご推察のとおり、彼女達は穂坂怜子と穂坂光子という双子の姉妹デュオですから、そのハーモニー&コーラスワークは絶妙にして完璧です。

しかもキュートで愛らしい面立ちと如何にも昭和というボディラインの魅力がありましたから、なかなか人気もあったんじゃないでしょうか。その歌っている姿に、サイケおやじは残念ながらテレビでしか接することは出来ませんでしたが、映画であればGS物の傑作として現在はDVD化もされた「進め!ジャガーズ敵前上陸(昭和43年・松竹・前田陽一監督)」に、レイコとミツコ名義で出演していて、なかなか可愛いんですよねぇ~♪

しかしレモンレモンズとして出した数枚のシングル曲は、この「夢見るツイッギー」が局地的に小ヒットしたぐらいで、後は空振り……。

結局、前述したように昭和43(1968)年、レイコとミツコに芸名を変え、王道歌謡曲路線で再デビューしていますが、彼女達が登場した頃の我国芸能界には、こまどり姉妹とザ・ピーナッツという絶対的な女性双子デュオが存在していましたから、やはり苦しかったんでしょうねぇ。

今となっては、勿体無いと思うばかりですし、彼女達の音源も集大成される必要があると確信するほどなんですが、冒頭で引き合いに出したモコ・ビーバー・オリーブが同じ洋楽カパーポップスを日本語で歌いながらも、それは立派なポップスになっていたのに対し、歌の実力では完全に上のレモンレモンズが、どうやっても歌謡曲寄り聞こえしまうのは不思議です。

このあたりは時代性やその流れのタイミングという、ちょっと微妙な問題も含まれるんでしょうが、もしもレモンレモンズが2年ほどデビューが遅かったら? そう思うと様々な妄想や空想が膨らむのも、また事実です。

ただし現在では「キューティ歌謡」なぁ~んていう便利な言葉もあるみたいですから、結果オーライなんでしょうか。

ということで、最後になりましたが、気になる一方の主役というツイッギーは本名ではなく、凄く痩せていたので「小枝=Twiggy」という愛称をそのまんま芸名にしたと言われています。

そして我国でも憧れのスタアとして話題になり、昭和42(1967)年10月には来日し、チョコレートや車のCMに出演する等々、その人気ぶりを証明しました。

おそらくはこのレモンレモンズのシングル曲も、それに当て込んでの企画だったと思われますから、昭和元禄は良い時代だったなぁ~♪

と思うばかりなのでした。

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アル・クーパーの自叙伝に覚醒

2010-08-16 16:54:50 | Rock

A Possible Projection Of The Future / Childhood's End
                                                       / Al Kooper (Columbia)


最近の我国を震撼させた高齢者の長期行方不明事件!?

もう、正直、こんな事態が全国的に多数明らかにされようとは、思ってもみませんでした。なにしろサイケおやじが子供の頃は、長生き=幸せという未来が堂々と提示されていたわけですし、それが最近では長生きが決して幸せでは無いという現実に直面はしていたものの、それにしても……。

なんか、こう、胸が潰れる気分で思い出したのが、本日ご紹介のアルバムです。

まずは老人がエレキギターに縋っているジャケ写が、強烈でしょう。

これは1972年に発売されたアル・クーパーのリーダー盤で、もちろん写っている老人は特殊メイクを施されたアル・クーパー本人!? 既にご推察のとおり、これは年老いたロックスタアが自分の歩んできた道を振り返り、懐かしさと悔悟の念に自らの存在感を確かめるといったトータルアルバムという解釈が一般的です。

つまり音楽の世界だけでも、実に多様で重要な活動を繰り広げてきたアル・クーパーの回顧録的な意味合いも強いのですが、しかし当時のアル・クーパーは未だ30歳前だったのですから、邦題「早すぎた自叙伝」は、まさにそのものズバリ!

 A-1 A Possible Projection Of The Future
 A-2 The Man In Me
 A-3 Fly On
 A-4 Please Tell Me Why
 A-5 The Monkey Time
 B-1 Let Your Love Shine
 B-2 Swept For Your Baby
 B-3 Bended Knees (Please Don't Leave Me Now)
 B-4 Love Trap
 B-5 Childhood's End

常にリスナーを驚かせるクセが抜けないアル・クーパーらしく、今回も冒頭から雷鳴轟くSEや様々に雑音みたいなシンセが唸るイントロを経て、如何にも「らしい」ゴスペルロックの泣き節がスタートする「A Possible Projection Of The Future」こそ、このアルバムの幕開けに相応しいとしか言えません。

そこにはブルースプロジェクトBS&Tをやってきた自らの成功の道と落ちぶれてしまった老境の姿を赤裸々に歌い、さらに神様の非情を恨みつつ、救いを求めずにはいられない刹那の境地が、ジャズブルースなピアノを根底に置き、不気味なシンセやヘヴィなリズム隊の躍動を従えて、滔々と繰り広げられているです。

そして続く「The Man In Me」はボブ・ディランが当時の新作だった「新しい夜明け」で発表した隠れ名曲なんですが、作者とは因縁浅からぬアル・クーパーが、これを壮大なバック演奏を従えて、実に女々しく、負け惜しみ満点に歌うという趣向が、ずっしりと心に響いてまいります。

あぁ、初っ端からの二連発だけで、このアルバムは間違いない!

そう確信する他はないのですが、そうしたサウンドを作り出したのは1曲を除いてハービー・フラワーズ(b)、バリー・モーガン(ds,per) を核とするブリティッシュなリズム隊であり、アル・クーパー自らもピアノ、オルガン、シンセ等々の各種キーボードとギター全般を演じる大奮闘! さらにコーラスにはリンダ・ルイス、クラウディ・キング、バネッサ・フィールズ、ロバート・ジョンといった有名人が参加し、レコーディングそのものも基本はイギリスで行われています。

結論から言えば、その所為でしょうか、あくまでも個人的な感想ではありますが、アルバム全篇から滲み出るキーボードロック系のプログレ風味が否定出来ず、このあたりは常に時代の流行に敏感なアル・クーパーの仕掛けの早さと言うべきかもしれません。

しかし決して自分を見失わないのも、またアル・クーパーの魅力のひとつで、そのジコチュウな曲調とサウンド作りの妙は、冒頭から痛快にオルガンが唸り、ノーザンピート直系のR&Bと泣きのメロディがジャストミートした「Fly On」に顕著! あぁ、せつないばかりの楽しさが憎たらしくなるほどですよ♪♪~♪

う~ん、このあたりは近年、フリーソウルなんていう言葉を言い訳にしては古い歌や演奏を鳴らすDJ達に再発見されるのも、ムペなるかな!

その意味でアル・クーパー自らの嗜好を吐露した「The Monkey Time」や「Swept For Your Baby」という、R&Bの有名曲カパーも最高♪♪~♪

特に乾いたリズムが独得の気持良さを作り出す「The Monkey Time」のウキウキ感は、今となっては当たり前のカッコ良さかもしれませんが、発売された当時の1970年代前半では、なかなか温故知新でしたねぇ~♪ このあたりにもイギリスのリズム隊を起用した狙いがあったのかもしれません。下世話なコーラスも良い味出しまくりですよ♪♪~♪

しかし一方、スモーキー・ロビンソンが書いた泣きのソウルパラード「Swept For Your Baby」は、実はこの演奏だけがアメリカ録音で、メンバーはボブ・ウェスト(b)、ポール・ハンフリー(ds)、ポビー・ホール(per) というお馴染みの名手が参加していることもあり、なかなか王道のソウルグルーヴが、たまりません。しかもメロウ&ゴスペルとでも申しましょうか、既に流行していた黒人ニューソウルの白人的解釈が、流石はアル・クーパーと納得されるでしょう。

ですから、これもカパー曲でジミー・クリフが書いたらしい「Please Tell Me Why」が、なんと同時期から続く昭和歌謡ポップスのアレンジに近くなっているのは、些か面映ゆい感じなんですが、ここで聴かれる様々な要素が実際、しっかりとパクられていたのは驚くべきことだと思います。

つまりそれだけ、このアルバムが玄人にも影響を与えていたんでしょうねぇ~♪

まあ、そのあたりをアル・クーパー本人が知っているか否かは別問題として、アルバム後半に集中する自身のオリジナル曲にしても、ウエストコーストロック&ハリウッドホップス味が強い「Let Your Love Shine」、十八番のゴスペルロック系泣き節が全開する「Bended Knees」、さらにモータウンサウンドの英国プログレ風展開という「Love Trap」は、まさにアル・クーパーでなければ書けない曲調とサウンド作りが圧巻! 特に「Love Trap」は絶対にフィル・コリンズが好きなはずと確信するほどですよ。

そしてオーラスの「Childhood's End」は、ホロ苦くてやっぱり甘い若き日々に分かれを告げ、絶望の中に未来への一抹の希望を漂わせる曲メロと詩の内容ですから、このアルバムは本当に計算されつくしていると思います。

アル・クーパーの作り出す曲は、平易なメロディラインを基本にし、そこへ凝ったアレンジによる的確な演奏と泣き節主体のしつこい歌いっぷりで仕上げられるものがほとんどです。

特にボーカルの味わいは好き嫌いがはっきり出るスタイルでしょう。

しかしその背後には、例えば痛快に唸るオルガンや泣きまくりのギター、せつなさを増幅させるコーラスや重厚なアレンジメント等々のキモが、必ずあるのです。

今回のアルバムでは、そのあたりの多くの部分をシンセやメロトロンといった、当時の最新キーボード類で作り出していますが、それは決して無機質ではなく、非常に人間的で下世話な味わいが強く出ています。

そして既に述べたように、アル・クーパー自らがひとつの総決算を狙ったような意味合いも否定出来ませんから、取っつきは悪いかもしれませんが、なかなか飽きない魅力があるんですよねぇ~♪

皆様がご存じのとおり、アル・クーパーはいよいよ次に、大傑作の人気アルバム「赤心の歌 / Naked Songs」を出すわけですが、それだって本盤があればこその結果じゃないでしょうか?

しかしアル・クーパーは本当に幸せなミュージャンです。

なにせ三十路前で自叙伝を出し、次には不滅の傑作を生み出し、さらに若き日々から続けていた裏方の仕事でも以降、大輪の花を咲かせ、今日でも気になる活動を続けているのですからっ!

全く羨ましい生き様だと思います。

もちろんサイケおやじには、アル・クーパーのような素質もなく、また努力も足りていないわけですから自業自得と諦めざるを得ないのが現在の自分です。

ただし、それでも今後、少しはマシな老年期を迎えられるように前向きな気持は捨てたくないなぁ~、と自分に言い聞かせるたくなるのが、このアルバムを聴く度に思う現在の心境です。

そして当然ながら、それは若い頃には思うことすらなかった気持ちですから、初めて聴いた時から三十数年を経て、完全にアル・クーパーの手中に落ちたというわけなんでしょうねぇ。

あぁ、自分も齢をとってしまった……。

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幻のエル・ソタノ

2010-08-15 16:38:58 | 歌謡曲

忘れるさ忘れるさ c/w 北国のアカシア / エル・ソタノ (ビクター)

長年欲しかったブツが入手出来た時の喜びは、あらゆる蒐集家に共通するものでしょうが、反面、もしかしたら非情な理由でコレクションを手放したのかもしれない前の持ち主の心情を勘案すれば、なかなかハードボイルドな世界でもあります。

実は昨日、手元に届いた本日ご紹介のシングル盤も、そうした中のひとつだと思わざるをえない事情が、前の持ち主の素性や生き様を知っているだけに痛感されるのです。

もちろん、それを詮索したり、書くことが出来ないのは当然なんですが、それにしても……、という思いを打ち消せないのがサイケおやじの本音と予めお断りして、ご紹介を続けたいと思います。

さて、エル・ソタノはジャケ写からも一目瞭然、男女混成の6人組で、松本京子(vo)、司三千緒(vo)、竜崎孝路(vo,p)、渡辺賢介(b)、松浦義男(ds)、ベビー藤田(per) という顔ぶれで赤坂のクラブ「エル・ソタノ」に出演中のところをビクターのデレクターに発見され、このデビューシングル盤を出したという経歴になっています。

それは昭和44(1969)年10月の事でしたが、結果的には全くヒットしていません。

ところが楽曲の仕上がりレベルは両面ともに素晴らしく、歌謡曲愛好者の間では何時しか幻の名盤のひとつになっていました。

しかもメンバーだった竜崎孝路が後に作編曲家として大活躍したこともあり、また楽曲を書いたのが水木順子の変名を用いていた荒木一郎という真相が明らかになったのですから、さもありなん!

まずA面の「忘れるさ忘れるさ」は、ニール・セダカの「悲しき慕情」を歌謡フォークに焼き直したような趣が潔い編曲で演じられ、爽やかな女性ボーカルと微細な演歌フィーリングが隠しようもない男性ボーカルのコラポレーションが、そのコーラス&ハーモニーワーク共々、なかなかお洒落です。

ただし昭和44(1969)年の我国大衆音楽界からすれば、それはあまりにもスマート過ぎたでしょう。ストレートにウケなかったのも、納得する他はありません。

しかしB面の「北国のアカシア」は、ムード歌謡路線でありながら、実にイカシたラテンロックの隠し味が冴えまくり♪♪~♪ もちろん曲メロは荒木一郎ならではの洋楽テイストが、なかなか上手い具合に下世話化された傑作ですよ。

また近藤進のアレンジが、これまた秀逸で、特に中間分のバロック風コーラス&スキャットの使い方と昭和歌謡曲がど真ん中のメロディフェイク、さらにオーケストラやパーカッションの存在感がイヤミになっていないあたりも、感服するばかりです。

既に述べましたが、このシングル盤の両面は水木順子名義で荒木一郎の作詞作曲、そしてアレンジが近藤進という制作になっていますが、出来としては圧倒的にB面がサイケおやじの好みです。

また肝心のエル・ソタノは流石、ハコバン出身ということで、なかなか柔軟にしてツボを外さない歌と演奏は相当の実力を持っていたはずで、残念ながら実演ライプやテレビ出演には接したことがありませんが、かなり上手いグループだったと思います。

ちなみにジャケ写が神宮前のビクタースタジオを背景にしているのは、如何にもレコーディングの合間の撮影という事情か、いや、もしかしたら、そのスタジオそのものが当時竣工されたばかりだったという経緯があったのかもしれませんね。

つまり会社側としては、相当に力が入っていたレコードだったのかも……?

今となっては、既に述べたように竜崎孝路と荒木一郎の関連アイテムとしての価値が優先していますが、もしもこれがAB面逆だったら?

と想像を膨らませれば、おそらくヒットしていたんじゃないでしょうか。

ということで、こういう素敵なレコードが、まだまだどっさり存在しているのが、昭和歌謡曲の世界です。特に昭和40年代は何を聴いても最高ですねぇ~♪

結局、サイケおやじは何時までもオールドウェイヴから脱することが出来ないのです。

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想い出の渚の気持ち良さ

2010-08-14 16:29:32 | 日本のロック

想い出の渚 c/w ユア・ベイビー / ザ・ワイルド・ワンズ (東芝)

学生時代に入れてもらっていたバンドでは、ちょっぴりプロの真似事をしたこともあったサイケおやじですが、それはほとんどが夏のビアガーデンとか、仲間の実家が経営していた地方の海浜ホテル等々ということで、演目は決してブリブリのロックなんかやれるはずもなく、それなりに懐メロ系の歌が要求されていました。

そして中でも、本日ご紹介の「想い出の渚」は必殺定番!

まあ、本音を言えば、積極的にやりたいはずもなかったんですが、曲りなりにもお金を貰っている以上、雇い主の要望は絶対です。しかも実際に演じると、これがウケるんですよねぇ~♪

今日でもエバーグリーンな人気曲になっているのは、何の不思議も無いと思うばかりです。なによりも覚え易くて、人なつっこいメロディとせつない歌詞のバランスが永遠に不滅というところでしょう。

そして幾度かのリバイバルヒットやカバーバージョンの頻発も、当然が必然と思うばかりなんですが、そのオリジナルは昭和41(1966)年11月に発売されたワイルド・ワンズのデビュー盤でした。

メンバーは寺内タケシとブルージーンズから独立した加瀬邦彦以下(g.vo)、鳥塚繁樹(g,vo)、島英二(g,vo)、植田芳暁(ds,vo) という4人組で、そのルックスやファッション感覚が所謂おぼっちゃんタイプだったことも、曲想にジャストミート♪♪~♪ 忽ちのロングセラーになったというわけです。

実際、以降に幾つも新曲を発売し、それが続けて大ヒットになっているにもかかわらず、テレビ出演やライプの現場では、常にこの「想い出の渚」をメインに演じていましたですね。

ちなみに皆様もご存じのとおり、ワイルド・ワンズの名づけ親は加山雄三であり、その爽やかな存在感は元祖「湘南サウンド」だったわけですが、主に曲を書いていた加瀬邦彦がメジャーキー優先主義に徹したこともあり、どこが「ワイルド」なのか、ちょいと分からない正逆の稚気も絶妙だったと思います。

しかし実際に演じてみて納得出来るのですが、このシングルバージョンに顕著な厚みがあって爽快なサウンドの秘密は、おそらくエレキの12弦を使用したと思しき、つまりは当時の最先端だったザ・バーズのフォークロックあたりを研究した成果だったんじゃないでしょうか?

まあ、このあたりは完全に個人的な思い込みではありますが、告白すれば、決して積極的にやった演目ではないはずなのに、実際には「やって楽しいノリ」があるんですよねぇ~、この「想い出の渚」には!?!

う~ん、加瀬邦彦、恐るべし!

今日ではワイルド・ワンズがGSの中でも、ほとんどロックしていないグループの代表格みたいな扱われ方になっているようですが、このバンドには決して一概には決めつけられない奥深さがあるように感じています。

ただしロック特有の毒気が足りないのは否定するべくもなく、それゆえに何枚も出していたアルバムを通して聴くのは、流石に辛いものがあるのも、また事実……。正直、なんとなく安易な歌謡フォークの如き軟弱さも顕著です。

しかしほとんどがヒットに結びついたリアルタイムでの数多いシングル曲は、流石に完成度が素晴らしく、そのあたりはメンバー各々がリードを歌えるボーカルの力量も聴き逃せないと思います。

ということで、けっこう後追いでシングル盤を集めているのが、サイケおやじのワイルド・ワンズに対するスタンスです。

また、毎年のように夏の再結成(?)で、いろんなイベントやテレビへの出演が多いのも、それだけスタンダードな魅力に満ちたバンドという証明でしょう。

その意味でB面に収録された「ユア・ベイビー」は、加瀬邦彦がブルージーンズ在籍中に書き、おそらくは同バンドでは初めてのボーカル物として録音も残されたほどの隠れ名曲♪♪~♪ そのサーチャーズ系フォークロックの味わいは、ワイルド・ワンズのサウンドの秘密を解き明かすものですから、こちらも存分にお楽しみ下さいませ。

参考までにブルージーンズのバージョンは、昭和40(1965)年に出たLP「ビート・ビート・ビート第三集(キング)」に収録されていますから、聴き比べも興味深いと思います。

ロックと言えば、明日なきリアルな生き様が本物とされる誤解が多い中で、実はワイルド・ワンズのような存在も決して侮ることは出来ないのでした。

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忘れられないモコ・ビーバー・オリーブ

2010-08-13 16:52:40 | Pops

わすれたいのに / モコ・ビーバー・オリーブ (東芝)

今はどうだか知りませんが、昭和50年代頃までの我国では、ラジオというメディアが強い影響力を持っていました。それは所謂「ながら聞き」出来る環境のリスナーをターゲットにした、それぞれの番組が人気を集めていたと同時に、ブームにさえなっていた深夜放送の存在も大きなものだったのです。

そこには各局所属のアナウンサーばかりではなく、俳優や歌手やタレント、さらには声優までも含めた人気DJの存在がポイントになっています。

本日ご紹介のモコ・ビーバー・オリーブという女性トリオも、当時のラジオ番組「ザ・バンチ・バンチ・バンチ(ニッポン放送)」に出演していた魅力的なお姉様♪♪~♪

この番組が何時からスタートしたかはちょいと定かでは無いのですが、サイケおやじが初めて聴いたのは昭和43(1968)年の夏で、日曜日を除く毎日深夜、だいたい15分位の放送でした。

そして内容は彼女達のお洒落なフィーリングがいっぱいのおしゃべり、リスナーから寄せられた悩み相談、時にはセクシーな演出もあったりしましたから、既にお姉さん系が大好きだった十代のサイケおやじには、毎日の楽しみのひとつになっていましたですね♪♪~♪

また番組内で流れる音楽も最新ヒット曲はもちろん、オールディズポップスから粋なイージーリスニングジャズ、あるいは映画サントラ音源や華麗なダンスミュージック等々、実に素晴らしい選曲になっていました。

ちなみに番組名からもご推察のとおり、このプログラムは当時の若者向け週刊誌「平凡パンチ」がスポンサーだったこともあり、そういうタイアップの中で、彼女達のプロフィールも知ることになったのです。

それはモコ=高橋基子、ビーバー=川口まさみ、オリーブ=シリア・ポールというのが本名で、掲載したジャケ写では左側がビーバー、真ん中がオリーブ、後ろがモコです。まあ、正直に言えばルックスはイマイチでしょう。しかしファッションセンスは如何にも昭和40年代前半=1960年代後半の彩りが素晴らしいと思います。

しかもそうした視覚的なイメージが、不思議とラジオ放送からも感じられたんですよねぇ~♪

そして彼女達がついにレコードデビュー!

それが昭和44(1969)年春に発売された、この「わすれたいのに」なんですが、驚いたことには当時既に時代遅れとされていた和製カパーポップス、つまり日本語の歌詞をつけた洋楽カバーだったんですよっ!?!

オリジナルタイトルは「I Love Hou You Love Me」で、モコ・ビーバー・オリーブと同じ女性トリオのパリス・シスターズが1961年に放った大ヒットだったことに加え、確かこの当時、リバイバルヒットしていたような記憶もあるので、ここに選曲されたんじゃないでしょうか?

ちなみに後に知ったことではありますが、このレコードをプロデュースしたのは、我国の洋楽ファンなら知らぬ人もいないはずの朝妻一郎でしたから、さもありなん!

チェンバロによる厳かなイントロからフォークロック的なギターやストリングスの響き、そして泣きの曲メロと日本語詞のせつない世界が、スローで夢見るような展開で繰り広げられ、途中の甘くて胸キュンの台詞にも青春の香りがいっぱいです。

おそらくリードを歌っているのはオリーブ=シリア・ポールでしょうが、モコとビーバーの淡いコーラスワークも、バックの演奏パートと上手く溶け込んで良い感じ♪♪~♪ 絶妙のアクセントをつけるタンバリンも効果的だと思います。

こうしてマニアックでありながら、実は大衆心理にも精通した朝妻一郎の目論見どおり、局地的ではありますが、見事にヒットしたのは言わずもがな、ますますモコ・ビーバー・オリーブの人気は高まり、続けて同じ趣向で日本語詞が付けられたカパーポップス物のシングル盤やアルバムを出すことなりました。

ご存じのように、ビーバーことシリア・ポールは、後に大滝詠一のプロデュースによって再デビューするわけですが、その出発点がここにあったというわけです。

ということで、そのあたりが気になる皆様には、ぜひともお楽しみいただきたい歌なんですが、実は彼女達のレコードを入手するのは現在、なかなか容易ではありません。なにしろヒットしたと言っても、それは局地的……。つまりはラジオの深夜放送の世界ですし、それも特定のラジオ局で誕生したグループでしたからねぇ。

そしてこういうレコードをゲットする購買層は、よほどのことが無い限り、コレクションを手放そうとしない人種が、サイケおやじも含めて、相当数存在するはずです。

告白すればサイケおやじにしても、実はモコ・ビーバー・オリーブ名義のレコードは、このシングル盤しか持っておらず、前述したカパーホップスが満載という、唯一のアルバムも長年探索しつつ、未だ入手が叶っていません。

ちなみにCDは、かなり以前ですが、発売されていました。

でも、ど~しても買う気になれなかったのは、やっぱり彼女達にはアナログ盤が似合うというか、せつない温もりを感じさせる歌とおしゃれな感覚は、無機質なCDでは物足りないと思う、実に我儘なサイケおやじをお許し下さいませ。

コメント (8)
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寺内タケシとバニーズの歌物ヒット

2010-08-12 16:36:48 | 日本のロック

太陽野郎 / 寺内タケシとバニーズ (キング)

昨日はスパイダースのインスト物をご紹介致しましたが、本日は一転、その正逆とも言えるバニーズの歌物ヒットです。

演じている寺内タケシとバニーズは、歌謡曲さえ包括されていたGS全盛期でも、あえてエレキインストを強引に展開させていた名バンドでしたが、やはり時代の要請からボーカルメインの楽曲もかなり出していた事は、皆様がご存じのとおりです。

結論から言えば、バンド内に寺内タケシのギターと互角に渡り合えるボーカリストが居なかったこともあり、どうしてもエレキインストに軍配が上がるのは避けられません。

しかし、そんな中で一番有名なのが、この「太陽野郎」じゃないでしょうか。

発売されたのは昭和42(1967)年11月で、実は同じ頃に放送が始まった同名テレビドラマの主題歌だったのですから、その覚えやすくて痛快な歌と演奏は忽ち大ヒットしています。

とにかくイントロから炸裂する寺内タケシのギターはボーカルに絡みつく熱い裏メロ、そして間奏での強烈なアドリブ! まさにエレキの真髄が存分に発揮されています。

ちなみにこれを書いたのは作曲:いずみたく、作詞:岩谷時子というお馴染みのコンビですが、編曲はもちろん寺内タケシですから、歌謡曲に近いとはいえ、エレキなロックはお約束♪♪~♪

しかも同時期のバニーズは寺内タケシ(g,arr) 以下、黒沢博(g,vo)、鈴木義之(g.vo)、荻野達也(key)、小野肇(b)、井上正(ds,per,vo,etc) という、まさに鉄壁の布陣で世界に誇るエレキインストの超名盤LP「運命」を出したばかり! つまり何をやっても盛り上がる他はない勢いに満ちていたのです。

おそらくボーカルパートは黒沢博と鈴木義之のユニゾンでしょう。また、間奏での掛け声も井上正の一発芸として、揺るぎない魅力がありますねぇ~♪

さて、気になる本篇ドラマの「太陽野郎」ですが、これは夏木陽介主演による和製カウボーイの物語で、確か北海道や富士山麓の牧場を舞台にしていたと記憶しています。

そして既にご推察のように、制作は東宝系ということで、出演女優さんには北あけみ、宮内恵子=牧れい、豊浦美子、松本めぐみ、島かおり等々、全くサイケおやじ好みの素敵なお姉様が大勢登場しましたですね♪♪~♪

当然ながら物語展開は青春熱血であり、人情の機微や溌剌としたアクションも満載!

放送が土曜日の夜だったことを思えば、モノクロ作品ながら、当時の人気番組のひとつだったと思います。

このあたりもDVD化してもらえると面白いんですがねぇ。

ということで、このシングル曲もまた昭和元禄を体現しています。

既に述べたように、この時期の寺内タケシとバニーズは大傑作アルバム「運命」を出し、またシングル盤もインストでは「勧進帳」や「津軽じょんがら節」といった邦楽エレキロック、さらにボーカル物では「悪魔のベイビー」や「愛のりメンバー」等々、今もってアクの強い隠れ人気作を毎月のように発売していた全盛期! シングルカットした「運命」も大好評でした。

そして決定打となったのが、この「太陽野郎」だったのです。

残念ながらサイケおやじは、この頃の寺内タケシとバニーズの生演奏には接することが出来ませんでした。しかしテレビ出演で歌って演奏するエレキなバンドといえば、寺内タケシとバニーズがダントツの存在感であり、明らかに他のGSとは異なるカリスマ性を感じていました。

今日の歴史では、GSと言えばブルー・コメッツスパイダースタイガースやテンプターズ、カーナービーツジャガーズ等々、ボーカル系のバンドばかりが人気を集めていたと思われがちですが、インストがメインのグループも忘れてはならないでしょう。

しかもそうした中にあって、ちゃ~んと歌物ヒットも出していた寺内タケシとバニーズは、後追いで昭和元禄を楽しまれんとする皆様には、ぜひとも早い段階で接していただきたい素晴らしいバンドだと思います。

なんといっても実力の裏付けがある強烈なプロ意識は、寺内タケシの薫陶は当然ながら、既にしてエレキの神様だった親分のバンドに在籍しているという誇りと自負心が絶対的でしょう。

結果的に、後には寺内タケシから離れて独立したバニーズが極端に歌謡曲化し、また以前のブルージーンズが同じくムードコーラスの如きグループになっていたことを思えば、如何に寺内タケシのロック魂が凄かったか、痛感されるはずです。

ただし個人的には歌謡曲化したGSは決して嫌いではありませんし、それがロックじゃないとは決して言えない部分も確かにあるでしょう。

それでも、この頃の寺内タケシとバニーズを聴いていると、それはやっぱり悪夢かもしれませんね……。

つまり、こういう直截的で分かり易い歌謡曲さえロックになっていたのが、昭和元禄だったんじゃないでしょうか。

本当にそう思います。

コメント (4)
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