OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

日野晧正の真っ向勝負

2010-08-27 16:52:35 | Jazz

Now Hear This / Hal Galper (Enja)

昨日は久々にジャズモードへと帰還したことから、きっと良いことがあるに違いないと思いきや、仕事ではトラブルの続出で苦しめられ、また私的にもいろいろと……。

う~ん、これは朝からジャズなんか聴いたから……!?

とは、決して思いたくないので、今日もガチンコのジャズで行きますよ、行けるところまでっ!

そこで、本日のご紹介はフュージョンブームが真っ盛りだった1970年代後半、我国のジャズ喫茶では特別な人気盤だった王道のモダンジャスアルバムです。

録音は1977年2月15日、メンバーはハル・ギャルパー(p)、セシル・マクビー(b)、トニー・ウィリアムス(ds)、そして日野晧正(tp) という、なかなか妥協の無い面々ですが、実は当時のジャズマスコミでは、このセッションはプロデューサーが特に日野晧正を録音するために企画したという報道がなされ、実際、ジャケ写には堂々と日野晧正が登場している事が、何よりの証明になっています。

もちろん演奏も、リアルな熱さに満ちいていますよ。

A-1 Now Hear This
 アルバムのド頭に相応しい、アップテンポのハードなモード曲で、当時既にブームになっていた例のVSOPというよりも、1960年代新主流派直系の猛烈な演奏です。
 それはテンションの高いテーマ演奏からセシル・マクビーのペースが唸り、トニー・ウィリアムスのドラムスが炸裂し、フレディ・ハバードの影響を隠そうともしない日野晧正の潔いトランペットが鳴り響き、アドリブ先発のハル・ギャルパーが硬質なピアノタッチを全開せさたアドリブに突入すれば、その場はすっかりジャズ喫茶の全盛期♪♪~♪
 いやいや、あえて当時の状況を書いておけば、このアルバムが鳴りだすと、弛緩していた店内の空気がピリッとしたほどですから、まさに王道に拘っていたジャズ喫茶には救世主的なアルバムだったと思います。
 そして日野晧正のトランペットが全力疾走!
 失礼ながらリアルタイムのフレディ・ハバードには及ばないと思うのが正直な感想ですが、しかし当時、これほどバリバリに正統派ジャズをやっていた若手トランペッターはウディ・ショウ、チャールズ・トリバー、ジョン・ファディスあたりしか他にいなかったのも重大な事実だったんですよっ!
 そこで日野晧正なんですが、確かその頃はニューヨーク在住で、もちろん日本でのスタアプレイヤーという地位を捨ててまでと言われるほど、モダンジャズそのものに拘りぬいていた時期でした。もちろん盟友の菊池雅章が既に現地で活動していたこともあるでしょう。
 ですから、その迸る無心な情熱が熱気となって、ここに見事に記録されたのは幸いです。
 また共演のリズム隊が全く容赦無い姿勢なのも流石で、特にセシル・マクビーの怖さは絶品! ドカドカ煩いトニー・ウィリアムスのドラムスが、録音の所為で些か引っ込んでいるとはいえ、それは大音量で鑑賞するための方法論だと思います。
 つまりこれは、デカイ音で楽しむしかないという、まさにジャズレコードの宿命が、既にこの1曲だけで立派に提示されているように思います。

A-2 Shadow Waltz
 一転してミステリアスなムードに支配された哀切のパラード演奏で、日野晧正のハスキーな音色によるメロディ吹奏がジャストミートしています。
 しかしリズム隊は決して甘さに妥協せず、徹底的にその場を仕切ることに腐心する姿勢が強く、日野晧正の紡ぎ出すアドリブフレーズを先読みしたような展開は素晴らしいですねぇ~♪
 やはり超一流のメンツ揃いでなければ醸し出せない味わいと緊張感!
 ですからハル・ギャルパーの歌心排除型とも言うべきピアノも、自らが書いた曲メロには忠実ですから、ちょいとクール過ぎる? と感じてしまう瞬間さえも、立派なモダンジャズとして成立するんじゃないでしょうか。

A-3 Mr. Fixit
 これまた溌剌としたジャズロック系モード演奏なんですが、そのリズムパターンは定型ではなく、あくまでも自由なジャズビートを基調しているあたりが、如何にもハル・ギャルパーらしいと思います。
 実はハル・ギャルパーは、1960年代の終わり頃から既にブレッカーブラザーズを起用した過激なモダンジャズをやっていて、そのストロングスタイルは売れることがなくとも、ジャズ者には知る人ぞ知るの存在でした。
 そしてこのセッションの前には、やはりブレッカーブラザーズを正統派モダンジャズの世界に連れ戻した人気盤「リーチアウト(Steeple Chase)」をジャズ喫茶的なヒットにしていた上昇期でしたから、ここでの快演も当然だったのです。
 それに呼応する日野晧正、セシル・マクビー、トニー・ウィリアムスの面々も、ジャズを演奏することの喜びが爆発したかのような名演を披露して、痛快です。

B-1 First Song In The Day
 思わずニンマリさせられるほど、これは1970年代の真髄を堪能させられる名曲にて名演です。つまりアフリカのイメージとか、過激なモードジャズや逃げないハードな演奏姿勢が、実にジャズ者の琴線に触れるんですよねぇ~♪
 特に1960年代に在籍していたマイルス・デイビスのバンド時代とは正逆の、些か往生際の悪いドタバタしたドラミングが、逆にこの時期ならではの魅力というトニー・ウィリアムスの存在感は、流石に強いですねぇ。まあ、このあたりは好き嫌いがはっきりしていると思いますが、リアルタイムでは局地的にイモ扱いされたことを付記しておきます。
 しかも、ひたすらに基本のビートを守るべく奮闘するセシル・マクビーが、時折に怖い世界感を滲ませる小技をやってしまうあたりが、問題化寸前!?
 ですからハル・ギャルパーにしても油断は禁物ですし、それゆえに緊張感溢れる日野晧正の真摯なアドリブが侮れません。

B-2 Bemsha Swing
 ご存じ、セロニアス・モンクが書いた怖すぎる定番曲ですから、このメンツにしても神妙さが滲んでいるのでしょうか、最初はちょいと固い雰囲気が漂っている感じです。
 実はセッション全体の演目は、この「Bemsha Swing」を除いては全てがハル・ギャルパーの作曲で、しかも直言すれば、どこかで聞いたことがあるようなフックがキメになっていますから、必然的に演奏する側は気持良くやれたんじゃないでしょうか。
 ところが、この曲に関しては、既にモダンジャズの中だけでも決定的な名演が幾つも記録されていますからねぇ。
 それでも独自のスタイルを崩さないメンバーそれぞれの個人技は、流石に冴えまくり♪♪~♪ 特にハル・ギャルパーは潔いと思いますし、トニー・ウィリアムスの唯我独尊ぶりも、失礼ながら微笑ましいかぎり♪♪~♪ 初心に帰ったような日野晧正も好調ですし、ミディアムテンポでグルーヴィなスイング感を持続させるセシル・マクビーには脱帽です。

B-3 Red Eye Special
 さて、オーラスは当然ようにアップテンポのモード大会!
 全員の溌剌とした勢いは流石だと思いますが、アルバムを通して聴いていると、なんだ……、またかよ……、という苦言も禁じ得ません。
 もちろん演奏はタイトだし、アドリブパートも充実しているんですが、つまりはハル・ギャルパーのオリジナル曲に変化が乏しいというあたりが裏目なんですねぇ……。
 まあ、このあたりは、LP片面毎の鑑賞が普通だった当時では許されることなんでしょう。実際、ジャズ喫茶でも片面プレイが一般的でしたし、家庭においても、こんなハードなアルバムをぶっ続けて両面聴けるのは、相当に気力の充実が求められるんじゃないでしょうか。

ということで、ジャズを聴く充足感という点では最高の1枚かもしれません。

もちろん、このメンツがクレジットされたジャケットを見れば、そこに和みなんてものは期待されない皆様がほとんどでしょう。まさにスピーカーに対峙して、大音量での鑑賞が望ましいわけです。

ところが、今になってみると、これが何かをしながらの所謂「ながら聞き」にも心地良いんですよねぇ~。なにしろ車の運転中とか個人的なPC作業中にも、スイスイと聴けてしまうんですよ♪♪~♪

結局これは、サイケおやじのようにジャズ喫茶全盛期を体験してきた者だけの「パブロフの犬」なんでしょうか……? モードのスケールをガラガラと弾きまくるハル・ギャルパーの歌心の無さが、逆に快いと感じるあたりは屈折しているんでしょうか……?

まあ、それはそれとして、とにかく日野晧正の正統派モダンジャズが、ここまできっちり楽しめるという部分でも、 これはこれで作られた価値があったと思います。

ちなみに日野晧正が、ちょい後にフュージョンど真ん中の路線へ流れてしまったのは、ご存じのとおりですが、それを悪いと言うつもりは、毛頭ございません。全ては演じるミュージシャンの決めたことですし、リスナーは好き嫌いで判別する自由があるのですから。

その意味で、このアルバムのように、何故か今でも新鮮なムードを保ち続けている作品は貴重だと思うばかりなのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする