横綱に推挙された照ノ富士の口から出た「横綱の品格」という言葉。その後のインタビューでの「みんなの見本、基本になるような横綱でいたい」
いちいち誰かへの当て付けに聞こえて、非常に痛快だった。実際、照ノ富士は例の日馬富士殴打事件の時のモンゴル会で、痛めた膝に容赦ない正座強制があったと聞いた。その時からモンゴル勢は一枚岩でないと思っていたが、千秋楽の張り手の応酬を見て確信した。二人の間には敵意が見える。大関の後輩からそう言われて、横綱は何を思っただろうねえ。このワザも通じないか、ヤツには。
いちいち誰かへの当て付けに聞こえて、非常に痛快だった。実際、照ノ富士は例の日馬富士殴打事件の時のモンゴル会で、痛めた膝に容赦ない正座強制があったと聞いた。その時からモンゴル勢は一枚岩でないと思っていたが、千秋楽の張り手の応酬を見て確信した。二人の間には敵意が見える。大関の後輩からそう言われて、横綱は何を思っただろうねえ。このワザも通じないか、ヤツには。
「まへぼ」の正しい発音は、低・高・高。ま(低)へ(高)ぼ(高)。音程を正しく発音することは、橋と端と箸を区別する重要な要素。
まへぼが方言として辞書に載っているか、一応確認した。秋田の方言として認められている。良かった。この言葉は、好きなんだ。語感がいい。まへぼは、どっから来た言葉か全然見当がつかない。でも多分、アイヌ語だろう。ボクらの先祖は縄文からずっと、ここら辺で生活を営んできた。「~ナイ」という地名は、県内に良くある言葉の一つだ。
しかし「まへぼ」は、洋式トイレの普及と共に不要の産物になりつつある。家では「まへぼ」は使わない。外出した時、立ってする時、存在感が出る。
誰も他に人が居ない時は、まへぼを探して難儀する。あれはズボンの中で移動する。なかなか見つからない。
だからつい「あれ、まへぼが無い」「どご、行った」と独り言をいう。「ま・へ・ぼ、ま・へ・ぼ」「あった、まへぼ」 見つけてからも、普段使わないから固いのなんのって。
まへぼは社会の窓。辞書にそうある。しかし「ファスナー」ではない。「チャック」でもない。
まへぼは社会の窓。辞書にそうある。しかし「ファスナー」ではない。「チャック」でもない。
パンツはボタンだから、そのたぐいではない。では、正式には何という。
「まへぼ」をこの際、全国区にしてしまおうよ。