松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

孫に聞く、前世の記憶。

2017-12-25 10:31:39 | 日記・エッセイ・コラム

 生後100日のお食い初めの席で、とても興味深いことが分かった。孫がしゃべり始めたら、前世の記憶を引き出すのが楽しみだ。と言ったところが、息子も同じことを考えていたと言うのだ。むこうの親はさぞかし驚いたことだろう。しかしそれを顔に出すほど、不寛容ではない。

 さぞかし変わった親子だと思うでしょう。

 そしてその際重要なことは、さも当たり前のようにさりげなく尋ねることだ。前世の記憶は、3才か4才ごろ失われる。次第にこの世界に順応し始めるからだ。多分そのせいで、人は3歳から前には戻れないんだと思う。

 この子は一体、何者だったのだろうと考える。それは楽しいことだ。もし職業や名前や時代が分かったら、それは貴重な思い出となるだろう。事実を証明することは出来ない。かなりの有名人だったら、今まで知られていない事実を指摘することで、証明できるかも知れない。

 でもオレはその程度で満足はしない。直観だが赤ん坊は自分を守れない代わりに、不思議な能力を持っているような気がする。それを引き出してみたい。どんな能力があるか、教えてもらうには、聴き出す方の能力が問われる。赤ん坊が表現できる言葉の範囲で、どういう質問をしてどう答えさせるか。

 例えば、お腹の中で声が聞こえていたか。他人とコミュニケーションが取れていたか。何かを予知する力があるか。

 何も出来ない分、おとなには出来ない能力があるかも知れない。足を踏ん張って、言葉にならない発音を繰り返す孫を見ていると、何を考えているんだろうと不思議に思う。

 さしあたり、印象に残るような突飛なまねをして、それを覚えていたか、聞いてみよう。

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