日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その221)

2007-09-26 08:36:31 | Weblog
○昭和59年9月3日(火)晴。
 市内の○○○産婦人科から送って来たベビ一、肺炎かと思ったが、気胸を合併し、その後、TGA(大血管転位)と言うことになった。酸素を与えてもチアノ一ゼが消失しない時は、CHDだなあ。心雑音がなかったので、だまされてしまった。レントゲン上、気胸だけしかなかったら、あれ程の強い呼吸障害が出る訳がない。17:00に宮医大に(当院の救急車で)送った。21:00前に着いて、電話があって、1型のTGAだろうとのことだった。送って正解だった。今日は、本当にフラフラして眠たかった。(私の送り方は上手だと、送り先の医師からしばしば言われていた)
○昭和59年9月9日(日)曇。
 日曜と言うのに、朝早くから喘息で来て、点滴しても軽くならないので、入院した方がいいと言ったら、その父親が家庭の事情で入院できないとカンカンになって言う。何であんなに怒って言うのか?感謝の言葉なんて、一言もない。感謝の言葉はいらないが、救急をして、文句を言われたくない。土曜に来る様に言っていたのに、来なくて、しかも、以前にも、深夜で熱だけで来て、どうしても診てくれと言って引かなかった。こんな父親では、子どもがかわいそうだ。
○昭和59年9月10日(月)晴。
 月曜と言うのに、150人も来なかった。今から暇になるかなあ。1歳の子どもが頭を打って来た。顔面蒼白で元気ない。呼名反応も、はっきりしない。親の不注意でそうなっていた。こんな時、自分の子どもだったら、居ても立ってもいられないだろう。(この日から、3日連続病院内に宿泊)
○昭和59年9月11日(火)晴。
 大分医大から、ウィ一クデイにバイトにとの話があった。宮医大のこともあるし、なかなか難しい。自分もここに半永久的にいる訳ではない。かと言って、宮医大もあまり当てにしてはいけない感じだ。(まる3年したら送るって感じで言われていたが、もう、既にまる4年も経過しているではないか!)
○昭和59年9月12日(水)晴。
 深夜の2時前に喘息で2人来て、朝の7:30にけいれんが来て、あまり眠っていない。よくしたもので、今日は半ドン。昼過ぎに昼寝をした。○○先生から、「田原先生、太ったなあ」と言われた。
○昭和49年9月15日(土)晴。
 ○○ベビ一が、昼から状態が悪くなって、心拍数が下がって大変だった。レスピレ一タ一を付けて少し良くなった。まだどうなるかわからない。そこで思った。こんなこと、1人の医者でずっとするべきではないと思う。今は、医者がいないから仕方がないが、先になれば医者が増えるので、公から補助をもらってするべきだ。ここの病院の数だと、ベビ一だけで少なくとも1人は小児科医が必要だ。採算のことを考えると、新生児・未熟児医療なんて、個人病院ではやっていけない。数少ないスタッフでどんなに頑張ったって、何かあったら患者さんも不幸だし、医者も惨めになるだけだ。

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