日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

イチロ一すご過ぎる!

2007-09-04 11:01:00 | Weblog
ニューヨーク3日時事】米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー外野手(33)=本名鈴木一朗=は3日、当地のヤンキースタジアムで行われたニューヨーク・ヤンキース戦で7年連続の年間200安打を達成した。大リーグ史上3人目、歴代2位で、1983年から7年連続のウェード・ボックスに並んだ。歴代1位はウィリー・キーラーが1894年から1901年にかけてマークした8年連続。
 デビュー年から7年連続は初めての快挙で、大リーグ1年目から昨シーズンまでの安打数は242、208、212、262、206、224。
 今季200安打まであと2本と迫っていたイチローはこの日、1番中堅で先発出場。1回にロジャー・クレメンス投手から右前打、3回に右翼へ本塁打を放って大台に乗せた。4回には左前適時打を放ち、今季201安打とした。
 
 彼は、自分に安易に妥協しない、常に厳しい。目標が高い。周りの動向に左右されない。常に平常心。素晴らしい。
 アメリカの大リ一グで、多くの選手がいる中でこれだけの偉業を為し得て、しかも、常に冷静なる態度、正に、日本のサムライである。
 来期も、200本安打は充分に望める。ひょっとしたら、後、数カ年続き、不滅の記録として残るかも知れないなあ。
 イチロ一自身は、サプライズって感じで、もっと上の記録を狙っているのかも知れない(例えば、打率が5割近くとか、年間安打数が300本近くとか)。
 自分の健康管理も、超一流であるに違いない。

*写真は、私が2年前にトロントで撮ったもの。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医師の給料

2007-09-04 07:32:33 | Weblog
 大学のドクタ一の殆どが、バイトをして生計を立てている。何故か、給料が低くて生活できないからである。医師の大学離れがどんどん進んでいる背景には、この生活難のことがまずあると思う。50歳前後で子ども2人が大学に行っているとなると、大学の先生、大変である。奥さんが働いていれば何とかいけるが、奥さんが専業主婦となるときついはず。
 開業医はどうかと言うと、開業医は、会社の社長さんと同じである。小さな子会社では、商売が上手くいっている場合と、上手くいっていない場合がある。開業医の場合も、全く同じ。医療が上手にできることと、商売が上手なことは、別の次元である。私の様に、小児科で19床を持って救急を365日一生懸命にしていても潰れる訳であるからして。又、開業医から勤務医になっている例も、最近はかなり多くなっている。開業してもバイトをしているケ一スも都会ではマレでなくなっている。歯科医の夜逃げなんてこともある位だ。
 普通の会社の場合は、社長が病気でも、何とかやっていける。奥さんが副社長でバンバンそれなりに仕事をしていれば、それなりに給料を取って節税できる。しかし、開業医の場合は、社長が休めが診療がストップしてしまうし、奥さんが高給を取ることは認められていない。奥さんが、看護師や薬剤師の免許を持ち、それなりに仕事をしていれば、税務署はそれなりに認める。しかし、そんな免許がなければ、例えいろんな役職を付けたとしても、税務署は認めない。つまり、医師の奥さんの給料は、世間の常識に鑑みて決められることになっている。
 医師の給料に関して言えば、大学では、数年経つと、後は定年まで殆ど給料が変わらくなっている。もともと給料が低い上に、バイトが年を取ると若い時程出来なくなってくるからだ。
 若い先生で、大学には、ほんのちょっとしかいなくて、外が中心になって荒稼ぎしている人も現にいる。
 世間では、そのバイト料が高いので、医師の給料はいいと思われているふしもある。中には、1泊のバイト料が大学での1カ月の給料よりも多いってこともあるらしい。
 しかし、考えてみれば、腕の立つ大工さんだって、1日結構もらっているはず。ましてや、医者はプロ中のプロである。そうなるまでに、大学に入ってから10年以上の時間を掛けている。今の時代、失敗すれば刑事事件になり、多額のお金を払わされる運命にある。そんな腕を持っていても、それなりの評価はない。多くは、皆医師として同じ金額だ。50歳過ぎれば、体力的に手術もきつくなってくる。
 確かに、医師の給料は、地方の病院では高くなっている。しかし、地方に医師が行かないのは何故か。そのことの理由の追及がしっかりとなされていない。
 ある(田舎の診療所に勤務している)ドクタ一が言っていました、「救急車が来ると、怖いです。何かあると大変ですから・・・」。
 又、ある(勤務生活の厳しい病院の)ドクタ一が言っていました、「我々は、単なる将棋の駒ですね。大切に扱われている感じなんて、全くないですね。」と。
 更には、ある病院の経営者が次の様にまで言っていたケ一スもあります、「ドクタ一は、商品ですから。いい商品であることを患者様に知ってもらわないといけませんから。」と。
 昨今、医は仁術でなく、算術の様な感じがしているのは、私だけでしょうか?!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その199)

2007-09-04 06:29:43 | Weblog
○昭和55年3月29日(土)曇。
 6人しか来なかった。4月末頃は、どの位になっているのかなあ。ゴ一ルデンウィ一クの時は、それなりに多いだろう。
○昭和55年3月30日(日)晴。
 (小児科開業医の)○○小児科に挨拶に行った。行って直ぐに病院から、患者さんが来ているとのことで電話があった。病院で待っている時はなかなか電話がなかったのに。○○先生からいろんな話が聞けた。中津の井上、別府の松本、佐伯の○○、大分県でメチャクチャ頑張っている開業医なのだなあ。
○昭和55年3月31日(月)曇。
 10人しか来なかった。最後は、22:00過ぎに熱と言うだけで来た。しかし、熱を測っていない。測ると熱はなかった。いやになっちゃうなあ。明日新聞広告で宣伝したら、本当に多くなるのかなあ?

*周辺では、インフルエンザが一段落した時で、就職し始めた時は、元々少ない時であった。初めの1カ月は、予想と極端に違って、信じられない程に少なくて、心細くなっていた。しかし、月を重ねる毎に、確実に多くなって行った。小児の時間外は、まださほど多くなく、スタッフが慣れない為に、気苦労が絶えなかった。

以下のことだけは、はっきりさせていた。
○小児(内科)の患者さんは、小児科医(私)が診る。小児科は、15歳まで。(実際は、外科的疾患かどうかわからないので、脳外科の患者さんや急性虫垂炎の患者さんの場合は、小児科医が先に積極的に診ていた)
○夜は毎晩(365日)20:00~21:00に受け付けて必ず診る。それ以外の時間帯は、急ぐようであれば、診る。(しかし、実際は、初め3年間は、深夜でなければ、待たせることなく食事中でも直ぐに行って診ていた)
○深夜(22:00~6:00)は、朝まで待てない感じの一刻を争う時は、必ず診る。紹介も、必ず診る。(しかし、実際は、0:00までは、よく診ていた。問題は、当院の小児科の医療体制を知らない0:00~6:00までに来る初めての患者さんの場合で、熱だけでは診なかったので、しばしばトラブルが起きていた。ある時、大分合同新聞に、一刻の時しか診ない許されない救急病院とまで投書で書かれてしまった。西田病院は、救急指定病院でなく、救急告示病院であったのだが・・・。)

○朝の診療は、患者が多くて支障をきたすことになった為に、診療科開始9:00が、8:30、8:00、7:50、7:40、そして、とうとう数年後には、7:30になっていた。

○診療内容は、熱に付いての説明をした熱型表を熱のある人全員にあげ、熱冷ましの座薬は、使わなかった。多くが2日分の処方で、親御さんが不安であれば20:00に集めて気楽に診ていた。小児科外来待合室では、深夜0:00まで点滴が並び、滝(横に通した長い棒に、多くの人の点滴がずっとぶら下がっていたので)とまで言われていて、いつしか、小児科外来に行けば、いつでも子どもが外来で点滴されていると言われる様になっていた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする