日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その220)

2007-09-25 07:21:07 | Weblog
○昭和59年8月20日(月)雨。
 昨日、悪寒があって熱が上がって、夜、何度も汗をかいて体を拭いた。恵ちゃんが看病してくれた。朝、まあまあ元気になったので、病院に行こうとしたら、恵ちゃんが、「病気の時ぐらい休ませてもらったら」と言う。しかし、急にそんな訳にいかないので、診療に行ったが、やはりきつかった。夜は、完全にくたばってしまった。
○昭和59年8月21日(火)雨。
 台風が来ているので、100人も来なかった。胃が痛くて、診療に差し支える。幸いに、入院患者さんは落ち着いている。健康第一だなあ。それでも昨日よりも少し元気になっているかなあ。今から9月・10月・11月の3カ月間は、1年で一番患者さんが少ない時だなあ。それでも売り上げ、○.000万は行くだろうし、年○億近くは行くはずだ。
○昭和59年8月22日(水)晴。
 ○○さんが整肢園から帰って、「まだ、原始反応が残っている。右手の方が力が強いと言われた」と言われたと言う。親も落ち込んでいるが、こちらも、ガックリ来てしまった。未熟児は、後遺症が残ると大変だ。自分としても、残るとショックが大きい。○○、○○、○○、○○、後遺症が残ってこれから先が思苦しい。1.000g以下の双胎の1人は、何故か、成績が悪い。上手く行かなかったことばかりが、どうしてこんなにありありと思い出されるのか。あの時、ああしとけばどうかなったかなどと考えて落ち込む。親から結果が悪くて不満な顔をされると、益々落ち込んでしまう。深夜、親の見ていない所でどんなに頑張ったって、そんなこと親にとっては関係ないこと。大きな後遺症が残れば、深夜の苦労が全く報われない。新生児・未熟児をしている人、自分を含めて仕事とは言えよく耐えていると思う。
○昭和59年8月27日(月)晴。
 160人程来た。午後から少し暇だった。RDSの子が生まれた。3日間生きれば大丈夫だろう。ベビ一では、常に細かく診ておくことだ。ちょっとの変化も見逃さないことだ。同じ医者が常に診ているのが最大の強みだ。(この日より、3泊泊まり込みにて診療)
○昭和59年8月28日(火)晴。
 心拍数が夕方より3回落ちた。圧を早く下げ過ぎたのかなあ?21:00に又少し上げた。
○昭和59年8月29日(水)晴。
 ベビ一がまだ落ち着かない。心拍数が時々下がるのだ。心配だ。新生児医療って、苦労している割には、点数何でこんなに低いのかなあ。
○昭和59年8月30日(木)晴。
 準看護学校の講師会があった。検定試験に毎年ちゃんと合格しているから、意欲がないとかいろいろ言わなくてもいい、学校は、検定試験に合格する為のものだからと○○が言う。もうこれでは付いていけないなあと思った。准看だからとか、検定試験合格しさえすればいいとか、全くおかしい。それなら、誰が教育したって同じではないか。全く、やる気がなくなる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする