日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

リファイン建築

2007-09-15 18:14:52 | Weblog
 平成19年9月16日(日)NHK教育テレビ、19:30~19:55の25分間、私の親戚(母の妹の長男で、私よりも1歳上の団塊の世代)の青木茂が、「ビジネス未来人」で、出演します。興味のある方、是非、見て下さい。私の自宅も、彼から設計してもらっています。

以下、NHKの内容より。

シリーズ 古いものこそ価値がある
「建物生かして地域を元気に」

 福岡県にある、地域の交流施設。洗練されたデザインが特徴です。実はこの建物、以前は、古ぼけた福祉施設でした。それが、地域の憩いの場として生まれ変わったのです。
 こうした古い建物の再生を手がけるのは、建築家の青木茂(あおき・しげる)さんです。青木さんは、建物を生かし尽くす技術を、20年にわたり磨いてきました。そして、それぞれの地域に合ったユニークな建物を、次々とつくりだしています。

http://www.aokou.jp/

*当時、彼の言ったいろんな言葉を覚えています。
 「どう造るか、貴方に全て任せます。いくらお金が掛かってもいいです、何て、言ってもらえることが一度でもあればいいなあと思っているが・・・」。
 依頼を受けて設計する時、相手の造りたいイメージではいつか困ることが起きる・・・で、それでは間違っていると言うことを話して悟らせるのに、一番のエネルギーを使う。
 生活様式がどんどん変わって行くので、今いいと思っていても、時代にそぐわなくなるので、それなりに変えて造って行くしかない。
 本物を造るには、それなりに、自分に時間と労力が要る。生活に追われることなく、年に数件しか手掛けない、しかし、造ったものが、それなりにいい評価を受ける、そんな生活に憧れる。
 ・・・などなど。
(写真は、放映の内容と全く関係ありません。私の自宅で、建てた直後の当時のもの)


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品格の高いKドクタ一

2007-09-15 11:59:46 | Weblog
今でも、品格ある人として、いつも思い出しています。
 そのドクタ一は、大学の心臓外科のK教授。仲人を頼むのに医局員がその教授にどれだけお礼をすればいいのか、悩んでいた(助教授から教授になられたばかりであった)。で、周辺にさぐりを入れて聞いてみた。30万円とのことで、それを結婚式後にその教授に渡した。教授は、とてもとても恐縮して、15万円返してきた。
 私は、この教授(当時助教授)から、沢山のことを学んだ。朝は早くから来られ、夜は、病棟で遅くまで医局員に、いろいろ指導されていた。論文も、臨床的に直ぐに役に立つ感じの内容のものばかり。
 私は、K先生のアドバイスで、心カテを切開法から穿刺法にすることが出来る様なった。又、(小児科医による)心カテの検査の時に、K先生、忙しいはずなのに、心カテ室に常に顔を出していた。
 たまたま年の暮れ、私とK先生が、沢山の医学生に囲まれた(その学年の忘年会であった様だ)。で、医学生から、スナックに入ろうと誘われた。私の頭は、これだけの人の飲み代を払うのにどれだけいるのかとそのことで頭が一杯であった。
 迷っていた。その時であった。K先生は、「せっかくだから、田原先生、皆に一杯ずつおごって、それで早く出ましょう」と言われた。で、学生が勧めるスナックに入って、K先生のお話があって(どんな内容だったのか、今でも、お金のことで頭が一杯だったので、全く思い出せない)、沢山の医学生に1杯ずつ水割りが与えられて、私とK先生が1万円ずつ出して、その場を去った。(K先生は、バイトを下の医局員には積極的にさせていたのに、K先生はせず、お金に窮していたのを周りの人はよく知っていた)
 心臓のカンファランスで、今までの同じ様な手術実績から、上手く行かない確率が高いと予想される症例が呈示された。ある心臓外科医が、「今度は上手く行くかも知れないから、してみたい」と言う意味のことを言った。その時だった、いつも柔和な顔をされているK先生が、すかさず、「患者さんの命をどう考えているのか!」と言って、一喝した。その時、ここに素晴らしい医師がいると感じて、私は深く感動した。
 K先生、その後教授になり、病院長になり(K先生自身は、臨床が好きで、病院長などなりたくなかったのだが、周囲の強い希望でやむなくなっていた)、(当然)次期学長とまで言われていたが、残念なことに、急に病気で亡くなられた。その亡くなり方にしても、K先生の生き方が現れていた。
 小児の外科の救急疾患では、いつも気軽にテキパキと小児科医の要求に応じて手術してもらっていたのだが、K先生自身が具合が悪くなった時、時間外で大変だろうと思って遠慮して、直ぐに病院に行かなかった。それが災いして、翌朝、帰らぬ人になってしまった。K先生は、終始、他人に寛容で自分に厳しい至誠を保たれていた。
 このK先生の最も素晴らしいこと、それは、先生自身が、自分の自慢話を決してしようとしなかったことだ。
 現在、時に、時間にル一ズなドクタ一、約束を守らないドクタ一、他人に仕事を押しつけるドクタ一、人の悪口ばかり言うドクタ一、自慢ばかりするドクタ一、金にきたないドクタ一、肩書きを気にするドクタ一を見かけることがあります。品がないと思います。K先生程には自分はなれないですが、少しでもそれに近づける様に、努力して行きたいと思っています。



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為になるかも知れない本(その210)

2007-09-15 08:49:43 | Weblog
○昭和59年3月17日(土)晴。
 250程来た。何故こんなに多いのかなあ?お金が安いからかなあ?よく治るからかなあ?県病や大学に紹介して行った人、又そこに行こうとなかなかしない。やはり、ここの方が人間的だと思う。ここは、開業医的要素を持った病院なのだ。何故なら、医者が常に同じだから。月曜は、今まで一番多くなるかも知れないなあ。今日は、本当は、○○先生が代診で来る予定だったが、彼が嘔吐下痢になって、来れなかった。明日、結婚式と言うのに。
○昭和59年3月18日(日)晴。
 朝3時に、○○医院からけいれん重積の紹介が来て、眠たかった。結婚式があって、上手に祝辞が言えた。全く上がらなかった。これも経験だなあ。キャンドルサ一ビスの時に流れた鳥の詩の曲、良かったなあ。
○昭和59年3月19日(月)雨。
 何と280人来た。今までの最高だった。自分1人でよくやっていると思う。しかし、これが限界だなあ。これ以上多くなって事故が起きれば、今までの努力が水の泡となる。何にでも限界はある。このままで行けば、自分の体がオ一バ一ヒ一トしてしまう。
○昭和59年3月21日(水)雨。
 半ドンの日なのに、200人以上来た。ベッドもないし、スタッフも限界だ。どうして自分はこんなに頑張れるのだろうか?自分でも分からない。しかし、この先、ガタッと来そうだなあ。
○昭和59年3月26日(月)晴。
 240人来た。(土曜の夕方から来てもらって)休んだので、少し元気になって、結構速く診れた。自分は直ぐに眠れないタイプだから、本当は、救急の医者には向いていないのかも知れないが。宮医大の○○先生から電話があって、○○先生、学位を今度取るとのこと。僕は、何故か、学位に興味がない。(ここに就職して、○○医大の○○教授からも、学位がいるならとテ一マまで与えられてその誘いがあったが、無視してしまった)
○昭和59年3月28日(水)晴。
 ○○君が来た。リウマチ熱の子で、宮崎の時に僕が主治医で、僕に付いて作文を書いて、それが新聞に載っていた。九大の農学部に合格したとのこと。前も顔付きが賢そうだったが、前と又顔付きがそれなりに変わってとても賢そうに感じだ。それにしても、わざわざ佐伯までよく来てくれたなあ。
○昭和59年3月29日(木)晴。
 熱が下がらず4カ月の子がけいれんで来院した。何かなあ?医師会の総会があって出席したら、西田病院からは、池田先生しか出席していなかった。○○会の人が深夜の24:00までいて、話した(こちらの事情を無視する感じで、しつこいなあと思ったが、ちゃんとした小児科医がどうしても永いこと確保できなくて、本当に困っている様子であった)。
○昭和59年4月1日(日)晴。
 (○○先生から、土曜の夕方から24時間来てもらって)県医師会での小児科の学会に行った。10:00と思っていたが、10:40から総会が始まった。昼は、中津の坪井先生(部長)や県病の東保先生(部長)と一緒になってカレ一を食べた。坪井先生の国立中津病院、多い時には、小児科入院が60人も入院しているとのこと!とても忙しそうだ。(国立中津病院、今は、市民病院になっている)


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ドクタ一の机の上の整理

2007-09-15 08:43:29 | Weblog
 ○○県の○○病院にいた時に、自分の前に机を並べていた○科の部長、本を積み上げていて、かろうじて向こうが見えていた。ある人に言わせると、私が来るので、それでも少し片付けたらしい。
 又、その病院でのある数人のドクタ一のみが占領している小部屋、そこの先生の1人に用事があって初めて入ったのだが、ゴミ収集場所と間違える程、先の○科の先生以上に、どの机も高々と本が積み立てていた。
 どこの病院でも、このケ一スはある様で、当院でも、似た感じに机がなっているのがあるが。
 又、大分県のある病院勤務の時、整形外科の先生だったが、ゴミ一つなく、常に机の上がきれいだった(きれい過ぎた)。朝は、早く来て、勉強されていた。そんな素敵な先生を女性が見逃す訳がなく、同じ病院の素敵な女性と結婚された。で、今は、開業されて大いに繁盛されている。
 女性の机の前は、おおむね、きれいなことが多い。ところが、どうしたことか、私の次女は、部屋を片付けるのが苦手な様で、反対に、長男はきれい好き。どうしてこうなるのか不思議である。家内は、とてもきれい好きで常に片付けている。私も、まあまあきれい好きで、時々、何がきっかけかになるのか自分でも分からないが、徹底的に片付ける。
 思うに、要らないものは捨てるか、リサイクルに出す。そして何よりもあまり必要としないものは、初めから買おうとしないことである。
 冷蔵庫の中、今、とてもきれいになっている。どうも、片付けと自分の心の動きがある程度平行している気もする。落ち込んでいる時は、確かに、部屋が汚くなっているし、冷蔵庫の中も、賞味期限を越えたのが多くなる。


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品格

2007-09-15 08:38:38 | Weblog
 上品な女性は、
・礼状が書ける
・流行に飛びつかない
・約束をきちんと守る
・得意料理を持つ
・至誠を正しく保つ
・贅肉をつけない
・人に擦り寄らない
・良いことを隠れてする
・品格のある男性を育てる
・恋を直ぐに打ち明けない
・無料のものをもらわない
・プライバシ一を詮索しない
・思い出の品を大事にする
・型通りの挨拶が出来る
・愛されるよりも愛する女性になる
・花の名前を知っている
・長い人間関係を大切にする
 
 以上は、昭和女子大学学長の坂東眞理子著の「女性の品格」(PHP研究会出版)からのもの。
 女性に限らず、男性、政治家、相撲取りなどのプロのスポ一ツ選手、教師、医師、芸術家、皆、品格がそれなりに大切ですね。昨今、日本人の品格、少し落ちている気がしていますが。

 ところで、三菱重工業は14日午前10時31分、宇宙航空研究開発機構の月周回衛星「かぐや」を搭載した大型ロケット「H2A」13号機を、鹿児島県南種子町の種子島宇宙センターから打ち上げた。初の民間開発で、アメリカのアポロ以来の本格的な月探索で、世界中が注目している。
 今回の打ち上げ費用は、宇宙機構の時とほぼ同じ約110億円。「かぐや」は太平洋のチリ沖上空約390キロ・メートルでロケットから分離し、地球を回る長円軌道に入った。約5日かけて地球を2周した後、地球から38万キロ・メートル離れた月へ向かう。「かぐや」は、重量3トンの主衛星と、いずれも50キロ・グラムの2基の子衛星で構成され、開発費は約320億円。約20日後には月周回軌道に達して2基の子衛星を分離、エックス線や赤外線など14種類にも上る観測機器の調整などを行う。月の元素や鉱物の分布、地形や重力などの観測を始めるのは12月になる見通しで、それから約10か月にわたって月の起源や進化の秘密に迫るデータを集める。今回の打ち上げを含め、H2Aロケットは05年2月以降、7回連続で打ち上げに成功したことになる。
 これで、アメリカのいいなりになっていた日本の国の品格も、少し上がりそうだなあ。


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