日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その219)

2007-09-24 08:48:46 | Weblog
○昭和59年8月1日(水)晴。
 ○.B.が来た(兄の紹介で、我が家に2泊した)。あまり気を使わないでいい感じの女の子。アメリカのユタ州から来ていて、モルモン教とのことでコ一ヒ一を飲まない。この日の午後は休みだったので、充分相手をしてあげることが出来た。日本語は殆ど出来ない。誰が教えたのか、語尾を上げて早口で「何?」と聞く言い方だけは、知っている。英語で早口で言うので、聞き取れない。不思議なことに、こちらが言う英語は理解してもらえる。向こうから質問されても、ちゃんとまともに返事が出来ているのかどうか定かでない。
○昭和59年8月2日(木)木。
 彼女と一緒に1日を過ごした。朝7:30に病院に行き、13:30まで、午前中の診療を横に座らせて見させて、それから、一緒に昼食を摂り、午後の17:00までの診療も横に座らせて見させて、夕食は、両親の所に行った。20:00~21:00までの夜の診療も、彼女は飽かずに見ていた。
○昭和59年8月3日(金)晴。
 ○.B.が、昼過ぎに帰った。何となく少しホッとした。何せ、彼女が言うことの半分も理解できなかった。これを機会に今から英会話をもっと真剣にすることにした。英語とハングル語とフランス語、何とか、困らない程度に出来る様になりたいものだ。夕方、眼科の○○先生の所に行った。○○先生のお父さんは立派な大学の眼科の教授だったとのこと。眼科と神経が如何に関係が深いかを説明してもらえた。医師会長の○○先生の子どもさんは、小児科医を選んだとのこと。どうして、医者の子は医者になろうとするのかなあ?自分の子どもには、医者になって欲しくない。外国で働くのであれば、別だが。日本の今の医療制度では、真面目な医者は潰されてしまうから。
○昭和59年8月7日(火)晴。
 昨日の新聞に、スイスのマラソンランナ一がよたよたになってゴ一ルしたのが載っていた。正に死闘だなあ。しかし、これって、1日の出来事でしない。こちらの勝負は、10年単位なのだ。宮崎の地方会の発表、今度は何にしようかなあ?深夜の小児の救急医療に付いての演題ではどうだろうか?11月には、大分の地方会もある。この忙しいのに、自分でもよく発表していると思う。
○昭和59年8月8日(水)晴。
 水曜の午後は、休診なのでいい。帰って寝て、ピアノを弾いて、自転車でミ一コと散歩して、縄跳びを300回もして、風呂に入って、食事を摂って、夜の診療。午後、いつもこんなにゆっくりとしていといいなあ。平日に2回、こんな感じでいつも取れてるいいんだがなあ。
○昭和59年8月9日(木)晴。
 宮医大からH教授が来てくれて、心臓の特別外来をした。40人程集めて、診てもらった。その半分以上が、自分で見つけたもの。地域に貢献していると思う。MCLSの症例では、全員にエコ一検査をしてもらった。勉強になった。
○昭和59年8月12日(日)晴。
 高山での小児科キャンプの2日目。染○、西○(子どもさんも)、赤○、柴○、長○、福○、吉○、三○、高○、宮○、柳○、嘉○、田原の14人でのキャンプ、夜あまりにも暑くて眠れなかった。風が吹かなかった。食事は美味しかった。とにかく暑かった。そして、しこたま泳いだ。徹底的に遊んだって感じだ。

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