日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

老人施設で演奏

2007-04-24 16:36:51 | Weblog
 病院に隣接する老人施設で、演奏した。
 小雨のせいか、とても篠笛の音が良かった。お年寄りの方々が、真剣に聴いてくれた。自分でも、上手く打てたと思って満足した。
 初めに、5本調子の篠笛で、10曲ばかり、曲の一部を休みなくずっと吹いて行った。次に、古賀政男の曲である、「影を慕いて」「泣くな妹よ」「人生劇場」「悲しい酒」を吹いた。一緒に唄ってくれる人が次第に多くなってきた。
 次に、バチを持って、「炭坑節」と「河内おとこ節」と「龍ヶ岳音頭」を打った。手拍子してくれる人が多かった。
 それから、ハ一モニカで、「ふるさと」と「埴生の宿」を吹き、皆で一緒に歌う感じになった。
 337拍子をして、7本調子の篠笛で、テープに吹き込んだピアノと篠笛に合わせて、篠笛の二重奏って感じで、「荒城の月」「さくら」「宵待草」を心を込めて吹いた。
 最後に、自分の曲「飛翔」を15分間程、バチを3回換えて力一杯打った。
 疲れたが(汗も沢山出たが)、何か、やり遂げた感じになって、久し振りにすがすがしい感じになった。

http://www4.ocn.ne.jp/~kamiama/2007-4-24-kirara-de-ensou.html

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為になるかも知れない本(その72)

2007-04-24 09:41:07 | Weblog
 耳鼻科と言うのは、開業医とちょっとした病院と、大学では、扱っている疾患が全く違っている。大学では癌が主体であり、脳外科と協力して手術もしている。耳鼻科は、耳、鼻、喉だと簡単に言うべきでなく、めまいや顔面神経麻痺やアレルギ一や食道や気管、更には、神経内科や脳外科の領域にも入っている。

○専門3年、3月3日(月)晴。
 又、内科のポリクリが始まった。第二内科の佐藤教授のポリクリだった。臀部や背部の圧痛点で、消化器のどこが悪いかを上手に当てる。経験的に間違いないことが多いと言われる。先生はもうすぐ退官される。
○専門3年、3月4日(火)曇。
 佐藤教授の最後の回診の日だった。話すと面白い感じの親しみやすいおじさんって感じだ。奥さんを癌で亡くして、その時に病理解剖をされた先生のお気持ちはどんなだったのだろうか。教授自身も、何度か手術を受けている。第二内科の雰囲気は、明るくて、先生達が親しみやすい感じだ。○原先生が、恵ちゃんのカルテを見せてくれた。クレアチニンクリアランスの値が低かった。7.3cmの遊走腎(右)があった。
○専門3年、3月11日(火)晴。
 三内の雰囲気って、とてもいい。永松助教授と下の先生が言い合っていたが、しかし、皆、心は通じ合っている。遠慮なく言っている。素晴らしい。ウイルス感染で昏睡状態になっている人の所に行った。帰って、ハイシ一といちごを二箱食べた。ビタミンCで、ウイルスをやっつけようと思って。医者ってとても危険な職業だと思う。特に、肝炎には注意しないと。
○専門3年、3月15日(土)晴。
 結核病棟に行った。水泡音を聴いた。レコ一ドでは、聴いていたが、実際に聴いたのは初めてだった。医者って、ほんとに危険な仕事だなあ。
○専門3年、3月17日(月)晴。
 臨床検査学の試験があった。糖尿病が出て、助かった。恵ちゃんから(神経診断で使う)ハンマ一を買ってもらった。
○専門3年、3月19日(木)晴。
 (3月19日~3月29日まで、佐伯市にある健保病院の南海病院に行って、勉強させてもらった。将来、ここに就職するかも知れないと少なからず思っていたこともあって。事実、大学病院から佐伯にある病院に帰る時には、帰る直前まで、てっきりここに就職するものと思っていた。)
 (前もって緒方院長先生から許可をもらっていた)南海病院に行った。内科は、織田先生、福元先生、渡辺先生、野村先生の4人で、福元先生は、僕と同じ鹿大出身だった。雰囲気が大学病院と全く違っていた。こんな世界もあるのだなあ(大川で働いていた時、南海病院で働いていた先生がいて、あそこは、南海病院でなく、南海楽園だったと言って、とても良かったと言って、ベタ誉めしていた。)。カルテを見ても、患者さんを診てもいいと言われた。嬉しかった。しかし、あまりにも量が多い。

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