日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その60)

2007-04-08 07:02:34 | Weblog
○専門3年、6月25日(火)晴。(昭和49年、今から33年前の日記の内容です)
 整肢園に行った。脳腫瘍やアテト一ゼの子がいた。小児麻痺の子どもが多い。ここで働いている人、大変だなあ。小児麻痺の子どもは、今から少なくなっていくだろう。産婦人科医と小児科医がしっかりと連絡を取り合っていかないと絶対にいけないなあ。
○専門3年、6月26日(水)晴。
 霧島分院に行った。アポの人や、パ一キンソンの人や、アミトロの人が居た。アポ(脳卒中)の場合、どうしたらいいのかを教わった。リハビリテ一ションって、とても大切だなあ。リハビリテ一ションの病院って、今から注目される様な気がする。
○専門3年、7月2日(火)晴。
 熱帯医学の試験、8割出来た。最後の追い込みが効いた感じだ。やる気になれば、覚えられるし、それなりに出来るのだ(熱帯医学、リハビリテ一ション医学、腫瘍学の試験があり、皆、良くできた)。
○専門3年、7月14日(日)曇。
 小野田寛郎さんの展示を見た。○○さんよりも、彼の方が、筋が通った感じで、人間らしく生きていた様にも思えた。彼には、任務を遂行するというはっきりとした生きる目的があった。そのことが彼を救ったのではないだろうか。又、堀江謙一さんの講演を聴きに行った。彼には、小さな体をしていたが、何となく鋭さを感じだ。綿密な計画の上で、すごい緻密な計算をして、成功すべきして成功していることが分かった。地球上に人間としてしっかりと生きているって感じだ。

 7月15日~7月25日まで、第21回の奄美大島診療団に加わって、徳之島に行った。医師は17名、団長は第一外科の教授に新しくなった西満正先生であった。医学生は11名参加した。学生の代表に自分がなった。又、仕事としては、アナムネ一ゼを取り、薬の係をすることになった。準備が大変であった。

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