日本の心・さいき

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医者は、本当にいい職業か?

2007-04-23 07:55:09 | Weblog
 昔と違って、今は、医師になるには、小さい時から塾通いと勉強漬けで大変。医学部に首尾良く入っても、医学部6年間は、昔と違って覚えるべき内容が桁違いに多くなっている。医学部の閉鎖的な教育にも、うんざりしてしまう。又、国家試験も、1割前後が落ちる程の難しさで大変。
 合格しても、今は、スーパーローテートで、月に30万の給料は保証されても、2年間は、当直も出来ず、もちろん、バイトも出来ず、贅沢な生活とは無縁の生活となる。
 晴れて技術だけは一人前の医師になってから、医師とはどうあるべきかの人間的教育が、競争の中ではちゃんとなされて来なかったことに気が付く。
 医師としての責任の重さ(下手をすると犯罪者にされてしまう)と、教育の不徹底さ(大学は、教育中心でなく、研究中心)、出来高払い制(病名が付かないと、治療が出来ない。未病の段階で予防に力を入れても、採算が合わなくなってしまう。)など、いろんな矛盾点に悩まされる。
 そんなことばかり子ども達に言ってきたせいか、子ども3人は、幸いかどうか、医学部に進まなかった。しかし、しかし、である。長女は、日本の高校3年からアメリカの高校に行き、アメリカの高校を卒業後、アメリカの大学(文系)を卒業したのに、しばらくして、「私は、カイロプラクターになりたい、やっと自分のなりたい職業に巡り会った!」と言い出して、現在、アメリカのアトランタにあるカイロプラクターになる為の学校(大学院)に通っている。解剖で、匂いが体から取れなくて大変と言っていた。

 医師だけが見れる感じのサイトがあるが、その中で、医師の本音が暴露されていた。

 子どもに医師を勧めるかのテーマに、ある医師は、次の様に答えていた。

 勧めます。もちろん医師という仕事に少しでも興味を持ち、それに向かって勉強する気持ちがあればの話です。医師といって科も仕事の形態も幅が広いのでどんな医師かというのは子供が自分で選んでいければと思います。私は精神科・心療内科をやっていますが、日々患者さんをみていて世の中甘くないことを痛感します。
 医師以外の方でいつ過労死しても、家庭崩壊してもおかしくないような働き方を強いられている人は決して少なくありません。殆ど毎日終電で帰宅、家にいる時間が5、6時間、休日もしばしば出勤、夕飯は深 夜に食べると翌日胃にもたれるので食べない、といった生活をしていてうつ状態でみえられる方がかなりいます。これだけ働いていてもこの方たちの給与はそれ程のものではありません。こういった人たちには休んでもらう以外どうにもならないのですが、休むことは解雇の不安、経済的問題、周囲の目、将来の出世の問題などから大変な困難を伴います。 休んで回復してもいずれ同じような就労状況が待っているのが現実です。過酷な状況下でうつ状態になると、多くは失職、さらに条件が厳しい仕事への転職と収入の減少、病気の 再発…といった絶望的な負のスパイラルが待っています。 きちんと治療と休養ができ、その後回復に応じて受け入れてもらえ、就労が続けられるのはごく一部の大企業や公務員に限られます。公務員でさえ最近は厳しく、権利だけを叫ぶ市民に罵倒され、上司からは叱責され、肉体的、精神的に追い込まれる人が増えています。起業といっても成功するにはたいへんな努力が必要で、失敗して家庭崩壊という例は多々あり、医師の開業と比べ遙かに大きなリスクを伴います。労働環境が厳しくなっているのは決して医師だけではありません。医師だけが激務、重責の割に報われない職業と考えるのなら、今の日本、これからの日本で医師以上に報われる職業というのがあるのでしょうか。教えてほしいものです。

 しかし、次の様な切実な内容もあった。

 私はもうすぐ50歳に近づいている国立大学の助教授です。助手、講師、を経て7年前に助教授になりました。大学の近くに住んでいるので、毎日運動を兼ねて自転車通勤、交通費は支給なし。幸か不幸か、身分から大学病院の当直は免除されていますが、時々、緊急手術で呼び出されます。大学にもよりますが、うちの大学は超過勤務手当がありません。ですから、当直料が貰えないので、私の余分の手当は扶養家族の手当くらい。以上から、計算しますと、毎月の総支給額は50万円台前半、これから各種税金や保険が引かれ、手 取りはしばしば40万円を割ります。年間の大学からの総支給額はボーナスを含めて、800万を超えかねます。これでも助教授です。
 ですから、大学以外の外来診療や当直のアルバイトをしなければ、子供を大学に進学させるのにも困ってしまいます。講演の依頼や、原稿依頼が毎年数件ありますが、微々たる収入です。
 高校の同級生が小学校の教頭をやっています。給与の話をしたら、私よりも200万円以上多く、1000万円を超えているという話だったので、頭にきました。
 私の上司、つまり教授ですが、私よりひとまわり年長なのですが、薄給で困っているようです。60歳でなんとか大学から手当も含めると1100万円は超えているようですが、 60歳で外の病院の当直をするわけにもゆかず、給与のいい外来診療アルバイトを必死で確保しています。講演料や企業講演会座長料がありがたい収入源のようですが、年に10 回未満ですから、100万円は超えません。権力はあっても、アルバイトがないと威張っていられません。


 医療関係者めいた人しか出来ないそのサイトでは、いろんな意見が述べられている。結論は、今の時代、絶対にいいと言う職業はないということではないだろうか(裏が必ずある)。どんな職業でも、その人自身が天職と思えばそれで最高だと思う。又、長い人生、決まった道でなく、寄り道(の職業も、更には、転職)も、それなりに素晴らしいことだと思う(還暦を迎えて開業医になったドクターを身近に知っているが)。

 昔は、専門3年や4年生になると、(インターンと言うことでごまかしていたのか、世の中が寛容であったのか?)家から仕送りをしてもらわなくても、それなりに、医療関係のアルバイトをして、生活が出来ていた医学生もいた。
 元MRの人で(父親は、国立大学の基礎医学の元教授)で、薬学部卒業に、MRになって、それでしばらく働いていたが、医師の仕事の素晴らしさと同時に、医師がどんな に視野が狭くて威張っているかを知って、そうならない医師になることを決意し、医学部に再び入学して医師となり、今は、内科医として救急病院で忙しく活躍している人を知っている。
 アメリカの様に大学卒業後に、ある程度社会のことを知った上で、どうしても医師になりたい人のみ、医学部に行って医師になり、それも、臨床中心の医師になればいいと思う。東大の理学部や阪大の工学部や京大の理学部の大学院を出て、地方の(自分が卒業した)医学部に入って医師になっている人を知っている(とても真面目で、 現在、凄く頑張っていて、頭が下がる程)。
 今の医師には、体力、気力、寛容力、継続力、判断力、探求力などいろんな能力が必要かと思う。
 私の様に、趣味を持って医者をするのも、いいかも知れません。


 以下のコメントを頂き、以下の様に返事をしました。

 わたしは、48歳のときに医学部入学して、いま、六回生です。健康にも体力にもまあまあ恵まれていますので、出来れば90歳まで現役で働きたい。医師はいろいろ言われているし、臨床にまだ出ていないから、何も判らないけれども、有意義で遣り甲斐のある仕事だと思います。いまは、出来る限り腕を磨いて行きたいと思って、ポリクリ頑張っています。
 
 素晴らしいと思います。聖路加国際病院の日野原さんの様に、90歳を越えても、元気に医療活動などをしている人もいます。医師の条件として、大学に入る時の成績よりも、動機付けがはるかに大切と思っています。知識は、年が経てばそれなりに増えます。しかし、動機づけは、そうは行きません。
 患者さんを診ることにどれだけの価値観を持っているかが、医師としては、大きな問題だと思います。土曜日は、30人ほど来ました。日曜の昨日は、3人入院しました。今日は、朝、7時過ぎに、日齢20日の子が、父親が誤って頭を踏んだと言って心配になって来ました。私の場合は、救急に価値観を持ち、自分の体に無理が行かない様に、周りから助けてもらいながら、楽しく統計を執りながら、小児救急をしています。

 表は、娘が送ってくれたアトランタでのカイロプラクターになる為の学校(大学院)のカリキュラムです。

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為になるかも知れない本(その71)

2007-04-23 07:46:44 | Weblog
○専門3年、2月12日(水)晴。
 恵ちゃん、検査上、今の所、異常がないとのことだった。全く嬉しい。慢性腎炎ではないらしいのだ。
○専門3年、2月13日(木)曇。
 恵ちゃんがバレンテインデ一の為か、チョコレ一トをたくさんくれる。早く元の体に戻って欲しい。同じ部屋の他の二人の患者さんと知り合いになった。医者って、いろんな人と知り合いになれて楽しいだろうなあ。
○専門3年、2月15日(土)晴。
 眼科のポリクリが終わった。中心性網膜炎、網膜中心動脈閉塞症など大切な疾患が多い。口頭試問があって、くじを引いて近視が当たった。一番答え易い問題だった。

 眼科と言うのは、目だけかと思ったら、大間違いだった。糖尿病にしても眼科学的知識は必須で、いや反対に、内科や神経を知らないと、眼科の疾患を充分に理解できないと言うべきで、突っ込んで行くとスゴイ量であり、物理学的思考力を必要とし、正に専門領域って感じである。顕微鏡を使って0.5mmしかない角膜の間を縫っているのだ。

○専門3年、2月17日(月)晴。
 耳鼻科での初めてのポリクリ。喉頭鏡での要領をつかめなかった。耳鏡、鼻鏡、喉頭鏡、後鼻鏡、額帯鏡、易しそうで大変難しいのだ。
○専門3年、2月21日(金)雪。
 雪が降っている。寒さには強い。恵ちゅんは元気。大学って、とても息苦しい感じだ。上と下がはっきりしている。医者の世界って、初めはどうしても徒弟制度にならざるを得ない。若い医者は、実力がない。大学の医局って、とても閉鎖的な感じがする。しかし、大学病院の様な大きな病院で研修しないと一人前にならない。人生、甘くない。
○専門3年、2月22日(土)雪。
 医局員が、僕等の前で教授から叱られていた。その医局員は、さっき、我々が教わっていた先生なのだ。教授は、患者さんにはとても優しいが、医局員に対しては厳しい。
 耳鼻科の○○教授は、癌の手術は、全て教授がして、部下には殆どさせない人であった。患者の命がかかっていうからという理由で、医局員には自分の腕を盗み取れと言われていた。
○専門3年、2月27日(木)曇。
 恵ちゃんの隣の患者さん(バセド一病)の彼が亡くなった。MS(僧帽弁狭窄)+AR(大動脈閉鎖不全症)で、二外科で手術したが、うまく行かなかったのだ。バセド一病の彼女は一日中泣いていた。医者には失敗は許されない。その為にはしっかり勉強しておくしかない。しかし、大学病院でも死ぬべき人は死ぬ。手術中に医局の前で座ってずっと拝んでいた患者さんの親を見たことがある。医者とは苦しい職だ。そう言えば、耳鼻科の○○先生が講義の時に、「医者がバラ色の様に思っている人がいるが、それは誤っている!」と僕等に言われたことがあった。
○専門3年、2月28日(金)晴。
 恵ちゃんが11時に退院した。万歳!

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