オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

カゼは北へと

2014-05-13 | Weblog

5/13(火) 今朝の弁当は「鶏唐揚げ」と「豚肉のシメジ巻」、小松菜お浸し・絹ザヤの卵とじ・パスタサラダであった。夜中に咳き込んで目覚めたので、早くから弁当作りをして遊んでいた。なるべく残り物の食材を使い、ヘルシー&ローコストを心がけたつもりだが・・・。

                                                       

昨日の月曜日、風邪薬を服用している所為か眠かったが、6時前から台所に向かった。残りご飯が多いので、これを活用することにした。際は、千歳空港で買った「ホタテステーキ」のバター焼き・エリンギ炒め添え、ウインナーと人参・キャベツの温サラダ、ポテトオムレツであった。

             

ご飯の方は、刻み人参&タマネギを加えた「バターライス」にする。最後に私のスムージーとなるが、これは小夏と凸ポンの柑橘系の組み合わせとなった。

                                  

 

 ― 週末は北で -

日曜日の13時、羽田空港に帰着。札幌も東京も好天で、初夏の趣であった。が、私の体調は思わしくなかった。那覇でひいた風邪が、はるばると日本列島を縦断して札幌の地で花開いたのだ。日頃の行い、心がけの悪しざまが出たようだった。

9日の金曜日、東京周辺は午後から荒天となった。その影響とかで、目的の千歳空港には30分も遅れて着陸。札幌に向かう電車へに乗ろうと、駅に行くとこれまた電車の発車まで20分も待たされた。気は焦れども電車は走らず・・・。

気が急いていたのには若干の理由があった。この夜、札幌の友人のT女史が、その配下・友人・仲間・j後輩と呼ぶべき、S&N嬢とともに某酒飲み処に席を構え、手ぐすねを引いていたのだ。ホンマにご苦労なこってござんす・・・。ホテルのチェックインもそこそこに、会場へと向かった。外は思っていたより涼しい・・・これや拙い。

T女史に会うのは一年ぶりか、S&N嬢は昨年の師走に上京したので半年ぶりであった。挨拶もそこそこに、ビールはサッポロクラシックで乾杯。何時もながらの馬鹿話であったが、妙に酒が美味くない、吸いこみがよくなかった。那覇風邪がじわじわと体を蚕食し始めていたのだ。

今回の目的は情報誌の取材であるが、この取材先となるTAKAHASHIさんを紹介してくれたのがT女子。このT&Tのお二人は、苫小牧で同期入社だったとのこと。取材場所はきしくも、所縁のある苫小牧であった。

TAKAHAHSIさんがサポートをしている障がい者バンド「スマイル4Beat」が、苫小牧市民生委員児童委員協議会が主催する 第14回ふれあいコンサート に出演することから、この会場でスマイル4Beatと一緒の様子なども含めての取材であった。

前置きが長くなったが、札幌に前泊をしてT女史に御礼などを申し上げて・・・の予定が、却ってお世話になってしまった。挙句に、苫小牧での取材に同行下さった。「同期のmariちゃんの顔を見たいから・・・」と、生まれ故郷の苫小牧と云うこともあろが、滅茶面倒見がいい人なのだ。

翌日の電車の時間の指定、何からなにまで行き届いた女史であった。私は脱帽、平身低頭するばかり。

風邪の所為かビールもハイボールも肴も旨くと云うよりは、味を感じない。舌が麻痺、脳味噌が乾燥、喉は荒れ、財布は底冷え?と意味不明なことを云うが、それだけ体調がようなかったのだ。

22時過ぎだったか、丁重にも軍団にぞろぞろとホテルまで送ってもらい、ベットに倒れ込んだ。夜も更けて目覚めると汗でぐっしょり、タオルも枕も、ガウンもシーツもじっとりと濡れていた・・・。これだけ汗を掻くと、翌日あたりから回復に入るかな・・・と期待したが・・・。と云う具合の札幌の一夜であった。

 

 

 

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那覇風邪

2014-05-09 | Weblog

5/9(金) どうやら今日は金曜日らしい・・・、呆けオヤジは曜日の感覚もなくしてしまった。昨晩羽田に着いたのが22時、それからTOKIOに送ってもらい帰宅が23時であったか。遅い時間はどうこうないが、那覇のホテルで体が冷えた。この所為で風邪を引いたようだ。

咳が出る、煙草が吸えない、頭がぼーっとしている(これは何時ものことだが)、私の典型的な「風邪症状だ。先月からつづいた取材案件が、そろそろ終盤を迎えたので、気を抜いたのかな・・・脳の方が勝手にそう判断したんだろうが。それとも那覇の酒が悪かったか?

今回もクライアントさんが二人同行した。一昨晩は、お二人のリクエストに応じて沖縄料理や島唄の演奏が有る店で一献。生ビール(当然オリオンビールをオーダだが)の後は、泡盛である。これが段々と体に浸みこんで酔いが廻る、廻る廻る・・廻ります。

                        

7時の最初のステージを見、8時、そしてラストの9時のステージが終わっても未だ座り込んでいた。半分ほど席が埋まっていたが、何時の間にや客は我等五人だけとなっていた。すっかり長居をしていた。この店にはハイボールがなかった。ホテルに戻ってハイボールでも飲もうよと引き上げたが、ホテルのBARにて二次会。お開きは、午前様となっていた。

                        

それが悪かったか、蒲団を跳ね除けて寝ていた・・・・。朝目覚めると喉がいがらっぽく、体がだるい。南の国に行くとよくやる失敗を、ここでもやっていた。

6時過ぎに目覚めた時は降っていなかった雨が、ホテルを出る頃になって激しく降り出した。梅雨入りしているんだ・・・と、実感。前日の夕、空港に着いた時間にもシトシトしていたが、これほどの降りでなかった。日頃の行いの所為か?

                   

直前に取材時間が11時から、13時に変更となった。時間の溶融は出来たが、中途半端な時間しかない。市内を車で流して時間潰しとなった。糸満漁港へ寄った。かつての糸満漁師の漁港のイメージはなく、商港のような広さ整然さだった。

                        

13時、約束の時間となり取材先を訪問。「沖縄古典民謡」 安冨祖流絃声会会長で、重要文化財・組踊音楽歌三線保持者(所謂人間国宝)の西江喜春さん宅である。沖縄古典民謡では三線と唄、これに踊りが、また太鼓や胡弓なども伴奏に付くこともある。

琉球電電OBである西江さんから、古典民謡との出会い、稽古、面白さや、芸を探究する想いなどお聞きし、撮影をさせてもらった。古典の一番オーソドックスな曲を聴かせもらい、お仕舞となった。

                     

さて帰京の時間まで間がある。昨夜、食べれなかったステーキを一同で食べることにした。国際通りのステーキハスに入り、ステーキのお伴とばかりに、ビールからワインとへと進んだ。風邪引いてると云いながら、吸引力・食欲が落ちないオヤジであった。

午後からは日差しが戻って来た。これで漸く沖縄らしくなってきた。それほど暑くなく、雨も程々で上がる、島料理と定番のステーキ、十分なアルコール、取材も順調?、と上々の那覇であった。最悪は、未だ喰ってないからと空港で無理して食べた「沖縄そば」であっった。高知空港で喰ったことがある、鍋焼きラーメンを凌駕する酷さであった(これはあくまでも私の評価である)。いや~参ったよ!

                          

 

体調不十分な朝であったが、弁当は作ろうと台所に立った。手の込んだものは面倒だからと、冷凍のエビ春巻き(油を引いて焼くだけ)と、鯖文化干し、豚肉の生姜焼き風。野菜炒め、卵焼きであった

 

久々に自分用のスムージーを作り、フル回転を続けた胃腸を労わることにする。「小夏」、半ボケのリンゴ、キャベツのシンプルなスムージーであった。余り美味くもなかったが・・・体調の所為と云うことか?

                         

 

今夜は札幌である。これまた、友人たちと会い旧交を温め・バカっ話・ボケ話となろうか・・・・。

 

 

 

 

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オムスビ

2014-05-07 | Weblog

5/7(水) 休み明けなので、月曜日のような気がするが週半ばの水曜日とは・・・。時間が足りないので、月曜日であってほしい気分である。何やらえらく勤勉になったようなことを云うが、な~にこれまでさぼった付けだ。

今朝は弁当は休みのつもりだった。が、末娘は要らないそうだし、ご飯があったので手早くオムスビを作ることとした。二人分なので五個もあれば十分。

オムスビの具の鮭を焼き、卵焼きを作る。残り物の蒲鉾と、土佐天を甘辛煮にして、これも菜にしよう。オムスビは、鮭とオカカの二種。簡単すぎて面白くないが、時間の余裕もない。

色白?白塗り?の米娘に墨染めの衣を着せ掛けてお仕舞。卵焼きも、刻みネギを加えただけのものだ。

                         

結局六個のオムスビが出来上がった。家人が二つ、長女が三つである。小夏のスムージーでも飲むつもりだったが、余った鮭オムスビを一つ食すことにした。

                          

 

昨夕は七時前、もう引き上げようぜとYOSHIOと一緒に会社をでた。二人だけだし、軽く喉を湿してから帰ろうと飯屋のような店「源ちゃん」で、生ビーとハイボールを飲んだ。摘みは「タップリキャベツ」これは、キャベツのざく切りに醤油ドレッシングだけ掛かっている。これにアジフライだけをオーダー。刺身なんぞは注文しない、そりゃそうさ、河岸は5/3から休みなのだから・・・。

然し安酒場じゃあ元々が冷凍もんばかりだろうからな、関係ねえか。二人してブツブツ云いながら、世を儚みながら静かに飲んだ。一向に盛り上がらないので早々にお開きとした。

昨夕、漸く「きじの松田屋」、MATUDAさんの取材原稿を上げたが、まだ文章が長いとか。さらに削れとデザイン担当のYOSHIOからきついお達しだ。あんなに面白く愉しい取材をそうそう削れと言われても・・・。でも写真もいろいろ使いたいしなあ・・・削るしかないか・・・。沖縄から戻ってのことにしよう。

さあ、これから沖縄だ・・・。雨降ってんだろうな、梅雨入りしたばかりのようだし。今回で沖縄に入るのは四度目だが、過去は1月・2月・3月に訪れている。初夏の沖縄の気候は?暑くないかな?。どっちにせよ、一泊二日の短い訪問だ。精々が飯屋と飲み屋を覗くだけだろう。後は、仕事仕事・・・。そんじゃ、行ってきま~す。

 

 

 

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長い休暇も・・・

2014-05-06 | Weblog

5/6(火) ゴールデンウィークも今日で終わる、過ぎ去れば夢幻の如くなりか・・・。前半に長く休んだ報いでこの三日間は会社に居た。この内二日を、YOSHIOが出社したので退屈せずに済んだ。お蔭で原稿の方も粗方進み、後は微調整で終わりにしたいが?

明日の午後には那覇に飛び、翌日の午後から現地での取材立ち合い。最終便のひとつ前で帰京の予定。生憎、沖縄は梅雨入りとなった。これで困るのは、写真撮りである。お天道さんを恨んでも致し方なし、何とかやれることをやるしかないのだから・・・。

明日はクライアントも同行予定。夜は一緒に食事を摂りながらオヤジ談義となるか・・・、いやいや、若い人の話を聴かなくてはボケちっまう。これ以上ボケたんじゃ救われようがないだろう。

休みといやあ飯作りが私の習慣だが、いささか肥しが効きすぎて成長過多。これじゃ売り物にならない。今一度売り物サイズに戻さなくちゃ、店先に並べる入れ物にも収まらない。そんな塩梅で、連休後半は飯作りを控える所存でいたが、そうは問屋下ろさなかった。結局、三度ほど飯を作ってしまった。

その一つが「豆ご飯」であった。これは塩の塩梅といい、出汁の具合と云い上々の出来栄え。余りにも美味かったので、昨日はYOSHIOとK本にも喰わそうと弁当箱に詰めてきたのである。このOYAJIの美しい真心!分かったのかね?連中は。

                         

冗談はさておき、飯の量は減らさなくてはと、思っちゃいるんだが成長途上人には至難なのだ。恋窶れでもすりゃいいんだが、反対に鯉太りだろうな。オヤジなんて者はそんなものさ。それでも、これじゃいかんと日々念じ候・・・。

 

沖縄から戻ると、愈々翌日の夕には北海道である。北海道と云っても、札幌と苫小牧なので珍しくもないが我が友人たちに会えること、初対面の方から話が聴けるのが愉しみである。

精々北の大地の寒風に中らず、心地よき薫風に吾が長髪をなびかせたいものだが・・・。笑ってる場合じゃないぜ、こらっ!

と、云うことで休日明けから日曜日までは気を緩めるわけには参りません。併せて、弁当作りは休暇願いが提出されております。それでは、ご機嫌よう・・・。

 

 

 

 

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連休の最中に・・・

2014-05-04 | Weblog

5/4(日) 連休の最中の日曜日だが、28日から昨日まで休暇を取った私は久々に会社に出た。勿論誰もいない、街中もオフィスも静かだ。月末の書類が溜まっているはずだが、それは休みが明けてからの処理となる。先ずは自分宛のメール・郵便物の処理などで半日が潰れた。

帰省した夜から翌日の29日は大雨となり畑に出れなかった。が、雨の合間を縫って畑に植える苗ものと肥料や食料の買い出しに安芸の町に出た。南瓜・スイカ・茄子・胡瓜・トマトにピーマンの苗等、従姉達と一杯やる為のビールや食品をたっぷりと買い込んだのであった。この食品の半分は残ってしまうのだが・・・貧乏性?いや貧乏人は食い物が少ないと不安になるのだ。

30日は上々の天気となった、草が乾く昼前になってから一月振りとなる畑に出た。草が元気よく伸びている、一刻いっこく伸びて行くような気配。草刈の準備をしていると、下手の方で草刈り機の音が聴こえた。妹の亭主で私の幼馴染であるHIROKATUが草を刈り始めていたのだ。大助かりさ、お蔭で短時間で草刈りを終えることができた。この夕は、妹夫妻や従姉たちが集まって賑やかな食事となった。

                     

未だ採れると云う新筍、イタドリなどの山の恵みを煮、豆ご飯を炊き、定番鰹のタタキ、新タマネギやタラ芽の天麩羅、鮎焼き、何と焼きソバまで登場となった。焼きソバなんて云う単純なものが、意外と喜ばれるのだ。

29日から帰京の朝まで飯作りである。この時間が楽しいんだが、老いた母は食が細いので「ちっとでえいよ、ちっとで」と、喧しい。が、知ったことじゃないとたっぷりと、多種を作る。何しろ、これが私の遊びなので致し方なし・・・、お蔭でまたしても喰い過ぎとなる。

今、田舎では蜂が分蜂のシーズン。別れた女王鉢の一群を捕まえて、誂えてある蜂の巣箱に入れようと田舎人達は待ちかまえている。これじゃ、畑に置いた私の巣箱に入るチャンスがない・・・。この別れた蜂から蜂蜜が採れるのは7月から8月にかけて。蜂蜜なら今年も誰かが分けてくれるだろうが、然し、折角の巣箱に蜂の姿がないのは淋しいぜ。

月が改まった1日、母校の中芸高校へ。四月1一、校長先生が変わったので在京の同窓会の代表として挨拶に伺った。五月二十二日、在京同窓会を東京で開くが、これは全国校長会が首都圏で開催されるのに合わせて実施するもので、事前の顔合せという意味合いもあった。

新任の校長は女性で、女性の校長先生にお会いするのは初めてであった。物腰の柔らかい方で好感を持てる。在京同窓会には、前任のYAMAKAWA校長も来てくれるとのことで嬉しい限りだ。心配は卒業生がどれだけ来てくれるかだ・・・弱小の高校らしく、集まりの方も今一つと云うのが実態である。

 

そんなことをして過ごすうちに、あっと云う間に休暇が終わり帰京である。田舎なればこそのことだろうが、山紫水明、穏やかに時が流れ、自然の産物を食す暮らしが心地よくなってきた。吾、早や老いたりか?それじゃ困るのだが・・・・・。最近は刺激を求めなくなった、必要としなくなったからなあ~、甦れOYAJI!枯れるにゃ早すぎるぜ!!

最近は、ことある毎にお世話になった方のことが思い出される。皆さん故人となられ、今生でお会いすることはできない。それ故にか、、過ぎ去りし日のことが、面影が、ふと心に浮かび来て偲ぶこととなる。この帰省中も何度かそんなことが脳裏を過ぎった。それもたおやかな時の中に居る由か・・・。

 

1日の午後、樹に残してあった「文旦」と「小夏」を収穫した。文旦は1月に半分以上を収穫したが、一部残して置いたのだ。小夏は今からが収穫期。文旦は小さくて小夏は大きい、これは正反対のできなのだが、従姉らは美味いと云う。とても他人様に差し上げれないが、姪や従兄弟は喜んで持って行く。収穫して半分は腐らせ、樹に置いて半分は落下する。収穫j時期を過ぎ、残った果実は何れも小ぶりである。

                       

                       ここには南瓜、大豆を撒いた

甘夏だけが十数個、樹に残って収穫を待っている。来月には採るか。ミカンの花が咲き始めている、白い可憐な花が緑の木々に牡丹雪を散らしたようになるのもう直ぐであろう。今年は豊作になりそうだが・・・。

                   

 

かくして、あっと云う間に私のゴールデンウィークは過ぎ、課題山積の明日が待っている。それもまた、愉しからずや・・・。

 

 

 

 

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