オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当だ!

2011-06-15 | Weblog

6/15(水) 何だか疲れ気味、朝の散歩を休む。散歩代わりに弁当を作ることとした。ここんとこ、まともな弁当を作ってない。どうなる事やら分からぬが、今朝は煮物と炒め物。卵焼きもと、冷蔵庫を見ると卵が不在。(仙台辺りへと遊びに行ったか?)

煮物は、鶏肉と人参の煮物。炒め物は「ホタテとイカ」の冷凍コンビにアスパラ・シメジ・人参・ピーマンの併せ炒め。ソラマメの殻が固くなってきたのでソラマメも茹でる。

            

今日の弁当は、家人と長女、K君の三人分である。私は昼の会食予定もないが、持参しない(結果、ビックリウドンで220円の掛けウドンを食す)。

ご飯三合を炊き、白飯の上には「花カツオふりかけ」を散した。何だか張り合いを感じない飯作りであった。

                      

今日の発見は、ソラマメを殻から上手に出すやり方であった。少々茹ですぎ軟らかでも、この方法なら完璧・・・誰でも知ってるか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週明けのような・・・

2011-06-15 | Weblog

6/15(水) 今日は、週明けの月曜のような気がする。昨日・一昨日と、東日本大震災の取材で仙台~気仙沼~大船渡~石巻と歩き、会社には今朝出てきた所為であろうが。

日曜日、午後の二時間程を散歩。玉川通り~駒沢公園~目黒通りと国道や緑地を歩く。私の好きなアジサイの花が咲きはじめている。この季節、鎌倉辺りまで紫陽花を見に行ったのは遥かに遠いこととなった。

目黒区と世田谷区の境辺りには植木屋や花卉栽培の農家が残っている。散歩途中でそんな光景に出会うのは楽しいかぎり、得した気分となる。

 

 「仙台にて」

月曜日は11時に仙台に入る。先ずは、今回の取材の労をとって頂いたOB会事務局へと挨拶に出向く。午後早くに一人目の取材となった。同行はライターのO氏、撮影担当兼ドライバーのYであった。

仙台にてレンタカーを手配、二軒の取材とその方々が住んでいた場所(被災場所)を撮る。

お一人目は、仙台市の西となる海岸沿いの町、亘理郡亘理町に住んでいたKさんである。
「ここは、宮城の湘南と云われるくらいの処で、家を建てる前からここに畑を作っていた。12年前に家を建て、夫妻と犬一匹で暮らしを愉しいでいた」。

自宅は、海からは4km程はなれているが、鳥の海という入り江(池?)から程近い場所。家に居る時に地震発生。防災無線の避難警報を聞き、何も持たずに車で逃げるが、避難場所に着くと直ぐに津波が襲う。避難所の一階は浸水、車はそのまま流された。


150人ほどが居たここの避難所には、毛布も食料の備蓄もなく困ったそうだ。翌日、避難所を移るが、愛犬の世話に難渋する。人間の食料が、日にオニギリ一つとお菓子だけという状況が何日か続く、ペットは避難所内に置けない・・・。津波から逃げなさいと、隣人に貸したセカンドカーが戻ってきたので、これを愛犬の塒にして凌ぐ。餌を分けて貰いに歩いた。

避難所暮らし三日目、東京暮らしの娘さんの友人が方々の避難所を探した挙句、偶然に出会うことができた。来てくれて嬉しかった、助かった。ノートやペン、食料を届けてくれる。漸く、秋田の実家を連絡のベースにして諸方への連絡が付いた。被災後、三日目のことであった。

避難所生活を一月ほど送り、知人の世話で現在の家に落ち着いたと云う。置いてある家具も、TVも知人の持ち物とか・・・。人のあり難さを、あらためて実感する。

一週間後、避難所から自宅のあった方面を見に行く。高速道路の土手を越え、鉄道の土手から我が家を臨むと残っていた。

ひと安心する。束の間、改めて泥水の中を浸かりながら確認に行くと、壁は破れ家の中は瓦礫が散乱、大きな流木が刺さっていた。耐震上も危険と判断されて撤去となった。
地震での損傷は殆どなかったそうだ、全ては津波による被害であった。

この丁内は25世帯、半分の家が流され、25人の方が亡くなられたと云う。

インタビューの後、Kさんの自宅が在った辺りを訪ねてみた。震災から三ヶ月、辺りは瓦礫撤去の工事が進んでいた。それでも手前のあちらこちらには壁が壊れ、破れた家が残っている。工事用の車両が行き交い、関係者以外立ち入り禁止の看板が立つ。

この光景を例えようもないが、宴の後の残骸。天上より神々が集い、喰い散し飲み散した大掛かりな宴の跡か・・・。整然と並び、美しく盛られた豊な実りの果実も、山海の恵み、豊饒の大地も消えて残骸ばかりであった。

            

十数年を要した、この辺りの農地改良の完成記念碑が無残にも台座から剥されて道端に倒れていた。『拓農共栄』の文字とともに、要した年月と費やした金子、拓かれた農地が記されていた。

平野部では、海岸線から4~5km、場所によっては更に奥まで津波が押し寄せたように見えた。海岸に沿って走る高速道路(仙台東部高速)が、最後の防波堤の役目を果たし、被害を少なくしたように見えた。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然に・・・

2011-06-11 | Weblog

6/11(土) 朝からの雨も上がりつつある午後、会社に出る。丁度、下水管の工事が入っていたが、退社前に終わった。トイレの床が汚れているので掃除をする。梅雨時の湿気の所為か、動くと直ぐに汗をかいてしまった。

昨夜は「東京黒潮会」なる会の総会と、懇親会が赤坂「祢保希」で行われた。新入りの私は、自己紹介などをさせられる。この手の会(郷里の会とかOB会とか)は、メンバーが減少の一途。時代とともにライフスタイルが異なる人たち同士の、特に年代間の差による交わりが少なくなっている。

会には高校の先輩もいるが、初めての方と話をしてみると意外と接点があった。人と人は、話をしてみると面白いものである。何かがあり、何かが生まれる・・・。

会の後、、久し振りに一ッ木通りに在る「ピアノラウンジ 禅」に立ち寄った。客は誰も居ない、静かな店もいいものだが、ちょっと心配になる。

店のオーナーだった東郷さんが亡くなって、来月で三年となるはず。ピアノ弾き語りの橋本葉子さんが、若いギターリストの河西君を差配して頑張っているが、この店の客も高齢層が多くなり新陳代謝が必要であろう・・・。

なんて事など、勝手な御託を並べてハイボールを飲む。何しろ客が居ないのでいいたい放題。東郷&葉子夫妻とは長い付き合いではあるが、親しき中にも・・・云々か。

何しろ、葉子さんが赤坂東急ホテルのBarマルコポーロで唄っていた頃から聴きに行っている。未だ二十代の若造の頃。その後、六本木警察の裏手にあった夫妻の店「ピアノラウンジ禅」から個人的な付き合いが始まり、一緒にゴルフに行ったり、店が撥ねて客が居なくなった後、東郷さんとカラオケ合戦だったり・・・、お互いに唄は下手だったな~。等と語り合う。

そんな昔語りになったのも、夫妻の友人がつい最近亡くなったと聴いたことからか。

来週は、月・火と仙台・気仙沼での取材。東日本大震災で被害受けたOBの方をインタビューする。
気仙沼の方は、津波で家が流され二階に避難している所を幸運にも救助されたと云う。生き死にに関わる話になるであろうが、後に残さなてはならない物語と思っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀座でランチ

2011-06-10 | Weblog

6/10(金) 週末を迎えた、昨夜の酒の所為か今朝は散歩に出る気力なし。その分を寝て過したが、効果ありて体力・気力が漲る?

昨夕、社内のリーダーとの会合。仕事のやり方、進め方等について4月から意見を出し合ってきた。その最終の会になろうと思い、終了後に意見交換と称する懇親飲み会を開催した。

忙しい日々を過しているTが、話し足りない、飲み足りない風なのでもう一軒立ち寄り、最後に飲んだ泡盛が利いたようだ。

昨日は銀座にてランチ。友人のO社長からTelを貰い、久し振りに一緒の飯となった次第。銀座でランチと聞けば、結構なものを食すと思い勝ちだが・・・。

落ち合ったのは6丁目の松坂屋。ここの地下、食品売り場にある肉屋がイートインのカウンターで牛飯を供している。これを食べに行こうとのことであった。

最上値は「松阪すき焼き1800円」次が「高級和牛すき焼1500円」、一番安いのが「和牛の牛重525円」。メニューはこの三種、いずれも味噌汁・香の物・飲物(ジュースorワイン)等付きであった。

昼時間を遥かに過ぎた時間であったが、20分も並んで我々が注文したのは、税込み525円のランチであった。これがO社長のお奨めである。カメラを持って行かなかったのが残念。
値段なりに、紙の如くに薄切りの肉であったが、甘めの出汁の味が良く染み込み、肉の量も程ほど、生卵まで付いており得した気分になる。

人が並ぶのにも納得できる味と値段であった。それにしてもO社長、安いものを見つけ出すのが上手だ。私は通勤定期があり交通費が掛からぬのでいいが、O氏は東高円寺からだ。本当に得したのか?

食後、コーヒーとなった。この際だ、1000円もするような珈琲店は避けようと一致。一杯180円の店、ベローチェを探して話し込んだ。

ひと言で云うならば、充実した昼であった。

余談ながら、銀座松坂屋地下の食品売り場は馴染みであり、肉屋やカウンターのイートインコーナーも承知していた。が、自分がこんな処で飯を喰うとは思わなかった・・・。

ここの食品売り場の野菜が安い。パン屋の10枚切り食パンは、サンドイッチに手頃と馴染みであったが、暫く遠ざかっていた。このデパートが立替になると新聞で読んだのはつい最近のことである。食後にひと回りして、また通ってみようかと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何かと忙しく・・・

2011-06-08 | Weblog

6/8(水) 先週金曜日に更新して以来、書込みが出来なかった。金曜の最終便で帰省、高知市内で遅くに人に会い、翌朝は二日酔いか。乗車予定の電車に遅れて、一本遅い電車に乗り実家に帰った。(田舎は一本遅れると大変なのだ・・・)

それでも何とか、土曜日にミカン畑の草刈を終えることができた。翌、日曜日は雨だったのでセーフ。ミカンの木が急に伸びたようだ。

            

          小夏ミカンの花           刈る前の畑             すっきりした畑

日曜の朝早く、雨の降り出す前に川沿いの田舎道を散歩。1日から鮎漁が解禁となり川には太公望が竿を出して友釣りをしていたが・・・。一時間程の散歩の間で、鮎を掛けた姿は見なかった。気温が低く、鮎の動きも低調か。

            

この川沿いの道、かっては森林軌道が走っていた。林業の衰退で鉄路は撤去され、狭いながらも今は車が走る。自転車専用のレーンにでもすれば、地域の活性化などで面白いと思うのだが・・・。

従兄弟が届けてくれた新鮎を食した。型は小さく、鮎独特の香りも乏しいが、食味は軟らかでこの時期ならではの味わいであった。

                       

                          鮎の焼き物

月曜日から今日まで、暇に任せてK君用の弁当を用意する始末。月曜はオムスビなど、火曜日は盛岡へ取材に出たが、鰹のオリーブ焼やベーコン&タマネギ炒め等の弁当を用意。

           

                   月曜日                  火曜日

水曜の今日、朝の雨で散歩に出ないので家人や長女の弁当まで作ってしまった。自分は六月に入り、一度も弁当は持たず。やっぱり暇なオヤジである。

            

今日の弁当、残りご飯があったので「海鮮焼飯」と「グリーンピースの卵とじ煮」、定番の「卵焼き」であった。

                      

 

今週からまた、取材が始まった。9月1日発行予定の「防災特集」である。月曜日は初台へ、火曜日は盛岡に遠征。そして今日は、渋谷にて取材の立会い。自分で書くとすれば、ライターにトラブルが生じた時ぐらいだが、せめてweb版の取材余話ぐらいは・・・。

来週の初めは、仙台・気仙沼と震災被害に遭ったOBの方を訪問しインタビューの予定。
人に会う・会える、人から話を聞かせて貰う、おまけに仕事になっている。こんなにありがたい事はない。

取材でのこぼれ話、感じたことなど改めて紹介したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩

2011-06-03 | Weblog

6/3(金) 昨日からの雨も上がった。今朝は、散歩に出ることとした。目黒通りを越え、碑文谷一丁目方面・田向公園からサレジオ教会を横目に歩く。

暫く行くと「円融寺」の前に出た。丁度、境内でのラジオ体操が終りゾロゾロとお年寄りたちが帰るところであった。

境内に立ち寄る。西暦800年代初期の創建、天台宗の名刹。仁王門は、500年程前の建築とある。硝子の奥の仁王さんは、朝日が硝子に反射して見えない。仁王門の奥に見える建物が、本殿。この奥に、更に大きな建築の阿弥陀殿がある。

                

仁王門から山門を振り返る。三月・四月、梅・桃・桜の頃は景観が見事である。

円融寺のわき道を突き当たると、どこぞの寺の様子。入り口に江戸時代の戯作者「滝沢馬琴」の墓があると記された立て札あり。元は、深川の寺に在ったそうだが関東大震災で移したとあった。

此処から、環七へ出る。大岡山駅に至る商店街通りの信号「南の信号か」。環七を遡り、柿の木坂陸橋、東急線の橋を越え、線路沿いに学芸大学に戻る。丁度、下り電車が来る。

                        

 

環七の橋の脇からの撮影、右手に見えるのはおそらく日本一高い(一球当りの単価)と思われるゴルフ練習場「スイング碑文谷」。この練習場、ゴルフを始めた三十代から十年程はよく通ったものだが、改修工事があり綺麗になってからは二度ほど行ったきり。

昔、此処で練習をしていた或る日曜日。小学の低学年であった長男が交通事故にあったと呼び出しがきた。既に病院に運ばれたとのことなので、50~60球残っていたボールを打ち終えてから病院へと向かった。

「子供が怪我をして病院に運ばれたのに、オヤジはゴルフの練習を止めなかった」と、我が家では未だ、誰かが口にする。『俺が行って、良くなるものなら行ったさ』と、口の中で小さく呟く・・・。

そんな時代もあったが、最近ではゴルフと遠ざかるばかり。散歩がわりに、コースを歩くのもいいか。今朝は、一時間足らずの散歩。

 

 今夕の最終便で高知へ行く。今夜は高知市内泊まり。webディレクターのT氏が昨秋にUターン、高知で仕事を始めた。高知の状況を聞くこととなっている。そして、高知工科大学のS教授にも会えるはずだ。

毎月のように高知に行くが、市内に泊まることは希である。明日の朝、実家に帰りミカン畑の手入れ。叔母の法事もあるとか。帰京は日曜の最終便となる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はや六月に・・・

2011-06-01 | Weblog

6/1(水) 薫風の五月が去り、今日から六月に。山に例えれば今年も五合目に差し掛かったということか。

我が社も来月で27期の年度締めとなる。どう云う結果となるかは、凡そ判ってはいるが・・・ラストスパートに期待しよう。

今日から弁当は休止とした。梅雨のシーズン・夏場と食品衛生管理上の課題、というよりは出勤途上、外出ついでの散歩が発汗のため嫌になる。弁当作りの時間を、早い夜明けに併せて自宅近辺での散歩に切り替えようという魂胆。

雨天時や特別なことがあれば弁当を作る気は十分にある。たまには弁当も作らないと・・・。

今朝は一時間程の散歩。自宅近くの碑文谷グランドを一周し、野沢竜雲寺~柿の木坂~都立大学から環七を渡り、長女の自宅前を通って碑文谷公園へ。公園で体操・ストレッチをし帰宅。

公園のバラもそろそろ終り頃、記念に撮影する。

                  

歩く速度は、一分で100m~110mを目安としているが、平均すれば100m/分という処か。それで行くと、今朝の散歩距離は4~5kmとなるか。

昨夜、上京中の「地球市民の会」佐藤会長と会い”奈加野”にて食事。会の方向や、故古賀会長の意思などについて話を聞く、訊く。そして地域の活性、農業の再生などと話は広がった。

日本人とは何か、祖先を祀る・氏神を祀ることの大切さ云々・・・。若い人たちには理解し難い事であろうが、これを忘れては日本人は成り立たない。同意できるが、伝え方に工夫がいるか・・・。

いい夜であった。佐藤さんからは何時も元気をいただく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする