悲報
12/4(水) 午前中の部屋掃除を終えて、明日から来高するUSUI老の布団を干してから安芸市内まで買い物に出掛けた。たまたまラジオをかけて帰路に着いた。途中まで来たときに、アフガニスタンで活動する中村医師が襲撃され・・・とのニュースが耳に入った。
なんと云うことか、よりによって彼の地の人々から救世主の如くに慕われている中村さんが襲われたなど?ラジオのボリュームを上げると、同乗の五人は死亡、中村さんは胸を撃たれたが生命には別状ないとのこと。亡くなれたスタッフに哀悼しながらも安堵の思ひであった。
帰宅後、夕食の準備でもしようかとTVを点けて台所に立っていた時に、中村さん訃報のニュースが流れてきたのだ。そのニュースを見ながら、悲憤の思ひ沸く。
これ以上を記す術がない。Tugawaさんに電話を入れようかと思ったが留まった。彼の思ひも同様であろうし、今何が語れようかと。
中村哲さんの偉業を私が語る必要ない、それほどの偉人であった。数年前、福岡の地で中村さんの取材に立ち会った。インタビューはTugawaさんで、中村さんが中高と学んだ西南学院の教室を借りての取材だった。オファーを続けて二年越しに実現した企画だった、取材の合間に喫煙所で一緒に一服した。
その時の取材以来、中村哲さんのファン(生きざまに共鳴した)になった。ペシャワール会の維持会員として毎号の会報誌から現地での活動を、その限りなき苦難の道程と、共に汗を流す現地の人々の声を知った。
掛け替えのない人を失った喪失感を拭うことができない。ペシャワール会事務局で記者会見するFUKUMOTO氏の苦渋に満ちた、悲壮が、胸に刺さる。
アラー神の裁きを卑劣なテロリストに与え給え、そう願う。
アフガンにとって、我等日本人にとって、そしてNGO活動をする世界中の人々にとって、中村哲さんはなくてはならない人であった。その人を失ったことの大きさを知るべきだ。
そんな一日の終り、夕食でIWASEマスターから届いたばかりの加賀の銘酒「菊姫」で、謹んで献杯した。肴は隣県越中の「白エビの昆布〆」。
もう一つ、訃報とその偲ぶ会開催の連絡があった。サラリーマン時代の広報宣伝部門で同僚とも云うべき横田洋文氏が過日亡くなれ、その偲ぶ会を開くとの連絡である。ご冥福を祈る。
斯様な次第で、帰京予定を早めることになるかもしれない。
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